2.「戴冠式の夜」
●【2.「戴冠式の夜」】
ホムル王宮は巨大で、豪華絢爛だった。
王宮の門は広く開かれ、王の住む宮殿に面した広場は数千人の人間を軽く収容できる広さだった。
王宮の正面広場は石畳で舗装され、中でも中央の円形の広場は炎の竜王ガイアルの姿を模したタイル絵で彩られ、大変美しかった。
特設の大きな櫓が組まれ、新王エーレウスは竜の形を模った黄金の王冠を頂き、中央の席に座っていた。
王の席の正面には広い舞台があり、美しい娘たちが華やかに踊っていた。
エーレウス・フィリス・デラ・ホムルはこの上もなく退屈だった。
頭の上の絢爛豪華な王冠はずしりと重く、できれば今すぐにも投げ捨ててしまいたい気分だったし、目の前でクルクルと踊る娘たちにも特に興味は惹かれなかった。
右を向いても左を見ても、愛想笑いを浮かべてお世辞を言う大人たち。
自分が王になった実感は全くなかった。
兄が生きてさえいれば、ここに自分はいなかった。ここには兄が座っていたはずだ。
幼い頃に亡くなった顔も知らぬ兄を呪ってみても、事態は変わらない。
エーレウスの母はもともと正妃ではない。
国王の側室の一人であった母は他の側室と共に後宮に暮らしていたが、エーレウスを産んだ事により、正妃から疎ましがられ南部のベベールに近い離宮へ追いやられた。
エーレウスは五歳になるまで、母とそこで幸せに暮した。
離宮暮らしとはいえ、その生活は決して豊かではない。特に正妃に睨まれた側室とあればその待遇はあからさまなものだ。
それでも、母は息子との暮らしを幸福に感じていたし、エーレウスにとっても一番幸せな時代だった。
しかし、その幸せは長くはなかった。
国王と正妃との間に生まれた王太子━━━━━━━つまりエーレウスにとっては腹違いの兄になるが━━━━━━━が流行り病で亡くなってしまった。
そこで、第二位の王位継承権を持つ、エーレウスが王太子として擁立されたのだ。
実母とはその時引き離された。
エーレウスが王宮へ引き取られてから一年後、母も腹違いの兄と同じ流行り病で亡くなってしまった。
もちろん、エーレウスは母の死を看取ることすら許されなかった。
継母はエーレウスに愛情を向けることはなかった。
常に他人に接するようにエーレウスに接し、エーレウスを決して名前では呼ばず「王太子殿下」と呼んだ。
その態度はあからさまで、王宮の侍従や大臣たちは気の毒そうにエーレウスを見ていた。エーレウスにとっては針のむしろの毎日だった。
そして、半年前、父が亡くなった。
エーレウスはすんなりと王位の継承を許されなかった。
妾腹のエーレウスを王位につけたくなかった王妃は王の実の弟、ロドリゴを新たに擁立してきた。
王宮は王太子派と王弟派に分かれ、しばらくの間ゴタゴタしたが、当事者であるロドリゴが突然王位継承争いを降りたため、エーレウスの王位継承が正式に決まったのだ。
居場所のなくなった王妃は喪に服すと言い、遠く離れたタンガの離宮に篭もってしまった。
それ以来会っていない。もちろん、今日の戴冠式にも欠席の知らせが来た。
そんな諸々の『家庭の事情』をかかえたまま王になったエーレウスが愉快であろうはずがない。
「陛下。ご気分が優れませんか?」
背の高い痩せた男がエーレウスに耳打ちをする。
少し吊りあがり気味のその目は切れ長で眼光は鋭く、威圧感を含んでいた。
「べつに」
「これからは他国の王との会談の機会も多くなります。もう少し社交的になって頂かねば」
「わかってる……」
エーレウスはあからさまにため息をついてみせた。
「伯父上……前にも申し上げたが、俺は王になる気はありませんよ」
「戴冠式も終えたというのにまだそんなことを……陛下。私がどれだけ苦労して陛下をこの地位に押し上げたか、少しは考えてください」
王弟ロドリゴが突然継承争いから降りたのも間違いなく彼が何かしたに違いない。その確信があった。
