4.「笑わぬ王」
●【4.「笑わぬ王」】
扉が開く音がした。
「なんだ?妙な匂いがする……」
国王の独り言の声がした。
カイエの緊張は最高に達していた。
足音はだんだん近づく。
カイエは身を硬くし、息を潜め、シーツの中に潜んでいた。
カイエの体を隠していたシーツがめくられた。
「誰だ!お前は!」
驚きの声が上がる。
部屋の暗さで相手の表情はカイエには全く見えなかった。
「今夜の伽を仰せつかりました……」
カイエはそう言うと、おもむろにエーレウスの首に手を回した。
「お……おい……何を」
なぜか相手の声が戸惑っている。
(自分から呼びつけたくせに)
カイエはエーレウスをベッドの上に引き倒す。
このまま押さえ込み、首を締めて殺してしまおうか?
「やめろ!やめないか」
急に凄い力でカイエはひっくり返され、逆にエーレウスに首根っこを押さえつけられる形となった。
首を押さえつけられ、息が苦しくなる。
エーレウスの顔が間近に近づいてきた。
「お前は誰だ?どういうつもりだ」
想像以上に強い腕の力。抵抗しようと力を込めるが全く歯が立たない。
ステージの上から見かけた新王は細身でとても力があるようには見えなかった。
今のカイエに抵抗する術はなく、相手の力量をなめていたことを後悔した。
力の差がありすぎることを悟ったカイエはどうにかしてこの状況から抜け出そうと必死で考えを巡らせる。
首を押さえられ、やっと出た声はひどくかすれていた。
「……このまま僕を殺しますか?……国王陛下」
しかし、相手の口から出たのは意外な言葉。
「……ちょっとまってくれないか……話が見えない」
エーレウスはカイエの首を抑える力を少しだけ緩めた。
「悪いが、ちゃんと説明してくれないか……もし君に敵意があるなら俺はこのまま君の首を強く締める……だが、誤解だった場合はむやみに傷つける気はない」
やはりエーレウスの声は少し狼狽えている。
本当に敵意がなさそうだ。カイエは少しだけ緊張を解く。
「ん?君は確か、さっきの舞踊団で美しい舞を見せてくれたあの踊り手じゃないか……?」
エーレウスは改めてカイエの顔をじっと見た。
「はい」
エーレウスはカイエを押さえつけていた腕の力を緩めた。
「すまない……本当に俺は、何も聞いてない。教えてくれ君。なぜ君はここにいる?」
「僕は陛下が望んだからという理由で無理やりここに連れてこられました」
「そうだったのか……迷惑をかけてしまったようだ。本当にすまない」
エーレウスはカイエから離れ、カイエはようやく体を起こすことができた。
「確かに俺は君と話をしてみたいとは言ったが……こんなことを望んでは……あっ!」
考え込んでいたエーレウスはどうやら事情を察し、頭を抱えた。
「伯父上……余計なことを」
イサノが余計な忖度をしたことにエーレウスは気付いたようだ。
「とにかく……誤解だ。怖がらせてすまなかった」
しかし、カイエはまだ完全には警戒を解いてはいなかった。
「とにかく、このままでは暗いな。灯りを足そう……悪いが君、もう少し待っていてくれ」
そう言ってエーレウスは一旦外に出ると、ほどなく灯りのともったランプを手に戻ってきた。
そして、部屋の燭台の蝋燭に火を移す。
薄暗かった部屋が急に明るくなった。
間近で見るエーレウスは玉座に座っていた時とは違った印象に見えた。
