13.「樹海の闇」
●【13.「樹海の闇」】
ゾディア地方。
旅の難所として有名なドリア渓谷とゾディア樹海がある。
周辺にはいくつか小規模の集落があったが、一年前のホムル侵攻の折に焼き払われ、住民は殺されたり拉致されたりと四散し、いまでは侵攻時に唯一住民の全滅を免れ、竜王教総本山の介入により直轄地として政治的中立地帯となった「ペタ」という小さな町を除いてはほぼ無人の地区である。
太古の時代からその姿を変えないとされるゾディア樹海はその名の示すとおり、遠くから眺めると深緑色の海のように見える。
その広大さと、昼なお暗きこの樹海はかつて『帰らずの樹海』とも呼ばれ、迷い込むと二度と戻れぬ危険な場所とされてきたが、今では道が整備され、道を外れない限り危険なことは無い。
そして、ゾディア樹海を抜けると険しい渓谷地帯がいきなり広がる。
これがドリア渓谷だ。
切り立った崖に挟まれ、その谷底をミヅキからホムルに向かって流れる広大なゾディア川が流れている。
あまりに険しいため、崖の上を歩くルートは山歩きに慣れた者しか通れない。
多くの旅人は川に沿って崖下を歩いてゆく比較的楽なルートを通り、この難所を抜けるのだ。
このゾディア川は川幅が広く、流れも速いため渡し舟も出せない。
橋も細い吊り橋が数箇所かかっているだけで、大規模なキャラバン隊ではこの橋は超えられない。
最短距離でこの川を渡るには、かなり下流まで川沿いを歩き、川幅が狭くなったところにある、大きな鉄橋を渡る以外方法はない。
ドリア渓谷が難所と呼ばれるにはもう一つ理由があった。
ゾディア川は水量が多く、比較的浅い川のため少し強い雨が降ると氾濫しやすく、鉄橋の上まで水がかぶることがある。
そのため、荒天の時にはドリア渓谷を渡れないことも多い。
そして、ドリア渓谷を無事抜ければミヅキ領は終わり、そこから先はホムル領になる。
「殿下。ゾディア地方に入ったよ。もう樹海の入り口が見えている」
リドリーがカイエに知らせに来た。
「ありがとう、リドリー」
「樹海の中で一旦休憩すると思うんで、外を見られるかどうか聞いてきてあげるよ。別れを惜しみたいんだろ?」
「ああ……すまない。頼む」
リドリーはカイエに好意的だった。
カイエはこれから実行する計画のことを考えるとリドリーに少し申しわけない気がした。
しかし、これが脱出の最後のチャンスになるかもしれないのだ。
馬車が樹海に入った。
鳥の鳴き声が時折聴こえてくる。樹海独特の冷涼な空気が馬車の中にいても感じられた。
ゾディア地方はガラール砂漠に近いこともあり、気温が高い地域だが、不思議なことにこの樹海の中だけは常にひんやりしているのだ。
「もうすぐ休憩になるはずだ」
リドリーがカイエにそう言った。
暫くすると馬車の速度が落ちてきた。そろそろ休憩場所に止まるのだろう。
カイエはころあいを見計らって行動を起こした。
「……っ……うう……」
突然カイエが胸を押さえて苦しみだす。
リドリーは慌てた。
「どうしたんだ?」
「急に胸が……く……苦しい」
「薬をもらってくる」
「待ってくれ!」
カイエはリドリーを必死で止める。
「でも……」
「これは僕の持病なんだ……小さい頃から心臓の病気を持っててね……発作を治める薬でなければだめだ」
「先頭の部隊に薬品を運んでいる部隊があるから、心臓の薬もあるはずだ。そこに行ってもらってくるよ」
「いや……ここが樹海なら特効薬はある」
「え?」
馬車を降りようとしていたリドリーが振り返る。
「この一帯にはリュウオウボクの群生地があるんだ……今なら夏の実が獲れるはず……あれなら速攻で効く筈なんだ」
「リュウオウボクだって?そりゃすごい」
リドリーの目が一瞬輝く。しかし、すぐにそれは疑問の表情に変わる。
「あれ?……でも確か、リュウオウボクはゾディア樹海にしかないと言われてるが群生地なんて聴いたことが無い」
カイエは苦しい息の下から声を出す。
「あたりまえだ……貴重な品だからな……群生地は王家の土地だ……場所は僕しか知らない」
