7.「黒のクラウ」
●【7.「黒のクラウ」】
その男はまるで『闇』を擬人化したような印象だった。
闇よりも暗い漆黒の髪。同色の瞳は切れ長で鋭い。
左目尻のほくろは彼の印象を深く残す。
少し癖のある髪はあまり手入れをしておらず、肩のあたりまで延びており、顎を被う無精ひげは彼を少しやつれた印象に見せている。
肌は深い褐色。全身を黒い服とマントで覆い、遠目から見ればまるで影のようだ。
裏社会では『黒のクラウ』と呼ばれるこの男の名はもちろん本名ではない。
自分のことを殆ど語らない謎の多い男だった。
裏世界ではいつの頃からかその名前が聞かれるようになり、ホムルで起こる大きな事件の裏には必ず彼が関わっているとさえ言われる。
報酬さえはずめば彼はたとえ実の両親でも笑って殺せるような男だともっぱらの噂だった。
そんなクラウを苛立たせる報告が、先ほど彼の部下からもたらされた。
「……飛燕が?」
それはクラウにとって懐かしい名前だった。
「はい。エフィロス・ツバキと名乗っておりますが、あれはエフィ・タチバナに間違いありません」
「王太子の救出に来たか?」
「おそらく。いかが致しましょう」
「今は手を出すな」
「はい」
クラウは部下を下がらせると、テーブルの上にあった茶褐色の瓶から淡青色の液体をグラスに注ぎ、一気に喉の奥に流し込んだ。
『アグァ』と呼ばれるタンガ地方特産の強い酒だ。
懐かしく、それでいて憎らしい名前を聞いて、様々な思いが彼の脳裏を掠める。
クラウはこめかみを押さえた。
軽い眩暈がする。アグァ一杯ごときで酔うとはヤキがまわったものだ。
彼は続けてもう一杯アグァを飲み干す。
喉の奥に灼熱感が広がり、妙な高揚感が心の底をざわざわとかき乱す。
クラウは熱の篭もった吐息をゆっくりと吐き出した。
「十三年……長かったな……」
あれから十三年。
あの頃、クラウはまだクラウではなかった。
まだ、彼が本名であるオリベイル・カランの名を名乗り、彼自身の世界が希望に満ちた明るい光で満たされていた頃だ。
当時、二十五歳だった彼は、キャラバンの西方巡回隊に所属し、彩岩楼皇国を旅していた。
彼の当時の身分は第五隊の隊長だった。
そして、彼は旅の途中で一人の少年に出会った。
その少年は盗賊にでも襲われたのか、瀕死の重傷を負い、林道の途中で倒れていた。
彼は少年を救助し、手当てをしてやった。
少年はミヅキ人で、エフィ・タチバナと名乗った。
落ち着いた暗めのブラウンの髪に同色の瞳。
一見、品のいい大人しそうな少年に見えたが、気は強そうだった。
エフィは父親と意見が合わず、勢いで家を飛び出し、ホロの港から彩岩楼に来たと言った。
衝動的な家出にしては随分思い切ったものだとオリベイルが笑うと、エフィはむくれたように言った。
「俺は強くなるまで家には戻らない」と。
まだ十七歳のエフィを置いていくわけにはいかず、オリベイルはそのままエフィを連れて旅を続けた。そのあいだ二人はいつもいっしょに行動した。
彩岩楼皇国は広く、キャラバンの歩みで縦断するには三ヶ月ほどかかる。
エフィはオリベイルにとてもよくなついた。オリベイルもまるで弟のようにエフィを可愛がった。
オリベイルは西方巡回隊の隊長になるまでは護衛隊所属の剣士小隊の隊長を長く務めた。
その経験もあってか彼の剣の腕前は素晴らしく、旅の間、彼はエフィにさまざまな剣技を教えた。
エフィは土が水を吸い込むかのように覚えが早く、めきめきと剣の腕を上げていった。
エフィは身軽で身のこなしが素早かった。
そこで、オリベイルはエフィに変わった技を教えた。
相手を的確に攻撃し、すぐにその場を離れるというエフィの素早さを生かした技だった。
それはかつてオリベイルがこの彩岩楼皇国の剣士から習得したもので、その技の名を「飛燕の斬」といった。
エフィは教わった「飛燕の斬」を自分なりに使いやすく改良していった。
流れるようなその動き、剣を振るったその瞬間にはもう相手から離れ、かと思えばまたねらいを定めて相手を素早く攻撃する技となった。
これは飛燕の斬のようでいて飛燕の斬にあらず。
もはやエフィが自力で編み出した技と言えた。
「剣を振るう時のお前の動きはまるで空を飛ぶ燕のようだ。あまりに素早くて追うのは難しい……まさにこの技の名と同じ『飛燕』のようだ」
「オリベイルだって狙いをつけた相手を獰猛に攻撃する鴉みたいだ。いつも真っ黒の服を着ているし、本当に鴉みたいだ」
「ははは……鴉のようか……違いないな」
その後、オリベイルはエフィのことを親しみを込めて飛燕と呼んだ。
エフィは他の者に、飛燕と呼ばれても返事をしない。
ただ、オリベイルが飛燕と呼んだときだけは返事をした。
その後、二人は三年間を一緒に過ごした。
その間にオリベイルはキャラバンを抜け、エフィと共に旅に出た。二人は親友であり、剣に関してのライバルだった。
ある出来事が二人の運命を変えるまでは。
「……もう一度、お前を手にかけることになるのか……?俺は」
「黒のクラウ?」
エフィがジャネイラのスラムでその名を聞いたのはカイエを探してジャネイラ入りしてから三日目のことだった。
「そうさ。裏社会のことで何か知りたければ黒のクラウに聞くことだ」
金を握らせ、情報を買った男から聞けたのはそれだけだった。
「王宮に入る方法もわかるか?」
「たぶんな。でも、どうして神官のあんたが王宮に?」
「いろいろわけありでね」
「なるほど。聖職者でもいろいろあるのか」
「そんなとこだ」
男はそれ以上深くは聞かなかった。
これはスラムのルールなのだろう。エフィにとってはありがたいことだった。
「そのクラウってやつにはどこで会える?」
「それは俺にもわからねえ。何せ、居所を転々としてるんだ。気長に探してみるんだな」
「クラウに逢ったことは?」
「ないな。ただ、恐ろしい男だということは確かだ。狡猾で頭が良く、そして冷酷だ。いつも真っ黒の衣装を着て顔すらよくわかんねえらしい。まさに名前どおりクラウってとこか」
「どういうことだ?」
情報屋の男は言った。
「クラウってのはここいらへんの方言で『鴉』って意味さ」
「鴉……」
エフィの脳裏にある男の面影が浮かんですぐに消えた。
(……まさかな……そんなはずはない……オリベイルはあの時死んだはずだ)