しっとりとした黒髪。よく磨かれた黒曜石のような瞳。健康そうな褐色の肌。
カイエと同い年でありながら、大人びた印象のある少年だった。
「手違いがあったようだが、僕にそういうつもりはないから安心してくれ」
エーレウスはそう言って、まだベッドに座り込んでいるカイエの近くに座った。
「しかし君……なんて格好だ。それにその甘ったるい匂いはなんだ?」
カイエは透けた素材の布で出来た服を着せられていた。
下着を着ける事も禁じられたので殆ど裸同然だった。
しかも、全身からあまったるい香油の香りを漂わせていた。
「好き好んでこんな格好をしてるんじゃありません。無理やりこの格好をさせられて身体中に香油をべたべた塗られたんです」
カイエは顔を赤くして叫んだ。
「ああ、すまない。とりあえずこれを着るといい。後でもう一度風呂を使うといいだろう」
エーレウスは自分の着ていた上着を脱ぐと、カイエに投げてよこした。
「さて、せっかく来てもらったんだ。少し俺と話をしてくれないか?俺は君と話がしてみたかったのは本当だし」
「話を?」
「そうだ。君が先ほど舞ったあの踊りについて聞いてみたかったんだ。あれはなんという踊りなんだ?」
「あれは……僕の故郷の祭りのときに踊られる奉納舞です」
「あんな美しい舞は見たことがないので興味があってな。君の故郷は?」
「……アヴェリア」
「ミヅキの出身か。でも、君はどうみても我がホムルの民のように見えるが?」
「父がミヅキの人間です」
「なるほど」
「では、君はミヅキには詳しいんだな?」
「……まあ、多少は」
「では、俺にミヅキのことをいろいろと教えてくれ。俺、ミヅキにはとても興味を持っているんだ」
エーレウスの表情はまるで小さな子供のようにイキイキとしていた。
カイエにはなんとなく、この少年がとてもミヅキの侵略を考えているようには見えなかった。
エーレウスはカイエにいろいろな質問をした。
街の様子、祭りや習慣について、流行の遊びや食べ物のこと。
カイエは最初は警戒していた。エーレウスは国のことを聞き出し、侵略の時の情報にするのではないかと。
しかし、彼の質問はどう考えても侵略のための情報にはならないようなことばかりだった。純粋にミヅキの風景や習慣に興味を持っているようにしか思えなかった。
「ますます興味深い……一度はミヅキへ行ってみたいものだ……」
「陛下はミヅキを占領されるおつもりなんでしょう?」
カイエは思い切って直接的な質問を投げてみる。
「なぜそれを?」
「噂で聞きましたから」
「そっか……」
エーレウスはベッドにごろりと寝転がると溜息を吐き出すように言った。
「正直なところ、俺、戦争に全く興味はないんだ。できれば国王の位も放棄して旅に出たいぐらいなんだけどな。俺はもともと王になる人間ではなかったから」
話の雲行きが変わってきた。
風評と全く違うエーレウスの態度にカイエは戸惑った。
「亡くなった兄上が王位に着く予定だった筈なんだけどね……俺は王になんかなりたくなかった。本当いうと、キャラバンに入って世界中を旅したかったんだ……あ。これは内緒だぞ?」
話を聞くうちにカイエはあることに気付く。
エーレウスは一度も笑っていない。
表情に乏しいのだ。
寂しそうな顔をすることはあるが、あまり喜怒哀楽を顔に出さない性質なのだろうか?
