11.「国境の街にて」
●【11.「国境の街にて」】
ジャラクの街はもう目の前だった。
天気は良く、中空に登った太陽は容赦なくカイエを照りつける。
早足で駆ける馬は、リズミカルな蹄の音を鳴らす。
ジャラクはミヅキの一番南。ホムルとの国境をわけるガラール砂漠に近く、まだ冬の最中とはいえ、気温はアヴェリアに比べて随分高い。
少し汗ばんできたカイエはマントを脱ぎ、やわらかな亜麻色の髪を風になびかせつつ先を急いだ。
街道沿いに見える店や通りがだんだん賑やかになってきた。
キャラバンの来訪にあわせてジャラクに市が立つのだ。あやかろうと、商売人たちがミヅキの各地から続々と集まってきている。
南の国境の街、ジャラクが近づくにつれて、周辺の集落がだんだん活気付いていくのがわかる。
キャラバンの到着は国民にとっては大きなイベントでもある。
街中には市が立ち、周辺住民だけでなく国中から商人や、欲しい品物を買い求める客がキャラバンが滞在する場所に集まるため活気付くのだ。
国交断絶前はジャラク、もしくは北の国境の街トトから入国したキャラバンが国の中の主要な街を通過していったが、今は国境の街の手前で引き返してしまう。
そのため、キャラバンがやってくる時期になると北のトトと南のジャラクに人が集中するようになった。
有名な『ホムルのキャラバン』は今や全世界に無くてはならない存在だったのだ。
領土の半分以上を火山帯と砂漠に覆われた不毛な土地で、食料の自給自足が非常に困難なホムル王国は、他国との貿易で成り立っている国家だった。
ホムルの初代国王は、どう頑張っても自給自足が困難なこの土地で生きていくには各国との貿易で外貨を得るぐらいしかないと考えた。
そこで、早々に各国と貿易に関する条約を結んだのだ。
キャラバンと呼ばれるこの大掛かりな隊商は、ホムル王国の国民の約四割が所属する大規模なもので、全世界に散らばっている。
いわば商売の代行業だ。各国の特産品をはじめとした様々な商品を買い取り、他の国より買い付けた商品を販売する。
キャラバンは物産品以外のものも取り扱う。
要人を護衛して他国へ送り届けることも請け負うし、個人あての手紙や荷物を預かることもある。情報や技術者、娯楽を運ぶこともある。
金しだいでは非合法なものを運んだり、取引することもある。
もちろん表向きでは公表されていない事実ではあるが。
キャラバンの組織は実に細かく分かれていた。
世界を西から東へ回る『西方巡回隊』、逆に東から西へ巡る『東方巡回隊』それ以外にも特定国との取引を目的としている『指定国隊』、旅人を輸送する『旅客隊』、各キャラバンの連絡を受け持つ『連絡隊』、護衛専門の『護衛隊』などの沢山の小隊に分かれていた。
ミヅキは一年前、ホムルとの国交を断絶したため、首都アヴェリアにキャラバンが入ることはできない。
しかし、多くの商品を扱うホムルのキャラバンを完全に拒否することはできなかった。それはミヅキにとっても困るのだ。
そこで、南の国境の街、ジャラク、北の国境の街トトの近くにのみキャラバンが滞在することを許可した。
商売は国外で行われることになったのだった。
ホムルのキャラバンを危険視する理由はもうひとつあった。
この集団は隊商であると同時に、軍事国家であるホムル軍の分散した旅団ではないかとの懸念は昔から各国で囁かれていた。
キャラバンはその隊員構成が軍隊の構成に酷似している。また、戦闘能力の高い者が多く所属しているところから、その気になれば隊商から一転して集結し、大規模な師団になる可能性を秘めている。
これだけの大人数、さらに各国の情報を持つこの集団はその気になれば軍事活動だって簡単だろう。
もちろん、各国とホムルとの間に取り交わされた条約で、軍事活動およびそれが疑われる行動は一切しないということになっているが、それはいつ破棄されてもおかしくはないのだ。
