第十五話 エール
大きな音が頭に響き、それで目が覚める。
ベッドで横になっているうちに、少しだけ眠ってしまっていたようだ。
恐らく今のが、仕事終わりの鐘なのだろう。
起き上がって窓に近づき、イン子に軽く挨拶をする。
「久々に布団で寝た感想は?」
「最高だ。砂浜とは、偉い違いだな」
トイレと軽く汗も流しておきたかったので、荷物はそのままに一階に降り、店の外に出る。
馬小屋の横にある井戸では、何人かが体を拭いていた。
その近くに、トイレらしき木製の建物がある。
男と女の共同用だ……まぁ当然か。
鼻をつまみながら中に入るが……ニオイはほとんどなかった。
中はロウソクが掛けてあるだけの薄明かり。
便器は和式のトイレに似ている、懐かしいタイプ。
当然、水洗ではなく中央に穴が開いているだけだ。
中には、スライム状のプルプルの何かが、ぷるぷるしていた。
これが先程言っていた、『衛生スライム』か?
百聞は一見に如かず。
試してみよう。
なる程……トイレが臭くないのは、あのプルプルのおかげなのだろう。
下で待ち受けてるスライムが、完全に吸収してしまうのだ。
正直、俺達の世界の水洗トイレより素晴らしいかもしれない。
足早にトイレを出て、汲み水で手を洗った。
井戸で汗も流して部屋に戻り、貴重品の入った袋を持って、イン子と共に一階の酒場へ向かう。
先程通りかかった時に見たが、既に何人か客が来ていた。
席に座らず、店の中央で立ち飲みしている客も結構いるようだ。
外は暗くなったが、店内は要所要所にロウソクの明かりがあり、薄く暗いと感じるどころか、むしろ雰囲気は最高だった。
店主のダニオが近くに居る、カウンターの端の席に腰をかける。
イン子は、俺の席と壁の間にある良い感じの段差に、上手いこと留まった。
【めにゅう……とやらを見てもようわからん。注文は任せる】
【おう、何か苦手なものはあるか?】
【味の濃い物や熱い物、それに汁物かの】
【覚えておく】
慌ただしく酒や料理を運ぶ人が行き交う中、俺はカウンターで忙しくしているダニオに、暇になるタイミングを見計らって、指を鳴らしてアピールする。
「ダニオ! こっちにエールをくれ、二杯だ」
それにダニオが気がつき、笑顔で応対してきた。
「おお、カジュウとインコだったな! 待ってな」
木製らしきコップに、樽からエールを注ぎ、俺とイン子が座っているカウンターテーブルに置いた。
「自慢の自家製エールだ! 言った通り、最初の一杯は無料だ」
木製の樽型のジョッキに、並々とエールが注いである。
エール。要は、ビールみたいなもんだ。
エールを手に取り、軽く口に含む。
ほう……麦の香りが鼻に抜ける……とても芳醇だ。
ギンギンに冷たいわけではないが、全然問題ない。
最初はゆっくり口に運んでいたが、我慢できずに一気に飲み干す。
「ぷはぁ…………やべぇ、美味すぎる!」
その様子を見ていたダニオが、笑顔で俺の肩を軽く叩く。
「良い飲みっぷりだ! まるで何ヶ月も飲んでなかったやつみたいだったぜ! どんどん頼んでくれ」
……今のは遠からず当たってるぜ、ダニオ。
「もう一杯くれ……ってそうだ、エールは一杯いくらだ?」
「銅貨二枚だ、うちのエールは安くて美味いで評判なんだぜ」
ダニオが空になった俺のコップを持って更にエールを注ぎに行く。
横のイン子に目をやると、コップに頭を突っ込んで飲んでいる最中だった。
そして半分以上飲んだのだろう、頭をコップから抜いて大きく息を漏らす。
「ぷはぁ、これが『ええる』か! 若干物足りぬが、香りが良い。麦の酒も中々じゃの!」
「おい、喋るなって」
俺は周りを見るが……バレてないようだ。
【すまんすまん、美味くてついの、ホホ】
俺に向けてグッと爪のある足を使って丸の形を作る。……どうやらお気に召したようだ。
ダニオがエールのおかわりを持ってくる。俺はそれを受け取ろうとするが、ダニオが逆の手のひらを俺に出す。
……成る程、注文する度に払うのか。
瞬時に理解し、銅貨二枚をポケットから出してダニオの手に乗せた。
ダニオはそれに反応せずに、イン子を見つめていた。
「こりゃあ驚いた……酒を飲むってのは本当なんだな!」
普通に驚いているようだ。
「そりゃそうよ。ただの白い鷹じゃねぇんだ」
丁度、イン子がエールを飲み干したらしい。
