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The Legend of Dadegea 第1部 空色の翼  作者: 鷹見咲実
第1章 復讐の王太子
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10.「桜翁」

 ●【10.「桜翁」】


 ジャラクまでの旅は順調だった。

 途中の街で丈夫な馬を一頭買い、寄り道もせず街道をただひたすら走った。

 少しでも早くジャラクにたどり着き、キャラバンの情報を得ておく必要があった。そして、もうひとつ目的があった。『桜花の森(おうかのもり)』を訪ねることだ。


 ジャラクまであと数キロという場所までカイエはたどり着いた。

 ここで、道は二つに分かれている。

 一方はジャラクへ向かう道。もう一方は『桜花の森』へ繋がる道。

 カイエは桜花の森へ向けて馬を進めた。


『桜花の森』


 その森にはいろいろな言い伝えがあった。

 季節はずれの桜が咲いたり、晴天の日でも森の周りだけが霞に覆われていたり、妙な声が森から聞こえたり。

 誤って迷い込んでしまった者が二度と戻ってこなかったり、何年も前に森へ迷い込んだ者が、記憶をすっかりなくした状態で生還したり。

 とにかく不思議な言い伝えが絶えない場所だった。


 この国に生まれた者なら誰でも知っている『桜翁(さくらおきな)の伝説』。



 その体は後足で立った小熊より小さく


 その髭は体の倍の長さ


 矍鑠(かくしゃく)とした好好爺(こうこうや)のごときその姿


 酒を好み、舞を好み、一陣の風と共に空を飛ぶ


 されど、ひとたびその怒りに触れれば、世界中の草木は全て死に絶える


 契約と監視の女神の忠実なるしもべであり


 草木の王にして桜花の長たる桜翁



 桜翁は女神デーデに仕える忠実なしもべ。

 その正体は竜王達が戦った時代から生き長らえている長寿の桜の老妖精。

 彼は、この世界全ての草木の王でもあった。

 桜翁が命じれば、どんな苗木も一夜にして巨木となり、またどんなに元気な草木も一瞬で枯れてしまう。

 酒と舞をこよなく愛し、機嫌がよければ、季節に関係なく桜の花を満開に咲かせたりする。

 これは『桜翁の酔狂』と呼ばれ、滅多にない慶事とされている。


 だが、その姿を実際に見た者はなく、いろいろと不思議な現象が起こる桜花の森は危険だという理由で立入が禁じられている。


 やがて、桜花の森が見えてきた。

 すでに夕刻で、茜色の夕陽の光が森を照らし、鮮やかな緋色に染め上げている。

 (からす)の群れが一斉に森の方向から飛びたち、黒々とした深い森は一層不気味な雰囲気を纏う。


 覚悟は決めてきた。

 だが、心の底に僅かにだけ残っている、小さな怯えがカイエに森に入ることを躊躇わせる。

 カイエは一瞬、森に入るのは翌朝にしようかとも考えたが、そんな時間は無かった。


 馬を降り、森の入り口の木に馬を繋ぐと、カイエは背負った麻袋からラドリに貰った小瓶を取り出した。

 すると、突然小瓶の中の桜色の液体が淡く輝きはじめ、まるでランプのようになった。

 カイエは灯りがわりに小瓶を掲げ、すっかり暗くなった森の中に入っていった。


 生暖かい風が、カイエ深緑色のマントをなびかせる。

 (ふくろう)の鳴き声が時折聞こえる。名も分からぬ獣の息遣いも感じる。

 油断すればいきなり背後から襲い掛かられるかもしれない。

 恐怖がカイエの心を圧し潰す。だが、引き返すことはできない。

 彼の足に絡まる名もない下草は、革のサンダルを履いただけのカイエの素足を、ささやかなトゲで時折チクチクと刺す。

 その僅かな痛痒さが、不安と心細さをより一層刺激し、カイエは引き返したい衝動に何度も駆られるが、その度に勇気を振り絞り、暗闇の中を森の奥に向かって進む。


『よそもの、よそもの。たちさるがいい。ここはさくらおきなのもりだ』


 突然、幼い子供の声がカイエに語りかけた。

 どこから聞こえるのかはわからない。足元からのようにも聴こえたが、姿は無い。


『よそもの。そのびんをおいてかえれ』


「いいえ」


 カイエはラドリに教わったとおりに答えた。


『せかいにふたつとないたからものをやろう。このせかいでいちばんうつくしいほうせきをやろう。ほしいだろう?』


「いいえ」


『さくらおきなさまはおまえをころしてたべてしまうぞ。にげたほうがいい』