カイエがジャラクの街に入る頃にはすでに夕刻だった。
カイエは馬から降り、馬をの手綱を引きながら暗くなり始めた街を歩き始めた。
正直なところ、カイエは困惑していた。とりあえずジャラクに着いたものの、これからどうしたものかと。
キャラバンはジャラク市外に既に到着していたが、市が開くのは明日の朝。
カイエは当面はジャラクの市街を少し歩いてみることにした。
勢いで王宮を出てきたものの、実際はどうすればいいのかまでカイエは考えていなかった。
「せめて、ジャノたちにもう少し情報を聞いてくるべきだったな……」
カイエは自分の思慮の足りなさを恥じた。ラドリの前で吐いた大言、桜翁に得意げに語った自分の主張が今になってとても恥かしく思えた。
しかし、悔やんでいても仕方がない。何も成果を得られず今さら帰るわけにはいかなかった。とにかく、情報を集めなければならない。
父を射た矢のことは頭に焼きついている。赤い羽根のついた矢で、羽の根元には三本の黒いラインが入っていた。
同じ矢を探せば何か手がかりがあるかもしれない。
だが、そんな無計画な行動は無謀なだけだった。
弓矢を売っている店を何軒か訪れてみたが、王宮育ちでまともに買い物もしたことがないカイエは商品の見方すら知らなかった。
商品として陳列されている弓矢を見ても、どれも違うものばかりだった。
そして、弓矢を扱う店は星の数ほどあったのだ。とても一人では回りきれなかった。
そんなカイエを物陰から視線で追う男がいた。
カイエの姿を見失わぬよう、その男は一定の距離を置いてカイエを追った。
男の側にもう一人、別の男が近寄ってきた。
顔が見えないほどに深く黒いフードを被った長身の男性だった。
「あれに間違いないのか?」
黒いフードの男はカイエを見張っていた男に確認した。
「間違いないです。あれが、王太子っすよ」
「よし。では、行動に移れ」
「了解」
フードの男はすぐにその場を立ち去り、もう一人の男は引き続きカイエを尾行した。
夜が更けてくると、賑やかだった街も少し落ち着いてくる。
商店は店じまいをはじめた。明日からが市の本番であり、早めに店じまいをする店も多かった。
カイエはとりあえずどこか宿を探すことにした。
もちろん、カイエは一人で宿に泊まる手続きなどしたことがない。とはいえ、ここで野宿というわけにもいかない。
街道を馬で走っていた時には各所に点在する竜王堂に立ち寄り、そこに宿を求めることができた。
本来、修道のために各国を旅する竜王の神官の為に全世界に建てられた竜王堂は、身分や出自を問わず、救いを求めた者なら誰にでも無償で宿と食事を与えてくれる救護施設としての一面を持ち、長距離を旅する旅人にとってもありがたい施設だ。
しかし、ここには竜王堂はない。
竜王堂は基本的に、街や集落のない辺鄙な地域に建てられるからだ。
まるで初めて大都会に出てきた田舎者のようにきょろきょろとしているカイエは周囲にはかなり不審に見えたらしい。
すれ違う人の目がなんとなく胡散臭そうにカイエを一瞥する。
「何かを、お探しですか?」
人のよさそうな男がカイエに声をかけた。
「このあたりは夜は何かと物騒ですよ。坊ちゃんのようにキョロキョロしながら歩いてたらロクな目に遭いやせんぜ」
「僕、宿を探しているんですが……なにぶん、この街は初めてで」
「それなら、安くていい宿を知ってますよ。ご案内しましょうか?」
「お願いします」
不慣れな街で出会った見知らぬ人物の言葉など信用してはならないというのは、この国では小さな子供でも知っている。
しかし、不幸なことに安全な王宮育ちでそういう危険には殆ど無縁だったカイエは男の言葉を何も疑わなかった。
『銀鱗亭』
案内された宿の看板にはそう書かれていた。
「ここは俺の知り合いのやってる宿っすけどね、安くていいサービスっすよ。食事もなかなかです」
