9.「烙印」
●【9.「烙印」】
カイエが目を覚ますともうエーレウスの姿はなかった。
朝の政務とやらに出ているのだろう。国王も結構忙しいようだ。
ぼんやりしていると、軽やかなノックの音と共に可愛い声がした。
「失礼します」
ミーサだった。
「そろそろお目覚めの頃かと思いまして。着替えと洗顔をなさってください。すぐに食事をお持ちしますから」
「ありがとう」
ミーサは毎日カイエが目覚めた頃を見計らってやってくる。
大抵の場合カイエより早く起きるエーレウスの姿を見て見当をつけるようだ。
ミヅキの王宮にいた頃からカイエは朝が苦手で、殆ど早起きをしたことがない。
目が醒めたら世話係のマリカが既に着替えの用意から食事までを全て整えて待ってくれていたものだ。
しかし、ここでは王族でもなんでもない自分がこんな高待遇を受けるのは特別なことであって、それに甘んじていてはいけないのだ。
着替えと洗顔を終え、朝食を食べながら、カイエはミーサに話し掛けた。
「ミーサはホムル人じゃないね」
「はい。カイエ様、私はオルステインの生まれです」
「オルステイン!東の島国じゃないか。どうしてそんな遠いところから……」
「私は奴隷としてここに売られてきましたから」
カイエは一瞬、まずいことを聞いたかと躊躇ったが、ミーサは何も気にしていないかのようにカイエにお茶を淹れている。
「オルステインって奴隷制はまだ残っていたかな?」
「はい。一部には残っています……ですが連邦は奴隷制を廃止する方向だと聞いています」
「ミーサのいた島では奴隷制が?」
「いいえ。私の島は奴隷制はありませんでした」
「では、どうして?」
ミーサの顔が一瞬だけ曇る。
しかし、気を取り直したかのように、ミーサはまた笑顔に戻った。
「私の故郷の村はある時、盗賊団に襲われました。大人はすべて皆殺しにされ、十代の子供は捕らえられ、奴隷市場に売られました。もちろん正規の手続きは踏んでいません」
「なぜ子供ばかりが?」
「子供の奴隷は従順なので買い手が多いそうです」
ミーサは奴隷の烙印のある左腕を恥じるように押さえた。
「君が犯罪に巻き込まれて奴隷になったことはここの王宮の人は知っているの?」
「たぶん殆ど知られてないと思います。でも、イサノ様はご存知です」
イサノの名前を聞くと、カイエは少し不快な気分になる。
ずる賢い狐のような顔立ちのあの男のことを考えると、とても嫌な気分になるのだ。
「あの男……そんな重要な情報を知っていながら何故……」
「ホムル王宮は正規の値段で合法的に私たち奴隷を買っています。契約上の問題はどこにもないんです。私たちの出自がどうであろうとそれは売主の問題であって、買い手には関係がないんだと思います」
「そんな理不尽な話があるもんか」
カイエは憤慨する。
「でも……」
ミーサは哀しげな顔をした。
「何にせよこの烙印がある限り、私に自由はありません」
左腕の奴隷の印。
白い肌に彫り込まれた無気味な蛇の意匠は彼女が死ぬまで付き纏い続けるのだ。
「この王宮の仕事はまだ、楽な方なんです。私と一緒に連れてこられた弟は鉱山に売られました。まだ十二歳なのに……生きているかどうかもわかりません」
この悪習は必ず全世界から無くすべきだ。
カイエは心からそう思っていた。
だけど、この悪習を完全に無くすためにはミヅキ国王となってからの自分の力をもってしても多分どうにもならないだろう。
では、大きな力を得るためには何をすればいいのだろう。
カイエはそんなことを考えていた。
「ああ、つまらない話をしてしまいましたね。カイエ様……さあ、早くお茶をどうぞ。冷めてしまいますよ」
ミーサはにっこりと笑った。
しかし、その笑顔は心なしか少し悲しげだった。
「エーレウス」
「なんだ?カイエ」
「君、奴隷制をどう思う?」
突然のカイエからの質問にエーレウスは戸惑う。
「どうって……別に何も思ったことはないが」
午後。
退屈そうに本をペラペラとめくりつつ、エーレウスはカイエの問いに少し面倒そうに答えた。
最近では午後の数時間をこんな他愛ないやりとりで過ごすことが多い。
二人だけでいるときは、お互いの身分の垣根は取り払われ、普通の友人のように砕けた口調で話をするようになっていた。
それは、お互いにとって心地よくもあり、また妙な気分でもあった。
「無くすべき悪習だと思わないか?エーレウス」
「そうかな?制度が残っているということは、必要があるからではないかと思うが」
「エーレウスは奴隷が必要だと思うの?」
「どうだろう」
なんとも気の無い答えにカイエは苛立つ。
「罪を犯した者がその報いとして奴隷に堕ちているというだけならともかく、不当に拉致された子供たちがこの身分に甘んじてると君は知ってるのか?エーレウス」
「知ってる。どこかで聞いたような気がする」
エーレウスは興味のなさそうな声で答えた。
「だけどカイエ……」
エーレウスはカイエをじっと見つめて言った。
「俺たちに何ができるというんだ?」
真顔でカイエを見つめるエーレウスに、カイエは強い調子で言った。
「この国が奴隷保護救済条約に加盟すればいい。そして、厳しく取り締まればいい。エーレウスにはその力がある」
「俺になにをさせたいんだ?カイエ」
エーレウスの顔は完全に無表情だった。
「何って……」
「俺はお前の助言を聞き入れることは簡単だ。だけど、勘違いしてもらっては困る。俺はいくらお前の意見でも、自分で調べて納得したことでない限りはお前の思惑通りに動くつもりは無い」
「そういう問題じゃないだろう!現にミーサは……」
「ミーサがどうしたというんだ」
熱くなるかカイエに対し、エーレウス口調は静かだった。
乏しいその表情から彼の心の中は相変わらず読み取れない。
「エーレウスはミーサがどういう経緯でここの奴隷になったか知っているのか」
「そんなところまで俺が知るわけないだろう?そういうのはすべて伯父上や内務の者がやっている。いくら俺が王でも彼らの職務に口をだすことなどできない」
「エーレウスのわからずや!」
「何だと?」
エーレウスは激昂するカイエに対し、少しだけ不快な表情を見せた。
彼はカイエの物言いに対し、怒っている。
普段は滅多にないことだ。
「ミーサはオルステインから盗賊団に拉致され、無理やり奴隷にされ、ここに売られたんだぞ」
「だからそれがどうしたというんだ」
この台詞を聞いたカイエの瞳の奥に怒りの色が現れた。
「人々を救える力を持ちつつ、あえてそれを使おうとしない。それで王様とはね!」
「その言葉は聞き捨てならないな」
こんどはエーレウスの声色が変わった。
「法を変えるには大変な力と時間が要る。いろいろな調査をして、その決定が正しいことであるという確証を得なければならない。王の一存だけでは決まらないこともある。明らかに悪いことだとわかっていても、それを変えられないことだってある」
「それぐらいわかってるよ!僕にも」
「いいや。カイエにはわかってない」
エーレウスはカイエの両肩をグイと掴んでその瞳を間近から見据えた。
「カイエには絶対にわかるものか……知った風な口をきくな。王は万能じゃない。むしろ、無力だ」
その瞬間、一瞬だけカイエはエーレウスの心の底を垣間見た気がした。
深い悲しみをたたえた暗黒。
漆黒の瞳の、そのさらに奥に宿る深い……闇を。