淡々とした話し方は冷たくも見えるが、カイエには何故か悲しそうに見えた。
「王位はそんなに嫌ですか?」
「君が俺の立場だったら王になりたいか?」
「それが自分の義務なら」
そんなこと思ったこともなかった。
カイエは生まれた時から王になるべく育てられてきた。
そんな疑問を感じたことなど一度もなかったし、国民のためにいかに立派な王になるかだけを考えてきた。
「強いね。君は。俺はとてもだめだ」
エーレウスは目を伏せた。
「今だって、捨ててきたものに未練たらたらだよ……後悔すらしてる」
「捨ててきたもの?」
「そう。自由とか、夢とか、憧れとか」
エーレウスの声には抑揚があまりなく、感情を感じられぬ声だったが、この時ばかりは少し強い調子の声になった。
「でも、王となったからにはその責務は果たすべきだと僕は思います。陛下はどんな王になりたいんですか?この国をどう導きたいんですか?」
カイエは表情を殆ど持たぬエーレウスの目を見据えて言った。
「さあ……興味がないから考えたことなどないな」
「……興味がない……?」
カイエの心に一瞬強い怒りが湧いた。
「そんなことで見捨てられる国民の気持ちを、陛下は考えたことはあるのですか」
「君……」
エーレウスが急に厳しい表情になったカイエに戸惑う。
「そんな無責任な王が治めるこの国はいっそ滅びればいい。そんな王の下にいる国民はとても憐れだ……」
カイエはエーレウスを睨みつけた。
焦点が定まらなかったエーレウスの目に、強い光が宿るのをカイエは見た。
「君のその言葉、覚えておくよ。今夜はこのままここで眠るといい。安心しろ……朝までこの部屋には誰も立ち入らせない」
そう言うと、エーレウスは部屋を出て行った。
強い緊張から解き放たれたカイエを急な疲労が襲う。
カイエはそのまま崩れるようにベッドに突っ伏した。
翌朝、カイエが目を覚ますとエーレウスの姿はなかった。
太陽の光が眩しく室内を照らしていた。太陽の高さからして、すでに午後に近い時刻だろう。
扉をノックする音がした。
「失礼致します」
一人の少女が部屋に入ってきた。
少女は大きな台車を押して入ってきた。
台車には洗面道具一式と着替えが置いてあった。
「カイエ様でいらっしゃいますか?」
カイエは事態を飲み込めぬまま首を縦に振った。
「私は今日からカイエ様のお世話をさせていただくミーサ・ベルガーと申します。宜しくお願い致します」
ミーサと名乗った少女はどう見てもホムル人の少女ではなかった。
干し草の色をした淡い黄金色の長い髪は柔らかなウエーブがかかっており、それを青いリボンで綺麗に束ねていた。
肌は透き通るような白。この強い日差しのホムルにあって殆ど日焼けをしていない。
ぱっちりとした丸くて大きな瞳は満月の青い光を思わせる涼しげなアイス・ブルー。
しかし、彼女の左腕にはその可憐な姿には不似合いな無気味な刺青があった。
鎖の絡まった蛇の意匠の刺青。彼女は奴隷の身分だった。
「まずはこれでお顔を洗ってください。それと湯殿もお使いくださいませ。着替えもご用意いたしましたので」
まるで小鳥のさえずりのような、高くて綺麗な声の少女はカイエに微笑む。
「あ……あの」
カイエは突然のことに戸惑っている。
「はい、なんでしょう?」
「えっと……エーレウス陛下は?」
「陛下は朝のご政務に出ておられます。カイエ様を湯殿にご案内して、お食事をして頂くようにとお申し付けがありました」
カイエはまず顔を洗って目を覚ました。
夢でも見ているのかと思ったが、顔を洗って完全に目が覚めてもこの状況は変わりなく、これが夢ではないことがわかった。
そのあとカイエは少女に案内されるまま湯殿に向かい、湯に浸かり香油を洗い流した。
与えられた着替えは上質な絹で出来た立派な衣装だった。
「よくお似合いでございますね」
少女はうっとりとした目でカイエを見た。
「さあ、お食事のご用意が出来ておりますのでお召し上がりくださいませ」
「あ……あの?」
「はい?」
「これは、どういうこと?」
カイエはテキパキと働くミーサに尋ねる。
「どういうことかとおっしゃられましても……私は陛下からカイエ様のお世話をするようにと命ぜられただけですから」
「いや、僕はどうしてこんな待遇を受けるのかってこと」
するとミーサは笑って答える。
「カイエ様は陛下の侍童でいらっしゃいますもの。この待遇は当然でございましょう?」
「侍童?」
「ご存じなかったのですか?」
ミーサは驚いた顔をする。
「陛下のたってのご希望で、カイエ様は陛下の侍童になられたのです」
「だからさ……あ……あの、侍童って?」
「陛下のお傍に常に侍って、陛下の身の回りのお世話をされたり、お話し相手になったりそれから……あの……主に……夜の……」
ミーサは顔を赤らめながら口篭もった。
「……もういいよ」
みなまで言わなくてもわかった。
どういう話になっているのかはわからなかったが大体の事情は察することが出来た。
「陛下は昨夜、カイエ様が随分気に入られたご様子で……その……」
「いい加減にしてくれ!」
カイエは怒りの余りテーブルをどんと拳で殴る。
皿やカップがテーブルから落ち、鋭い音を立てて砕け散った。
そうか。
あの王はそういうつもりなのか。
気の無いそぶりをしていたくせに、結局は自分を手元に置き、これからどうにかしようというのか?