「ご親切にありがとうございます」
カイエは男に丁寧に礼を言った。
中に入ると、男は受付に居た太った男に声をかけた。雰囲気からして宿の主人のようだった。
「ゲオ。お客を一人案内してきたぜ。この街が初めてだそうだ。丁重にもてなしてやってくれ」
「よろしくおねがいします」
「お客さん。ここは宿屋だよ。そんなにかしこまるこたぁねえ。でもまあ、こうやって丁寧に挨拶してもらえるのは嬉しいもんですな……こちらへどうぞ。とびきりいい部屋へ案内しましょう」
ゲオと呼ばれた太った男はカイエを案内してきた男に目配せした。
「じゃ、俺はこれで」
男は宿屋から出て行った。
宿の外には先ほどの黒いフードの男がいた。
「うまくいったか?」
「ちょろいもんです」
「では、手はずどおりに」
「へい」
カイエが通された部屋は立派な部屋だった。
おそらく、この宿で最上級の部屋だろう。
所持金の心配はなかったが、なんとなく不審な感じもしていた。
「長旅お疲れ様でした。さあ、お茶をどうぞ。お客様」
ゲオが暖かな湯気を立てるお茶を運んできた。
「お茶など頼んでいないよ?」
「これはサービスですよ」
「なら頂くよ。ありがとう」
ゲオが部屋を出た後、カイエは出されたお茶を飲みながら独り言をつぶやく。
「うーん……お金を多く持っているように見えたのかな……?できるだけ質素な身なりをしてきたつもりなんだけどな……」
出されたお茶は銀薄荷茶だったが、いつも飲みなれているものに比べて味も香りも悪く、ずいぶんと苦味が強かった。
「まあ、サービスのお茶ならこんなものか……」
カイエはいつもマリカがいれてくれた美味しいお茶のことを思い出していた。
当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前ではないことにカイエは気づく。
高級な茶葉も、珍しい甘い菓子も王太子の身分がもたらすもの。自分が庶民の生まれであれば、今飲んでいるこのお茶の味が普通なのだ。
しばらくすると、慣れぬ旅の疲れがどっと出たのか、耐えがたい眠気がカイエを襲ってきた。
食事もまだだったが、とりあえず一眠りすることにして、カイエは着替えもせずにベッドに横たわった。
突然の息苦しさでカイエは目を覚ました。
体が縛られていた。口には猿轡が噛まされている。
頭がぼーっとして、全身が痺れたような感覚がある。
何が起こったのか全く理解が出来なかった。
揺れを感じた。
馬車かなにかの中にいるようだった。
「うー」
カイエが発したうめき声に気づいた男が声をかけた。
「お目覚めですかな?王太子殿下」
先ほどの太った宿屋の主人だ。その後ろにはカイエに声をかけて宿に案内した男もいる。
油断していた。
自分は何かの罠にはまったのだ。
苦味が強いあのお茶には何かの薬が仕込まれていたに違いない。
「うー!うーっ!」
カイエはもがき暴れたが、体はいう事を聞かず舌は痺れてものも喋れない。
「あるお方からの指示でしてね……王太子殿下が国にいられては困るのですよ。なあに……命まで取りゃしませんって。殿下を買い上げたいという方がいらっしゃるんでね。そこへ行って貰うだけですから」
王太子の誘拐。
我ながら大それたことをしたものだ……ゲオはそう言いながらも内心は少しまだびくついていた。
(でも、いざとなったら自分の身はあの方が護ってくれる……俺は早々にミヅキを出ればいいことだ。どうせこの国は戦場になるのだしな……)
そう思い込むことでゲオは開き直ることにした。
カイエを乗せた馬車は、ジャラクの街門を出て、とある場所に向かった。
沢山のテントや馬車の群れがいた。黒字に赤の刺繍で翼を持つ馬の姿の意匠が縫い取られていた。
翼を持つ馬はホムル王国キャラバン隊の紋章。
カイエが連れて行かれたのは皮肉にも、彼が目指していたホムルのキャラバンだった。




