9.「旅立ち」
●【9.「旅立ち」】
音も光もない空間の中で、カイエは考えつづけた。
最初の何時間かは焼け爛れるニーノたちの苦悶の表情が脳裏から離れず、後悔と恐怖の念に怯えた。
少し落ち着いてくると冷静になった。
そして、自分のしたことについて考えた。
自分はこの国の王太子として本当に正しい行動をしていたのか?
どちらかといえば内罰的な性格のカイエは、自分が悪いのだと思い込む傾向がある。
自分の行動を正しいと本当に思えるのか?
間違ってはいなかったか?
その選択は本当にその場にふさわしい最良のものだったか?
考えれば考えるほどカイエは迷いにはまり込んでゆく。
強力な魔道の恐ろしさ、そしてそれを安易に使った自分の愚かさを恥じ、自分で自分を激しく責めた。
ラドリが「即位したら魔道は封印するように」と命じた意味が痛いほどよくわかった。
このような恐ろしい結果になりうるからだ。
ニーノたちが悪人とはいえ、本来責めるべきは彼らが犯した罪であり、それは司法によって正しく裁かれねばならない筈だ。
たとえ王太子の立場であっても、個人的な怒りの感情に任せて強力な魔道の力で彼らを苦しめることは許されない。それを許しては司法は意味を失ってしまう。
そうだ、自分も彼らと同じく裁かれるべきなのだ。
しかし、現在この国に王太子を罪人と同列に断罪できる人間がどれだけいるだろう?
カイエは冷静に考える。
エフィをはじめとする、カイエの庇護者たちは必死でカイエを守ろうとするだろう……では、自分は誰によって裁かれるべきなのか?
カイエはそんなことを延々と考え続けた。
このまま、この音も光も入らぬ暗闇の中で溶けてしまえればどんなに楽だろう。
カイエの心はすっかり疲弊していた。
暗闇の中の反省の時間はまだ終わらなかった。
七日間が過ぎ、カイエの入っていた魔法陣の戒めが解けた。
明るくなった目の前には白衣の魔道士がいた。
「お疲れ様でした、殿下。階下にお迎えの近衛が来ております」
迎えに来た者たちの顔には見覚えがあった。
「あっ……お前達は」
そこにいたのはジャノ・ヒノキとロニル・カリンだった。
「タチバナ師団長のご命令で殿下をお迎えにあがりました」
「そうか……ありがとう」
まだ、ぼんやりした頭を軽く振ってカイエは二人と共に歩き出す。
「殿下。気になる情報を得ました」
ロニルがカイエの側に少しだけ近づき、抑え目の声で言った。
「なんだ?言ってみよ」
「先日捕まった、赤鷲のメンバーがあるものを持ってましてね」
「あるもの?」
「ええ、国王陛下を射た矢と同じ矢を」
「なんだって?」
カイエは驚きの声を上げた。
「その話を詳しく聞かせてくれ」
カイエは少しロニルの側に寄った。
「はい……その男が言いますに、その矢は赤鷲のメンバーがある男に頼まれて調達したものと同じものだとか。殺傷能力に特化した特殊なものなので、同じものは殆ど出回っていないそうです。で、その男はホムルの訛りがあったそうです」
「エフィたちはこのことを?」
「知ってても殿下には敢えて伝えないんじゃないですかね……殿下を危険な目に会わせかねない情報ですから」
カイエの表情が一瞬暗くなる。
それを見て、ロニルはニヤリとした。
「そういえば、もうじきジャラクの街近くにホムルのキャラバンがやってきますな……あれに紛れ込めば、ホムルに潜入して、首謀者を捕まえることができるかも」
「よさないか!ロニル!」
ジャノ・ヒノキが割り込んだ。
「殿下、今のはロニルの戯言です。失礼致しました」
この話はカイエをミヅキ国外におびき出すロニルの企み。
「赤鷲のメンバーの話」というのは大嘘だ。
ロニルはジャノの手引きで再び近衛兵になりすまし、カイエの迎えを装ってここへ来た。
