第十七話 勧誘
ヘドロに近い泥を、シャベルで馴らしていく。
我ながら素晴らしい仕事ぶりだ。
休憩後、快調に作業を続ける中、レベッカに疑問に思ったことを聞いてみた。
「なぁ、俺達はこの泥を伸ばすだけでいいのか?」
「そう、その泥を伸ばす作業が実際……大変なんだが……なっと!」
レベッカが汗を拭いながら、キツそうな表情で振り向いた。
「平らに伸ばした後、衛生スライムを放って、魚の死骸や糞等を分解してもらうってわけ」
「衛生スライム……あのトイレにいるやつか?」
「そそ。古代ガイアの民に感謝だね。まったく」
古代ガイアの民か……また知らない単語だが。
「俺は田舎者でな。衛生スライムの存在さえ、最近まで知らなかった」
レベッカは、相当田舎なんだな! と笑いつつも、手は一切休めずに再びシャベルで泥を伸ばしいく。
手を動かしたまま、レベッカが再び口を開いてきた。
「カジュウ、明日もこの仕事やるつもりかい?」
「未定だが……明日もやる予定ではいる。ま、選ばれたらの話だが」
俺は肩をすくめて、少しおちゃらけてみせた。
「アンタは絶対に選ばれるさ。……そこの柵に囲まれた空き地が見えるだろ? あそこが明日の作業場所だよ。今日と同じことをするのさ」
「そうやって地道に養殖で汚れた海を綺麗にするってわけか」
「そういう事。アタイ等が使える海は狹いからね」
「……海に直接、衛生スライムを放つのは駄目なのか?」
俺は思っていたことを口にした。
「……うーん、どうなんだろうね?」
レベッカにもわからないらしく、適切な答えが返ってこなかった。
「それはですね、衛生スライムが海中のプランクトンまで食べてしまうんですよ」
話を聞いていたのか、代わりに答えたのはハッシだった。
俺達は感心しつつも、色々と話しながら手は休めずに作業を続ける。
手を止めなければ、監視官も注意をしてこなかったからだ。
「養殖業は、テレシス王国の重要事業です。あの『結晶』で動く巨大ポンプも王国製ですよ」
また知らない単語……結晶か。
それに、ここはテレシス王国ってことになるな。
早くこの世界の地図も見ておきたい所だが。
「ふぇえ、そうなんだ。勉強になるなぁ」
レベッカの弟、マッテオも話を聞いていたようだ。
何故か何度も拍手するマッテオに、ハッシは恐縮するばかりだった。
当然監視官に見つかり、軽く注意される。
遅れを取り戻そうと、懸命に俺が働いた結果、広場の泥は綺麗に広げられた。
どうやら俺達の仕事は合格点のようだ、監督官がバケツを叩き皆を集める。
「今日の作業員は、とても優秀なようだね。予定よりかなり速いが作業はここまでとしようか。皆、おつかれちゃん」
意外とフランクな監督官が、作業終了の旨を告げると、皆の歓声があがる。
「まずは泥を落としてきたまえ。金はその後だよ」
全員海に飛び込み泥を落とす。
一様に疲れたといっているが、やはり俺は殆ど疲れがない。
凄い体を持ってしまったなと、改めて思う。
つか、いくら貰えるんだ? 聞きそびれちまってたな。
だが、あそこまで取り合いだったんだ、低賃金ではないと思いたい。
軽く身支度を済ませた後、列に並ぶ。
朝に貰った、番号札と交換で金を受け取れるらしい。
この仕事の給金……銅貨七十枚のようだ。
これが高いのか安いのか、正直わからない。
だが、金を受け取った皆は一様に嬉しそうにしているし、ハッシも嬉しそうだ。
他の人にはお金を渡すだけだった、フランクな監督官が、俺に名前を名乗るよう言ってきた。
少し不審に思いつつも、素直に名前を教えておく。
「……覚えたよ、ではカジュウ君、素晴らしい働きだった。明日も来てくれると、オジサンとても助かるんだけど」
なんか変なおっさんだな……多少違和感を覚えるが、気のせいか?
「約束できないが……考えておくよ」
「そんな事言わないでほら、色をつけておいたよ、銀貨二枚。キミの場合それでも安いくらいさ。優秀な人材は貴重なんだよ、今は特にね。君が望むなら別の仕事……王都のもっと稼げる仕事を紹介するよ」
悪くなさそうだが、即答は避けておいたほうが無難だな。
なにより、イン子に相談してからだろう。
「……前向きに善処する方向で検討しておくよ」
日本語特有の曖昧な返答で、煙に巻いておこう。
「約束しないで良いから頼むよ……さ、オジサンと握手だ!」
ポカンとする俺に、監督官はすばやく俺に右手を出してくる。
条件反射で、ついその手を握ってしまった……迂闊!
