無為な騒動
城門を潜ったヨミを出迎えたのは縦横無尽に動き回る人の波だった。
東西南北に行き交う人々の動きに規則性はなく、一人一人が個別の目的を持って時間に追われながら早足で歩き回っている。
昼間という時間帯も影響しているのか、道路の両端には軽食や果物を売る露店が立ち並び様々な香りと客寄せの声が飛び交っていた。
「長旅の疲れを癒すならぜひうちに!」
「腹が減ったでしょう。暖かいスープと柔らかな出来立てパン、どうだい安くしとくよ!」
「この国は広大だ、馬車が出るよ。乗りたい奴は急ぎなぁ!」
他国からやってきた客を狙ってのものか、大声で客寄せをする人々の声は不自然に明るい。
一人でも多くの客を手に入れようと、どこも必死なのだろう。
そんな騒がしい町並みを見て、ヨミは少し離れた壁に体重を預けながら人ごみを回避する。
そして少しの時間立ち止まって周囲を見回すと、肉と油の匂いが漂う串焼きの露店にゆっくりと歩いていった。
「少し道を尋ねたいんだが……ああ、あとその串焼きを一つ。いくらだ?」
「はいよ、毎度あり。キプロス銅貨五枚ね。いったいどこに行きたいんだい、旅人さん?」
少し芝居がかった口調で話す店主に、ヨミは好感を覚えた。
客として接すれば多少は親切になるだろうという考えもあったが、それ以上にきっとこの店主は純粋に優しい人なのだという印象を受けたからだ。
「城への道を。あとは安い宿と旨い飯が食える場所があれば」
差し出された串焼きを受け取ったヨミの目が意識せず細められた。
串に刺さった肉は食べ応えのあるよう大きめに切りそろえられており、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってくる。
「いい肉だ。もう少し高く売ってもいいんじゃないか?」
「お世辞はありがたく受け取らせてもらうよ、言葉だけならタダだからな。城ならこの大通りを中心に向かってまっすぐ歩けばいいだけだが……あんた、姫様にいったいなんの用だ?」
自国の象徴へ向かおうとする突然の来訪者へと訝しげな目を向ける店主に、ヨミは懐から一通の手紙を取り出して答える。
「呼び出されたんだよ、その姫様に。突然手紙が届いてな、用件もただ来てくださいとしか書かれてない。まったく、偉い人の考えることは理解できんよ」
ヒラヒラと手紙を弄びながらため息をつくヨミを見て、店主は大きく口を開けて笑った。
「ハハハハッ! またうちの姫様の引き抜きか! よくあるんだよ、目をつけた他国の人材に手紙を送って、どうかお力をお貸し下さいってな。ふぅん、てことは兄ちゃんもなにか凄い特技でも持ってんのか? こう言っちゃ悪いが、どうも腕っ節が強いようには見えねぇがなぁ」
「よくあることぉ? なんだか無茶苦茶な人だな、ここの王女様ってのは。なにより心当たりがないってのが一番怖い。人様に自慢できることなんかちょいと手品が得意な程度だぞ。まさか娯楽のためにわざわざ呼んだわけでもあるまいし。っと、この串焼き旨いな。悪いがもう一本買わせてくれ」
その口調こそ気楽だが、その言葉にヨミの心は嵐のように激しくかき回されていた。
そう、理由がわからない。
相手がこちらを呼び寄せる理由が、思惑が。
遠い他国の人間の情報をわざわざ集めて自国に呼び寄せる。
良質な人材を発掘するためといえば聞こえはいいだろうが、どう考えても労力と結果が釣り合っていない。
それだけの価値があるとは、どうしてもヨミには思えないのだ。
そうして一人思考を続けていたヨミの目の前に突然、一本の串焼きが差し出された。
「はいよ、焼きたてお待ち!」
先ほどまでの疑問や不安をかき消すような店主の笑顔に、ヨミは不慣れな笑みで返す。
そうだ、わからないことをいちいち考えても仕方がない。
会って話を聞けば済む話だと思い、店主から串焼きを受け取った直後。
ドン、という音が小さく響き、ヨミの体はゆっくり前へと押し出された。
「悪い、ちょっと急いでるんで勘弁してくれ!」
背後からそう声が聞こえたとき、ヨミは自分の体に何者かがぶつかったのだと気がついた。
「ああ、気にするな。だが――」
瞬間、ヨミの足が群衆に紛れた一人の男の足元を払う。
それはどのような技なのか。
周囲の人々には一切触れず、明確に狙った一人にのみ作用する奇術のごとき足捌き。
足元を掬われた男の体は、頭を支点にするように円を描いてクルリと宙を舞った。
「ソレを持っていかれるのは困る。俺の全財産だ」
なにが起こったのか理解できず、呆けた顔のまま背中から地面に激突する男。
その手には、ヨミの懐から盗み取った袋が握られていた。
逃げ出せないよう男の首をゆっくりと締め上げて、ヨミはため息をつく。
「スリ、か。無知な旅人も多いここじゃあ商売相手には困らないんだろうが……まあ、運が無かったと諦めて、これからは真面目に働くんだな」
ヨミの右手にはいつの間にか短刀が握られており、左手は万力のように首を締め上げている。
「この国のルールはまだ知らないんだが、さて。この盗人はどう処理すればいいのか教えてくれないか?」
「あー、まあ、そうだな……」
呆然と騒動を眺めていた店主は、状況の整理がつかない様子で言葉を捜している。
回りがザワザワと騒がしくなり、ヨミの周囲の人々が距離を取った結果円形に切り取られたような空間が広がっている。
「とりあえず、あんたが他国から呼ばれるだけの理由はわかったよ」
店主は苦笑いを浮かべながらそう答えるのが精一杯のようだった。
「ああ、褒め言葉はタダだったか。ありがたく受け取っておくさ」
ヨミは皮肉を込めて、怯えと困惑の混ざった視線を受け止める。
それは、嫌というほど浴び続けてきて慣れきったものだったから。