全く余計なことをしてくれたものだとエーレウスはうんざりする。
「伯父上が母上の無念を晴らしたいのはわかります。でも、俺には関係のないことです」
しかし、その男は一向にとりあわない。
「何を言っても無駄です。陛下はもうこの国の国王。いつまでもわががまを言うのはおやめなさい」
話すだけ無駄だと感じたエーレウスは黙り込んでしまった。
この男の名はアルゼ・イサノ。
エーレウスの母の実の兄で彼の伯父にあたる。この国の軍務大臣だったが、エーレウスの即位とともに宰相となった。
野心家の彼は自分の妹を後宮に送り込み、妹が国王の寵愛を得られるよう手を回した。
妹が生んだのが男の子だと知ると、今度はその子供であるエーレウスを将来、王宮の要職につけようと根回しをしていたが、王太子逝去という思わぬ事態が起こり、今度は甥を王位につけようといろいろ画策したらしい。
その成果が実って、今エーレウスはここにいる。
「今日は陛下の即位を祝う宴の日。少しは楽しんではいかがです?」
イサノはエーレウスの機嫌をとろうとする。
しかし、エーレウスは笑顔ひとつ見せない。
「あそこで踊る娘はなかなか可愛いでしょう?どうです?今夜の伽に召し上げますか?」
「いらない」
「では、もう少し大人の女がお好みですか?」
「女など要らない。ほっといてくれないか」
イサノは少し困ったような顔をしていたが、やがて何か気付いたように一人うなづく。
「陛下。気付かなくて申しわけありませんでした。しばしお待ちいただきますよう」
そう言ってイサノは櫓から降りていった。
「何なんだこんどは……全く何をたくらんでいるのやら……伯父上にも困ったものだ」
エーレウスは深い溜息をついたのだった。
カイエは人ごみをかきわけつつ歩いていた。
なんとか近くで新王を見たかった。
どんな姿をしているのか?どんな顔をしているのか、知っておきたかった。
近づく方法はまだ考えていなかったが。
しかし、王を至近距離で見られる場所などそうそうない。
警備は厳重だった。
その時、背後からカイエの肩をポンと叩いた者がいた。
「君!突然で申しわけない……お願いがあるんだが」
カイエに声をかけたのは人のよさそうな中年の男だった。
不審そうに男を見るカイエに、男は弁解するかのように早口で話し始めた。
「我々は陛下に舞を献上する予定だったんだが、踊り手の少年が急病で出られなくなってしまってね……代役を探しているんだが……君、なにか踊りはできないか?」
本当に突然の突拍子もない申し出だった。
「いきなりですね……それになぜ、僕に?」
「いや、驚くのはわかる。こちらも急で困ってるんだ。実は踊り手の少年は非常に美しい子でね、それが我々の売りだったんだ。だけど、主役がいなくてはせっかくのチャンスがふいになる。我々の舞踊団の名を知らしめるチャンスなんだ。なんとか代役が欲しい……」
「はあ……」
カイエはうんざりして気の無い返事をする。
「君の容姿なら充分……いや、それ以上だ。もし、踊れないなら我々がサポートするから真似事だけでもどうにかならないか?もちろん礼金は弾むよ」
「でも……」
「後生だ!国王陛下の前で踊れるチャンスなんて滅多にないことなんだ!助けると思って頼む!」
この男の舞踊団は新国王の前で踊りを披露する……これはカイエにとっても降ってわいたようなチャンスだった。
「陛下の前で踊るって……あの櫓で?」
王宮広場に作られた大きな櫓の特設舞台をカイエは指差した。
「そうだ。陛下の間近で踊れるんだよ!うまくいけば王宮お抱えになれるかもしれない」
「でも、僕の踊りが下手だったらよけい不味いことになりませんか?」
「大丈夫だ。適当に踊ってくれれば、周りのものがうまくカバーする」
「……本当にそれでいいのかな……」
かなりいい加減な気もするのだが、それでも許されるものなのだろうか?