「私はテレシス王国所属の……港町パール養殖の統括……責任者の代理だよな? 合ってる? ま、その責任者代理の『オスカル=ロンゴ』だ。王都の仕事の話、オジサン本気だから。前向きに善処する方向で検討宜しく、じゃあね」
そのフランクな監督官は、いい加減自分の役職を覚えて下さい! と軽く部下に突っ込まれながら、別の現場に向かって行ってしまった。
あの監督官、四十前後ってところか……ボサボサ髪で、一見冴えない感じだが……なんか掴みどころがないオッサンだな。
調子が狂っちまったが、さてさてどうしたもんか。
悩んでいるところに、レベッカが笑顔で俺の肩をポンと叩いてきた。
「さすがだね。明日の仕事どころか、王国から直々のお誘いとは」
「それよりカジュウのおかげで、早く帰れるから嬉しいぞぅ」
マッテオもご機嫌だ。ハッシも話の輪に加わり、話に花が咲く。
「カジュウ、あんたは何処に宿泊してるんだい?」
ダニオの海獣亭って所に泊まっていることを告げると、夜に集まって皆で酒と食事を楽しもうということになり、一旦その場で解散した。
そうだな、とりあえず安い財布でも買って帰るか。
目についた小物店に入り、紐で縛る袋状の財布と、特売と書かれた質素な下着を何枚か購入してから帰路についた。
先に宿の井戸水で汗を流す。
海水でベトベトしていたからとても気持ちが良い。
そして、先程買った新品の下着を使ってみるが、肌触りは微妙……安物だから仕方ないか。
店内に入ると、朝に見たインパクト大の巨漢の女傑、ダニオの女房らしき女性が、カウンターに鎮座しているではないか。
「あら? おかえり。随分と早いじゃないか」
「ど、どうも」
……別にビビってないぞ?
「よ、予定より早く終わったんでね……そうだ、それより朝のサンドイッチ美味かった。ありがとな」
「あらやだ、この子ったら。お礼なんて良いわよ」
柄にもなく照れているようだ……などと、失礼なことは思ってはいけない。
「俺はカジュウだ。それよりマダム、今朝サンドイッチを包んでくれた、この質の良い袋、良ければ売ってくれないか? 自分の保存食入れにしたくてね」
「あら気に入ったの? 良い袋なのよそれ。特別に銅貨一枚で良いわよ」
俺は銅貨一枚を渡そうとすると、グローブみたいな手が伸びてきた
「ダニオの妻の『マリー』よ。アンタが泊まってるのは二階の角の相部屋ね?」
「ああ。隣にダニオの知り合いの、商人が泊まってる部屋だ」
マリーは、大きめの手帳をパラパラとめくっている。
「その人は『マルタポーレ』だよ。そうだ、明日もサンドイッチを作っておくよ」
「あ、ああ……それは助かるよ」
俺は礼を言ってから階段をあがり二階の奥へ向かう。
部屋に入ると、隣の太ったおっさんはいなかった。
だが、まだ荷物が置いてあったので、もう一泊するのだろう。
窓からイン子が顔を出す。
「戻ったか。仕事はどうであった?
「まあまあだ。だが、中々面白いモンは見れたよ」
「それは何より。では、夕飯まで妾は休むことにしよう」
「昨日からすまないな。少し休んでくれ」
俺は早速、無人島から持ってきたスターフルーツを、先程マリーから買い取った袋に移し替える。
後は荷物入れ……バッグが欲しいところだ。
トレーナーを加工した簡易袋に、希少なダイヤを入れている状態は宜しくない。
買いたいが、問題は金だ。
俺は財布を開けて銭を数える……先ほど稼いだ銀貨二枚と……銅貨四枚か。
うーん、港の仕事……安くないんだろうが微妙だな。
先程の小物店で、背負うタイプ荷物入れを物色してきたが、良いなと思った丈夫そうな物は、どれもこれも結構な値段がした。
ベッドで横になりながら、今後どう行動するか俺は考えを巡らせていた。
あの監督官の言葉。
しかし王都の仕事か……やってみるのも手だが。
……やはりここは、イエローダイヤモンドを売るか?
そういや、となりのおっさんは商人だったな。
売る売らないは別にして、ダイヤモンドの情報だけでも聞いてみるべきか。
町の鐘の音が鳴り響く……もうそんな時間か。
仕事で知り合った例の三人と、酒を飲む約束をしていたことをイン子に話し、俺達は一緒に部屋を出て、一階の酒場に向かうのだった。
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