カイエのその表情があまりに恐ろしかったのだろう。
ミーサは顔面蒼白で、震えていた。
それに気付くと、カイエははっと我に帰る。
「あ……ごめん。君を怖がらせるつもりはなかったんだ……」
「いいえ……私は大丈夫ですから」
そう言いながらミーサは割れた食器の欠片を拾い始めた。
「手伝うよ」
「いけません!カイエ様にそんなことをさせたら私が叱られてしまいます」
しかし、カイエはミーサと一緒になって皿の欠片を拾い始めた。
「……ありがとうございます。カイエ様」
微笑んだミーサの顔はとても嬉しそうだった。
「ねえ、君は……」
カイエがそこまで言いかけた時だった。
「何をしている」
不意に背後から声がした。
振り返ると、いつのまにかそこに宰相のアルゼ・イサノが立っていた。
「ミーサ。陛下の侍童に手伝いをさせるとは何事だ」
「も……申し訳ございません。閣下」
ミーサは床にひれ伏す。
しかし、イサノは床にひれ伏したミーサの体を足で蹴りつけた。
「うっ!」
背中を蹴られたミーサは苦痛に思わずうめき声をあげる。
「なにをするんだ!」
カイエは慌てて止めに入る。
「カイエ・タチバナ。この奴隷女は私の命令で買い上げたこの宮殿の奴隷だ。宰相である私が宮殿の奴隷をどう扱おうがお前には関係あるまい」
イサノは靴の先でミーサの小さな指を踏みつける。
「ううっ……」
ミーサは苦痛の声を上げた。
奴隷制度が禁じられていないこの国では主人が奴隷に罰を与えることを咎めることは出来ない。
カイエの今の立場ではどうすることもできなかった。
「ところで、お前、陛下にうまく取り入ったようだな?女にも男にも興味を殆ど示さなかったあの堅物の陛下をたらしこむとはどんなことをしたのやら……」
イサノはカイエを舐めるような目でじろじろ見回す。
カイエは怒りの篭もった目でイサノを睨みつけた。
「こ……この……」
カイエがたまらずに怒声を上げようとしたその時だった。
「伯父上。俺の侍童になにか用でも?」
「これはこれは陛下……」
イサノは何事もなかったかのように返事をする。
「ここは俺の私室だ。伯父上であっても勝手に入られては困る」
「それは失礼いたしました陛下」
イサノは薄笑みを浮かべている。
エーレウスはカイエを片手で抱き寄せ、イサノを見下すような目で見据えた。
「俺はカイエと二人で過ごしたい。伯父上。部屋から出ていただこう。ミーサも下がるがよい」
「はっ……はい。陛下」
ミーサは慌てて部屋を出る。
「失礼致しました。ゆっくりとお楽しみください……しかし、午後の政務もありますのでほどほどに……陛下」
イサノはにやにや笑いながら出て行った。
イサノが出て行くとエーレウスはカイエを離した。
カイエはエーレウスを無言で睨みつけていた。
「そんな怖い顔をするなカイエ。これしか方法がなかったんだ」