「お願いだ!助けると思って」
相当無理のある要求だったが、相手はよほど必死のようだ。
新王の近くにいける。いや、ひょっとしたらそれ以上のチャンスが巡ってきたのかもしれない。
幸い、カイエには神官長から習った竜王降臨祭の奉納舞『ロディアル』を踊った経験がある。人前で披露するのは初めてだが、どうにかなるだろう。
「故郷で習った奉納舞のようなものなら多少踊れますがそれでいいでしょうか?」
「かまわないよ!助かった!では一緒に来てくれ」
櫓の下には小さなテントがあり、そこが踊り子たちの控え室だった。
「まず、君の名前をきいておかなきゃね。私の名はゴンザ。ホムル=ドラゴン舞踊団の団長だ!宜しく」
「僕の名前はリ……」
そこまで言いかけたとき、その声を遮った者がいた。
「あーっ!あなた、この間ビニシウスの商都会議事務所にいた子でしょ?」
一人の少女が大声をあげてその場に割り込んできた。
「君は?」
「あたしはルナロータ。あなた確かこの間事故に遭ったミヅキ方面隊の生き残りだって言ってたよね?あたし、その時用事でたまたま事務所に行ってたんだけど、あなたたちのお話、ちらっと聞いたから……」
「え…ええ……」
「やっぱりそうだ。こんなカッコイイ子、忘れようと思っても忘れられないもん」
ルナロータはカイエにウインクしてみせた。
「ところであなた、あたしの友人を知らない?幼なじみのリドリー・レジーナを探してるの。彼は生きてる?」
想定外の事態。
まずいことになった。
まさかこんなところにリドリーの友人がいたとは。
「い……今、捜索隊が探していますよ……そのうちみつかるんじゃないかな」
カイエの胸は痛んだ。
この娘が探す幼なじみの少年はゾディア樹海で深い昏睡の眠りについている。
ここではリドリーの名前は使えない。
「ルナロータ。出番が近いんだ。後にしておくれ……えっと、名前、なんだったっけ」
「カ……カイエ」
カイエは思わず自分の本名を名乗ってしまった。まずいと思ったがもう遅い。
「姓は?」
「タ……タチバナ。カイエ・タチバナ」
咄嗟に出たのは自分と最も親しい侍従長親子の苗字だった。
「タチバナ……君はミヅキの出か?」
「は……はい。父はミヅキ人です」
「なるほど。ミヅキ人とのハーフなら美しいはずだ」
咄嗟にでまかせを言ったが信じてもらえたようだった。
「さあ、早く衣装を着て。何か小道具は必要?」
ゴンザとカイエは簡単な打ち合わせをする。
「では、剣を二本貸してください。剣舞ですから……」
「音楽は?」
「太鼓の音だけで大丈夫です。規則正しい三拍子を続けてくれれば。時々合いの手を適当に入れてくれれば何とかなります」
「了解。じゃあ頼んだよカイエ」
エーレウスは軽い眠気を催していた。
いい加減、歌も踊りも豪華な食事にも飽きていた。
そろそろ自室に戻って深く眠りたい。そう、切望していた。
しかし、状況がそれを許さなかった。宴はまだまだ始まったばかりなのだ。
「次はホムル=ドラゴン舞踊団によります剣舞です!」
(また踊りか……もう、飽きたぞ……)
エーレウスはうんざりしていた。
低い太鼓の音にあわせて、一人の少年が舞台に現れた。
つややかな黒髪としなやかな肢体の美しい少年だった。
上半身は裸で、麻の肩布を羽織っている。
両手には剣を持ち、両腕にシンプルな金のブレスレット、足には白銀のアンクレット、頭は水晶のサークレットで飾り立てているが、装飾品に頼らずとも非常に美しさの際立つ顔立ちの少年だった。
その踊りは魅力的だった。
太鼓の音にあわせ、勇壮な戦士のような力強さを見せたかと思えば、恋を知った乙女のような初々しさで繊細に舞い踊る。
両手に握られた剣は刃で出来た翼のように鋭く光り、見る者すべてを魅了した。
これこそ、ミヅキの竜王降臨祭で神官長によって竜王アヴィエールのために奉納される『ロディアル』だった。
世界で最も習得が難しく、美しい舞いとして有名だが、基本的にはアヴィエールの神官たちと王族の子弟にしか伝えられぬ舞だ。
ミヅキの王族の男子はたしなみのひとつとしてこの舞を身につける。
不測の事態で王位を継がず、神官への道へ進む時のための教育のひとつとして、王族の男子は竜王教の修道を嗜むのだ。
エーレウスはその舞いと、舞い手の少年のあまりの美しさに目を奪われた。
(へえ……綺麗な踊りだな……)
舞台はエーレウスの席の間近だった。
カイエは踊りながらも時々チラチラとエーレウスを盗み見る。
評判に聞いていた荒々しさはなく、ぼーっとした印象だった。
しかし、目は鋭いと感じた。
エーレウスの目は笑っていない。どこか醒めたような表情だ。
(ちょっとからかってみるか)
いたずら心を起こしたカイエは、いきなり剣を突き出し、エーレウスの至近距離をさっと掠めた。
間近にいきなり剣を突きつけられてもエーレウスは表情ひとつ変えない。
「陛下に何を!」
「よい。ただの剣舞だ」
近衛が動こうとしたのをエーレウスは手で制した。
(あの舞は確かどこかで見たような気が……)
舞台の袖で舞を見ていたイサノもカイエに興味を持った。
イサノは配下の者に耳打ちした。
「あの少年のことを調べて来い」