「いいえ」


『どうなってもいいならさきにすすむがいい』


 子供の声は聴こえなくなった。


 暫くすると、低い男の声が聞こえた。


『そのびんをおいてもりからでていくがいい』


「いいえ」


『えいえんのわかさと、えいえんのいのちをやろう。ほしいだろう?』


「いいえ」


『このさきにすすむとおまえはしぬぞ。しぬのはいやだろう?』


「いいえ」


『ではしぬがいい』


 目の前に突然巨大な異形の獣が現れた。

 獅子の頭、熊の腕、蛇の尾を持ち、血のような真っ赤な目でカイエをにらみつけた。

 獣が吐き出す息は瘴気を帯びており、カイエは恐怖と息苦しさを感じた。

 しかし、それでもカイエは平静を装い、獣を避けて前に進もうとした。

 前に出そうとする足が震えているのが自分でもわかる。


 カイエにはわかっていた。

 これはきっと桜翁が自分に与えた試練の一つ。

 伝説の妖精はどこかで自分を見ているに違いない。

 恐怖していることをこの獣に悟られたら終わりだ。こいつはすぐに襲いかかってくるだろう。

 認められなければ本当に自分はここで命を落とす。

 そんな気がしていた。


『びんをおいてたちされ。さもなくばおまえをころす。おまえはいきてかえりたいだろう?』


「いいえ」


『ではのぞみどおりおまえをころしてやろう』


 突然、異形の獣の巨大な腕がカイエに振り下ろされた。

 避ける余裕はなかった。


 僕はここで終わりなのか……。


 カイエは思わず目をぎゅっと閉じた。



 衝撃はなにも来なかった。


「やれやれ……強情だの。一体誰に入れ知恵をされたのやら」


 しわがれた声がカイエの足元で聴こえた。

 カイエはそっと目をあけて、声のするほうを見た。

 とても小柄な老人が、にこにこと笑ってそこにいた。


 小熊と同じくらいの小さな姿。

 身長の倍はある白く長い髭。

 純白の髪は頭頂部で綺麗に結ってあり、結び目は小さな桜の枝で止めてある。

 身にまとう衣装は、古代の彩岩楼皇国(さいがんろうこうこく)の民族衣装に似ている。

 白を基調とした長衣。一見質素に見えるが、金糸の見事な刺繍が施されている。

 手には先が丸くなった杖を持っていた。

 桜翁は語り継がれている伝説そのままの姿だった。


「ようこそ桜花の森へ。竜王アヴィエールの国の王太子よ」

 安心して気が抜けたのか、カイエはその場に座り込んでしまった。





「この森へ人が入ってきたのは何百年ぶりかの……」


 カイエはいつのまにか桜花の森の中央にたどり着いていたのだ。

 カイエがいたのはひときわ大きな桜の巨木の前だった。

 あの異形の獣の姿はなかった。


「あれは(わし)が見せた幻じゃ」

 桜翁はそう言って笑った。

「この森に迷い込んでくる者は後を絶たない。また、ありもしない財宝を求めて入ってくる欲深い者もおる。だから、ちょっとした用心じゃ」

 桜翁はちょうどカイエの目の高さぐらいの桜の枝に腰掛けると、カイエの瞳を覗き込むようにして言った。


「さて、その小瓶は誰から託された?」

「僕の師です」

「お前の師の名は?」

「ラドリ・フェット。ミヅキ魔道士団の長です」

「ほう……お前はラドリの弟子か。そういえばもう、長いこと会っておらんな……あれは元気にしておるかね?」

 桜翁は懐かしそうだった。

「桜翁様は先生をご存知なのですか?」

「あれとは浅からぬ仲じゃ……まずは話の前にそれを先に渡してもらおうかの。儂はさっきからそれが気になって仕方がない」


 カイエは小瓶を桜翁に渡した。

「桜翁様。それはいったい?」

「酒じゃ」

 桜翁は小瓶を手に取ると、満足そうに瓶を眺めていたが、すぐにその瓶の底の裏側に何か書かれているのをみつけた。

「短い手紙がついておるな……ふむ」


 カイエはそれが文字だということを初めて知った。瓶底に何か模様が描かれていたのは知っていたが、どうやら桜翁に宛てた短い手紙だったらしい。

「ラドリのやつめ……面倒を儂に押し付けおったな」

 そう言いつつも桜翁が小瓶を開けると、あたり一面に馥郁(ふくいく)たる香りがたちこめた。


「数多の花や香草、果実などを絶妙な配合で漬け込み、魔道の力で仕上げをし、長い時間熟成させたソーナ族秘伝の花酒……儂の好物じゃ……しかもこれはよく熟成されておる。色からして五十年ものってところかの……これを譲ってもらったからには儂もお前さんの願いを聞いてやらねばならん」