「殿下は来た事があるのかい?」
「花見の宴を開くこともあるし、熟した実を収穫する時にも何度か訪れた」
幼い頃の幸せな記憶が蘇った。
あの頃は本当に楽しかった。父がいて、母も姉も幸せそうな顔をしていた。
だが、父は殺され、母は塞ぎがちになり、姉の笑顔は消えた。
それを思うとカイエのホムルへの憎しみはより深くなった。
「僕を連れて行ってくれ。案内するから」
「駄目だよ。場所だけ教えてくれたら俺がとってくるから。殿下に逃げられたら俺が困るんだ」
「場所は僕しか知らない。それに、その場所はとても口頭で教えられるようなところじゃない……樹海で迷って生きて出られる自信があるのか?」
「それはそうだけど」
「ここが樹海の入り口なら、場所はそんなに遠くない。こっそり連れて行ってくれ。絶対に逃げないと約束するから」
「でも……」
リドリーはまだ渋っていた。
「お前にとっても悪い話じゃないと思う。リュウオウボクの実は物凄く高く売れるだろう?」
「うーん……」
煮え切らないリドリーを駄目押しするように、カイエはより一層苦しそうな声を出す。
「うう……また苦しくなってきた。早くなんとかしないと……もたないかも……」
カイエは大げさに苦しんで見せた。
「わかった!わかったよ。ちょっとまってて」
リドリーは馬車を降りると、フード付きの黒いマントを取ってきた。そして、檻の扉を開けカイエを檻の中から出した。
「これを被って。気付かれないようにそっと抜け出そう……でも、これっきりだぞ?」
「わかってる。ありがとう」
リドリーはどこからか一頭の馬を引いてきた。
「さあ、乗って。そして体を丸めて伏せて」
リドリーはカイエの上に大きな布を被せた。一見すると荷物を積んでいる馬のように見えた。その馬を引いて、リドリーは何食わぬ顔でキャラバンの喧騒の中を歩いた。
「先発隊に頼まれた荷物を届けてきます!」
リドリーは隊の者の一人にそう声をかけてキャラバンを離れた。
「おう、お疲れさん!気をつけてな」
見回りの者らしき声は、あっさりとリドリーを通してくれた。
しばらく歩いて、キャラバンの人影が見えなくなった頃、リドリーはカイエに声をかけた。
「もう、大丈夫だよ。殿下」
カイエはそっと体を起こした。
「苦しくない?」
「あ……ああ、少し治まってる」
「じゃあ、早くリュウオウボクの群生地に連れてっておくれよ」
「わかった」
リュウオウボクはミヅキ原産の樹。
ただでさえ数が少ない上、人工的な栽培は不可能で、世界広しといえど、このゾディア樹海にしか生息しない貴重な木なのだ。
この木が貴重なのは、春夏秋冬それぞれに異なった実を実らせるという特殊な性質があるためだ。
春の実は味は悪いがどんな病気や怪我にも即効性で効く万能薬となり、夏の実は滋養に富んだ生食用となり、高級食材として高値で取引される。
秋の実は老化を防ぐ効果があり、潰して化粧品などに配合され、冬の実はたっぷりと水分を含んだ甘い菓子のようになる。
花は香り高い茶となり、葉は殺菌力が高く、傷薬になる。木には独特の芳香があり、リュウオウボクで作った家具には防虫効果がある。
リュウオウボクはミヅキにとっては貴重な木なのだ。
その群生地は王家の直轄。場所を知る者は少ない。
リュウオウボクの花は季節ごとに違う色の花を咲かせ、その花はどの季節もとても美しいが、ことに春の花が最も美しく、春には王家の近親者だけの小規模な花見の宴を開くことがある。
カイエは幼い頃に家族で訪れたこの地の記憶が強く残っていた。そして、今回の脱出にこれを利用しようと考えたのだ。
「凄い……これがリュウオウボクの群生地か」
リドリーは目の前に広がる景色に歓声を上げた。
そこには、黄金の実をたわわに実らせた低木が一面に広がっていた。
リュウオウボク独特の甘酸っぱい香りがリドリーの鼻をくすぐる。
「こんなに沢山のリュウオウボクは見たことが無いよ!これはすごい宝の山だ!」
リドリーは歓喜の声を上げる。
「これさえ食べればもう大丈夫だ」
カイエはリュウオウボクの一本から黄金色の実をひとつもいで一口齧った。