確かにエフィは二人の近衛兵にカイエを迎えに行かせる命令を出したが、ジャノは口実をつけて命令された二人と代わったのだ。
だが、借金のカタにロニルの言いなりになっているものの、彼も近衛の一人として長く宮廷に仕えてきた身だ。
さすがに王太子を何度も騙すのは心苦しくなっていた。
「さあ、着いたぞロニル。我々も持ち場へ戻ろう。では、殿下。私たちはこれで失礼致します」
ジャノはカイエに一礼するとロニルの背を押し、カイエから引き離すようにして離れていく。
ロニルが振り返りつつ叫んだ。
「キャラバンがジャラク近郊を通りがかるのは来週日曜日ですよ!殿下」
「どういうつもりだ?ジャノ坊ちゃんよ」
ロニルはジャノを睨みつけた。
「もう、これ以上殿下を欺くことは俺には出来ない」
ジャノは表情を硬くし、ロニルにはっきりとそう言った。
「借金がお前の父上にばれてもいいってわけだな?」
「何とでもしてくれ……もう俺は降りる。借金のことも父上に正直に話して、近衛も辞める」
「それで済むと思ってんのか?お前」
ロニルはチッと音を立てて、あからさまな舌打ちをする。
「破滅は承知の上だ。お前らの企みもタチバナ師団長に報告するからな」
ロニルの声が少し低くなる。
「そうかよ……じゃあ、勝手に一人で破滅してな」
ロニルはジャノを自分の側に引き寄せたかと思うと、隠し持っていた短剣でジャノの胸をいきなり刺した。
「う……」
ジャノはその場に崩れ落ちる。
「お前は知りすぎたんだよ……ちょっと早いが、破滅してくれ」
自室に戻ったカイエは考え込んでいた。
確かに、おかしな話だった。
なぜ、大切な情報が自分にだけ伏せられていたのか?殺されたのはカイエの父親なのに。
ホムルにこの国が狙われていることは知っていたが、細かいことは殆ど教えられていなかった。
子ども扱いされている歯がゆさや、不信感。
自分はこの国の次の王なのに。
何も聞かされず、面倒なことからは遠ざけられ、ただ護られているだけというのは何かが違う。
やはり、王太子としてエフィたちにまだ信頼されていないということなのか。
姉が襲われたときも、自分の力が足りなかった為に姉を危険な目にあわせてしまった。
殿下と呼ばれ、臣下にかしずかれる身分。
しかし、自分では何もしていない。何もしていないのに、ただ、王の子であるというだけで本当に国を治める立場になってもいいものなのか?
カイエの疑問は頂点に達していた。
それから二日。
あと五日でジャラクの近くをキャラバンが通りががかる。
アヴェリアからジャラクまで、馬で二日。徒歩なら三日と半日。
カイエの心は決まっていた。
夜更け。
カイエは魔道士団本部のある、北門の近くにいた。
深夜、ここは一番警備が緩やかになるのだ。
そっと抜け出してジャラクへ行く。カイエの決心は決まっていた。
父の仇討ちとまでは考えていなかったが、とにかく情報だけでも得て戻ってくるつもりだった。
カイエは来年戴冠式を迎える。
何もしないで王になりたくはなかった。
怪しまれないよう、カイエの姿は簡単な旅装だった。
スートと呼ばれる全身を緩やかに覆うタイプの長衣を着て、フードつきのマントを羽織った。いくばくかの現金と水や食料の入った麻袋を背負い、護身用の短剣を懐に忍ばせた。
北門の近くの植え込みに身を潜め、カイエは時期を待った。
北門は他の門と違い、不寝番がいない。門の近くの詰所に当番の魔道士が二人いるだけだ。魔道を使える彼らは門番のように常に門の前で警戒している必要はない。
いざという時には彼らは一人で一個連隊なみの力を持つ。
そして、彼らが交代する一瞬の時間だけ、詰所が空になるのだ。
交代要員のいる、魔道士団本部と詰所を繋ぐ渡り廊下は徒歩一分もかからないが、その間に門まで最短距離で走れば門を出ることができる。
チャンスはその瞬間だとカイエは考えていた。