 桜翁は淡い桜色の液体を一口飲んだ。

「ああ……これじゃ。やはり美味いのう」

 桜翁は目を閉じ、ふーっと長い息をついた。

「あの……桜翁様」

 カイエは戸惑っていた。


「お前の願いは言わずとも儂にはわかるぞ……国を守れる立派な王になりたい……そんなところか?」

「はい」

「でも、それは偽りであろ?」

 桜翁はいたずらっぽい目をして笑う。

 カイエは心を見透かされたような気がしてぎくりとした。


「お前の本音は儂には見えておるぞ?……父親の仇を討ちたい。自分に何も教えてくれなかった者たちを見返してやりたい。自分は護られてるだけの無能者ではない……そうじゃろ?」

「ちがいます!断じてそんな!」

 カイエは必死に否定する。


「若いのう……ああ、でも儂の前でそんなに格好つけなくてもよいぞ。今のお前さんは儂からすれば滑稽にしか見えん」

 桜翁はさも愉快そうにコロコロと笑う。

 カイエは少しムッとした。


「のう、王太子カイエよ……人間の心というのはとても自分勝手に出来ておる。どんな聖人君子でも欲望はあるし、憎しみも妬みもある。人にいいように思われたいと思うのは人間であれば当然のことじゃ。そして、本音を語ることは恥ずべきことではないぞ」

「僕はそんなこと思ったことなど……」

「では気付いていなかっただけじゃ。思い込もうとしておるだけじゃ……儂に嘘は通用せぬぞ?どうじゃ?本音を言うてみなされ。少しはそう思っていたのではないかね?」

 カイエは暫くうつむいていたが、やがてこくりとうなづいた。


「僕は……父上が好きでした。父上を殺した奴を同じ目にあわせてやりたいぐらいに憎んでいます。エフィたちはよくしてくれたけど、いつも僕を子ども扱いする……僕は今までずっと過保護に扱われました」

「実際お前さんは子どもじゃ。周りの対応は当然のことじゃ」

 桜翁はつまらなそうに小さなあくびをする。


 子どもだと思っておざなりに扱われているのかと、カイエはムキになってさらに言葉を続ける。

「でも、僕はもう十六歳。子供じゃありません!自分で自分を護れないほど弱くはないと思っています。それに僕は次の国王です……自分の思ったとおりに好き勝手に動いてはいけないということぐらい判ってます。臣下たちの言を聞き入れ、聡明で立派な王にならなきゃいけないという自覚もあります。僕はもう、誰の力を借りずともなんでも一人でできます!」


「……つまらん」

 桜翁は吐き捨てるように言った。

「ムキになって反論するあたり、お前さんはまだまだ子供じゃよ」

「でも!」

 桜翁はカイエに諭すような口調で話す。

「父親の仇を討ちたいじゃと?仇討ちは何も生まないぞ?」

「わかってます。だから……」

「でも、憎しみはやはり止められない……違うかね?」

 カイエは黙り込む。


「ほれ。それが子どもの考え方だというのだ。思慮が浅く、感情に支配され、目先のことにしか頭が回らん」

「では、今までの僕の行動は間違いだったと桜翁様はおっしゃりたいのですね」

 悲しそうな表情をするカイエを突き放すように、桜翁は手厳しい。


「仇討ちの良し悪しなど儂はその是非は問わぬ。お前の動きたいように動くがいい。それが正しい道であったか、誤った道であったかは結果が全てを物語る。これはお前の問題であって、儂の知ったことではない」