「しかし良い飲みっぷりだな。お前さんももう一杯どうだ?」
ダニオがイン子に話しかけている。先程のやり取りのおかげか、言葉が通じることを疑っていないようだった」
【よかろう、もう一杯じゃ】
俺には『念会話』を。ダニオに向けては、小さく鷹の鳴き声を放つ。
「気に入ったらしい。もう一杯くれってさ」
それを聞いたダニオは、嬉しそうに脇を動かしから、急いで注いて戻ってきた。
銅貨二枚をダニオに渡す。
「食い物で、何かおすすめはあるか?」
先程から店内に張ってある小さな張り紙を見たり、店員が運んでいる料理を見てある程度は理解していたが、ダニオの説明を聞くことにした。
「作って出せるのは少ないぜ。だから基本はセットメニューだけだ。値段はたったの銅貨十枚! 超おすすめ具沢山の特製ブイヤベースに、パンとチーズ付き。メインは魚と肉、好きな方どちらか一つ選んでくれ。今日の魚は白身魚のフライ、肉の方は野牛のスペアリブだ」
パンとチーズに加えて、ブイヤベース……多分シーフードのスープだろう、それに魚か肉が付いてきて銅貨十枚。十分に予想の範囲内というか、単品で頼むよりはお得なのだろう。
俺は迷わずセットに決めるが……イン子の分も何か頼むか。
「セットをスペアリブで。 こいつにブドウを……それとエールをもう一杯だ」
イン子には果物と、俺が頼んだ料理を適当に分けることにする。
こいつは元々少食だし、フルーツが好物だからな。
深めの木の皿に注がれたブイヤベースは、エビや貝などが結構入っている。
味も濃厚で、臭みもなく魚介類のダシがでており、滅茶苦茶美味い。
そしてブイヤベースに、やや硬めの茶色いパンを浸して食べてみる。
久々のパン……このスープに抜群にあう!
あまりの美味しさに思わず、ため息がでてしまう。
そして、チーズの一片を口に運ぶ……クセのないチーズだ。
パンとチーズの、絶妙なコンビネーションを堪能した。
ブドウを満足そうに食べているイン子に、パンとチーズを分けてやる。
パンは、お米代わりの外国の主食だと説明しておいた。
意外なことに、パンが気に入ったようだ。
鋭い赤い嘴で器用に食べている。
そしてイン子がチーズを食べた時、念会話が俺に届く。
【これは醍醐か! たまらぬのう!】
チーズは特に大好評のようだ……チーズを追加で注文し、それをツマミにイン子とエールを十二分に堪能した。
まだ終わらんよ! 準備万端、野牛のスペアリブにとりかかる。
最後まで取っておいたのだ。
辛抱たまらなくかじりつく。
久々の肉……くぅぅ! スパイシーでジュージーだ。
これぞ肉だ! 宴だ! 暫くぶりの肉に舌鼓をうつ。
「……滅茶苦茶美味かった」
俺もイン子も今日の料理に大満足だ。
今日はこの辺にしておくか。
明日の仕事のこともあるしな。
ダニオに礼を言い、二階の自分の部屋に戻ろうとしたところ、そのダニオに呼び止められる。
「ついさっき、相部屋が埋まったぜ。そいつは俺の知り合いの商人だが、さっさと寝るって言ってたからな。なるべく静かにしてやってくれ」
……誰も来ない方がよいと思ったが、こればかりは仕方がない。
返事の代わりに、右手をダニオに向けて軽く頷き、二階へ上がる。
部屋に入ると、反対側のベッドで男が眠っており、軽くいびきをかいていた。
部屋にはロウソクが二本あるだけで、酒場よりも暗い。
酒のせいなのか、薄暗いせいなのか顔はよく見えないが……かなりのぽっちゃり体型のおっさんのようだ。
おっさん側のベッドの側にある備え付けのチェストは、荷物が全部入りきらないのか、箱の上にまで置いてある状態だ。
一応挨拶だけでも……と思ったが、寝ているなら仕方ないな。
自分の貴重品を、備え付けのチェストにしまうか迷った。
これにはイエローダイヤモンドが入っている。
まだ鑑定していないが、高価な品に違いない。
別に高く売れなくても、雷力を溜めることが出来る時点で、俺達にとって大切な物だからな。
【安心いたせ。盗んだら妾が気がつくでの】
イン子を見ると、もう窓の外のすぐ側に移動したようだ。
……相変わらず察しのいい女天狗様だ。
トレーナーで作った貴重品袋をチェストにしまい、ベッドに倒れこむ。
【頼んだぜ、相棒】
久々の酒は最高だった。
目を閉じると、すぐに眠りについてしまった。