詰所から白のローブ、黒のローブを着た二人の魔道士が出てきた。
「今だ!」
カイエが行こうとしたその瞬間、カイエの背後から聞きなれた声がした。
「殿下。今夜はいい月が出ていますな……でも、月見は門の外でするものではないでしょう?」
いつのまにか、カイエの背後にラドリが立っていた。
「決意はかわらない……ということですかな」
「はい、先生。行かせてください」
結局、カイエはラドリに自分の決意を話すことになってしまった。
「殿下は国王になられる方なのです……その自覚をお持ちですか?」
まるで値踏みをするかのような視線のラドリに、カイエは真っ直ぐな視線を返した。
「わかってます。先生。でも、何もせず、何も知らぬ王に僕はなりたくない」
「仇討ちを考えておられるならそれはおやめください。復讐は復讐しか呼びません」
「仇討ちのつもりはありません。ただ、何が父上を殺したのか、国にとって本当の敵が誰なのかを僕は知りたい。護られているだけなんて嫌なのです。僕は自分のこの手で国を護れる王になりたいのです」
カイエの目は澄んでいた。
無垢なる瞳。
この世の穢れを知らず、綺麗なものだけを見て育った者の瞳。
一抹の不安をラドリは感じた。この旅はきっとカイエを変えるだろう。良い方にも、悪い方にも。
「わかりました。どうやら殿下のお気持ちを私は変えられそうにない」
ラドリはそう言うとひとつ溜息をついた。
「母君や侍従長、師団長には私からお話ししておきましょう」
「ありがとうございます!」
カイエの表情が明るくなる。
「では少し、ここでお待ちください」
ラドリは少し席を外すと、すぐに小さな箱を持って戻ってきた。
「殿下。どうかこれをお持ちください」
ラドリの持って来た箱の中には淡い桜色の液体の入った小瓶と月長石をはめ込んだ銀色に輝く美しい指輪があった。
「この指輪を身につけておいてください。何があっても外してはなりませんよ。その指輪は殿下を必ず護ってくれますから」
「はい」
カイエが指輪をその場で右手の薬指に嵌めると、大きくてぶかぶかだった指輪は、カイエの指にピッタリのサイズに縮んだ。
「ジャラクの近くには『桜花の森』という場所があります。ご存知ですね」
「伝説の妖精、『桜翁』の住む森ですね?幼い頃、おとぎ話で聴いたことがあります。でも、あそこは危険だから入ってはいけないとも聞いていますが」
「そうです。お近くへ行かれたら必ずお立ち寄りください。その瓶を持っていれば『桜花の森』はきっと殿下を受け入れてくれるでしょう」
「はい」
ラドリは桜色の液体が入った小瓶をカイエに手渡す。
「桜花の森へ立ち寄られたら、その瓶を必ず手に持って森に入って下さい。途中、様々なことが起こりますが、「いいえ」とだけ答えるのです。瓶を手放してもいけません。そして、森の最奥にある桜の木まで来たらそこでしばらくお待ちください。あとは、なるようになりましょう」
「わかりました。覚えておきます」
「それと……」
ラドリは少し躊躇うような仕草を見せてから言った。
「もし、その指輪が強い光を発することがありましたら、何があっても必ずここへ戻ってきて下さることをお約束してくださいますか?」
「はい。何があっても先生のところへ戻ります」
それを聞いて、ラドリは満足そうに穏やかな笑みを浮かべた。
東の空が少し明るくなる頃、カイエはラドリ一人に見送られて旅立った。
その背中を見つめつつ、ラドリは彼にしか見えない誰かに語っているように小さく独り言を言った。
「……ええ、そうです。これでいいのだと思います……定められた時は迫っています。私の最後の役目を果たす時が近づいたのです……」
カイエの姿が見えなくなると、朝の冷たい空気の中、黒衣を翻らせてラドリは宮殿へ戻ったのだった。