「桜翁様は無責任だ!」

 思わず激昂したカイエに、桜翁は言い放つ。

「そうだとも。お前の人生じゃ。誰のものでもない。全てを決めるのはお前自身。そしてその結果が悪くても、それはお前の選択の結果じゃ。儂に責任を問うてはならん」

「それじゃ僕は何のためにここに来なきゃならなかったんだ!こんなことを言われるためじゃない!」

 カイエは怒りと落胆で体の力が抜けるようだった。


「お前がここに来たのはラドリに言われたからじゃろ?」

「そうです」

「ここに来れば、ラドリが何かお前を助力するものを用意してくれていると思ったからここに来たのじゃろ?」

「……そうです」

「お前は先ほど、誰かに助けられなくてもなんでも一人でできると言ったではないか」

「……あっ……」

「結局、お前はラドリに助けられているではないか」

 カイエはその時、桜翁が何を言いたかったのか、なぜカイエを怒らせるような言い方をしたのかを理解した。


「……ごめんなさい……やっぱり僕は子供でした」

 自分でなんでも決めて、誰にも甘えず、自分で決めたことは自分で責任をとる。

 それができてこそ、本当に大人になったということ。

 だけど、自分は自分の感情を優先するあまり、全てを投げ出しこっそりと王宮を離れた。

 王太子失踪の言い訳をラドリに押し付け、あまつさえその助力を受けた。

 何も成長していない。

 護られるだけ、面倒なことは尻拭いをしてもらう、ただのわがままな子供じゃないか……。


 現実に向き合い、打ちのめされそうな気分のまま、カイエは泣きそうな声で言った。

「僕はこれから一体どうすればいいのですか?」

「まずはよく考え、そして思い通りに行動してみることじゃ。自分の立場はとりあえず今は忘れるが良い。今のお前は王太子ではなく、ただの十六歳の少年じゃ」

 カイエはうなだれたままだ。

「誰かに助力を乞うことは恥ずべきことではない。自分で決め、自分で責任をとることのできる大人の周りにはおのずと自ら手助けを申し出る者が現れる。ラドリはお前にそれを教えたかったのだと儂は思う」

「はい……」

「お前の良き師に感謝することだ」

「……はい」


 夜の桜花の森は静かで、時折冷涼な風が吹く。

 今はまだ冬の終わりの頃。

 桜の季節にはまだ少し早い。桜翁が守る桜の木も黒々とした枝ばかりの状態だ。


「カイエ。お前はまだこの桜の木と同じようなものじゃ」

 桜翁は背後の桜を指差す。

「春を待ち、体に力を蓄えて花咲く時を待つばかりの頃じゃ……でも、見てごらん。あちらこちらにまだ小さくて硬いが、蕾が出てきておる」

 巨大な桜の木をよく見てみると、枝には小さく硬く閉じた蕾が無数にあり、根元にはいくつもの(ひこばえ)が力強く伸びてきている。


「冬の樹は一見寒々しく枯れたようにも見える……じゃが、その体のうちには新芽を芽吹かせ花を咲かせるための大きな力が秘められている一番力強い時期でもある。お前の中にもその力がある……芽吹き、美しい花を咲かせ、やがて素晴らしい実をつけられるかどうかはお前自身にかかっておるのじゃ」

 ラドリは愛おしそうに桜の木を撫でる。


「僕にもできるでしょうか?」

「大丈夫じゃ……ラドリはお前にその力があると見込んでお前をここへ寄越したのじゃから」

 桜翁は長い髭を撫でつつ、満足そうな表情でまた酒を一口飲んだ。

「全てはお前次第じゃ。ラドリは儂にお前の望みを叶えて欲しいと望んでいる。それがよき事であれ、悪しきことであれ、儂はお前の力になろう」

 桜翁は懐に手を入れると、小さな一枚の桜の花弁を取り出した。


「胸元を少し開けてくれ」

 そう言って、桜翁はカイエの上着を脱がせると、先ほどの花弁をカイエの胸の中心に貼り付けた。

 それは、次の瞬間、桜の花弁の形の薄赤い痣となった。


「これは儂のおまじないじゃ……望みがあればその痣に手を当て、念じるがいい。すべてお前の望むとおりになろう」

「どんな望みでも叶うのですか?」

「大願成就…というわけにはいかんが、とりあえず目先の小さな望みは叶う」

「どんなことでも……ですか?」

「そうじゃ……願えば人を殺すこともな」


「殺す……こともできると……」

 カイエはゴクリと唾を飲み込んだ。

「ただし、このまじないで叶えられる願いは五度までじゃ。そして、無茶な願いをすればそれだけのしっぺがえしがあることを忘れてはならない。願いが聞き入れられればその痣は少しづつ薄くなる。消えてしまえばそれでおしまいじゃ」

「しっぺがえし?」

「そうじゃ……大願には大厄……今ここで父の仇を殺せと願えばそれはすぐに叶うじゃろう。だが、その代償は大きいぞ……たとえば、大切な誰かの命とかな……だから、よく考えて使うがいい」

「はい」

「何か困ったことがあれば、いつでもここへ来るが良い。桜花の森はもうお前を拒まぬよ」


 桜翁はそう言うとふいと姿を消し、あとにははらはらと桜の花弁が散った。


「ありがとうございます。桜翁様!」



 カイエが森を出ようとした時、背後から声が聞こえた。


「できればうまい酒の手土産を待っておるぞ」


 カイエは振り返り、深くお辞儀をした。


「はい。ソーナの花酒ほどのものはご用意できないかもしれませんが、ミヅキの酒の中でも最上級のものをお持ちしましょう」

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