それを見ていたリドリーはホッとした顔をしている。
「この実を採ってもかまわないかい?殿下」
「ああ、好きなだけ取るといい」
リドリーは夢中で実を採り始めた。
それを横目で見つつ、カイエはあるものを探していた。
(あった……これだ)
カイエは一本のリュウオウボクから黄金色の実をもぐと、その実をじっくり調べた。そして、へたの辺りにある小さな赤い斑点を確認すると、その実を持ってリドリーのところに行った。
「よかったらひとつ食べないか?リュウオウボクの実の中でもとびきり美味しそうなやつを摘んできたよ」
「えっ?俺に?いいの」
リドリーは嬉しそうな声を上げた。
「よくしてもらったお礼だ」
「ありがとう」
「春の実はもぎたてすぐが一番美味しいんだ。すぐ食べるといい」
「そうなんだ?じゃあ、さっそく頂くよ」
リドリーは何も疑わずにその実を食べた。
「春の実はそんなに美味しくないと聞いてたけど、結構美味しいもんだね」
シャリシャリと軽い音を立てながらリドリーは実を一つ、ペロリと食べきってしまった。
「ごちそうさま……さて、実も随分採ったし、殿下も元気になったみたいだから、帰ろうか」
「……ああ」
「気持ちはわかるけど……約束だからね。殿下」
「わかってる。約束は守る」
カイエとリドリーは元来た場所へ向かって歩き出した。
「あ……あれ?……変だな」
リドリーが急に立ち止まる。
「な……なんだ……急に眩暈が……」
景色が歪む。リドリーはその場で膝をついた。
目の前にカイエの姿が見えた。
その表情はとても申し訳なさそうに見えた。
リドリーは気付いた。自分は何か毒のようなものを食べさせられたのだと。
だとしたら、さっきのあのリュウオウボクの実……。
「殿下……な……何を……俺に何を……」
「あまり知られてないことだが、リュウオウボクの群生地にはリュウオウボクそっくりの木があるんだ……リドリー。危険な実をつける『リュウオウボクモドキ』がね……」
リドリーは体の力が抜けていくのを感じた。意識も薄れていく。
「死にはしない……でも、お前は眠りつづける……トキワスレの実で」
その実は『トキワスレ』と呼ばれる特殊な毒を持った恐ろしい実。
リュウオウボクにそっくりのリュウオウボクモドキはその実もそっくりだ。しかし、つけるその実は猛毒。
一見、リュウオウボクの実と見分けがつかないが、へたのところに赤い斑点があるのが特徴。
一口食べると深い昏睡に陥る。死ぬことは無いが、何年も目が醒めない。そして、運良く目覚めたとしても全ての記憶を失うという。
「すまない。こうするしかなかった……」
完全に意識を失ったリドリーにカイエは小さく頭を下げる。
ぐずぐずしてはいられなかった。カイエは次の行動に移った。
リドリーの服を脱がせ、カイエはそれを着る。当分はリドリーに成りすますことになるからだ。
そして、カイエは最後の仕上げにかかった。
胸に刻まれた桜の花弁の痣に手をあて、強く念じた。
「僕の姿を変えてくれ……髪と瞳を黒く……肌を褐色に……ホムル人に見えるように」
体の中が熱くなる。胸の痣が痛む。
髪の色と瞳の色、そして肌の色が変わっていく。
柔らかな亜麻色の髪はつややかな黒髪に。春の野のような淡い緑の瞳は闇のような黒に。白い肌は健康そうな褐色に……。
「この時期なら必ず毎日のように春の実を収穫しに来る者がいるはずだ……うまく救助されてくれよ」
カイエは眠るリドリーに自分の服を着せる。
リドリーの身分証明書が上着のポケットに入っていた。
彼はキャラバンの連絡士の身分だった。
連絡士であるリドリーの鞄の中には、連絡隊員の常備品として筆記道具が入っていたので、カイエはその場で簡単に状況を書いた手紙をしたため、リドリーの懐に入れた。
封筒の表書きには、『この者を救助した者は、ミヅキ王宮にいるタチバナ侍従長まで速やかに連絡されたし』と書き入れた。
カイエは馬に乗り、キャラバン本体の先頭隊を目指した。
「ホムルの好きにさせてたまるものか。僕の国をこれ以上傷つけさせない!」




