英雄譚の幕開け
女王は柔らかな微笑みを崩さない。
悪戯の種明かしをするように、メアリーは笑っていた。
「……ああ全く、笑えない話だ」
ヨミの口元が、小刻みに揺れる。
カルラの目が、驚愕と動揺の色に染まる。
二百年を生きる魔女。
それがこの少女、メアリー・スゥの正体だった。
「お二人が驚いてくれたところで、種明かしをしましょうか」
メアリーは再び窓に近づくと、右手のみを窓から外へ出す。
「つまりは、こういうことです」
窓の外に、右手は無かった。
窓の境目を越えたとたん、まるで霧のように消え去ったのだ。
「異能、か」
震える声。
メアリーはこれに答えるように小さく頷く。
ヨミの答えは、どうやら正解だったようだった。
「私の得意な異能の分類は再生と固定」
窓から手を引くと、メアリーの右手は元通りに復活している。
「己の肉体を、若い姿のまま固定しているのです」
軽い口調で答えたメアリーに、二人は戦慄した。
人体の固定。
それを二百年間、一切止めることなく異能の力を発動し続けている。
「効果範囲は、この部屋のみか」
「ええ、私の力ではこの規模が限界なのです」
だから大したことではないというようにメアリーは肩をすくめるが、ヨミの胸に湧き上がったのは真逆の感情だった。
「あんたなら、冗談抜きにあの『英雄』にだって勝てるんじゃないのか?」
改めて、そんな疑問がヨミの心に湧きだした。
「千日手、でしょうね。滅ぼされるつもりはありませんが、私ではあの『英雄』を討伐できない。そしてこの城は残り、この城以外の全ては滅びます」
その末路は、イリアス帝国と同じ滅びだ。
滅び去った国に、灰色の城だけが唯一残る。
「この城に可能な限りの国民を避難させても、それで生き残れるのはほんの一部だけです。ならばその一部はどうやって決めるのか」
生き残る者と、死に絶える者。
そんな区別は御免被ると、メアリーは怒気を強める。
「この城を選民の箱舟にするつもりはありません。あの『英雄』を私に代わり討伐してくれる存在を求めているのは、偽りなき本心ですとも」
貼り付けたようなメアリーの笑顔が崩れる。
それはほんの微細な変化であったが、ヨミの意識を動かすには十分だった。
「――わかった」
それは宣誓。
命を掛けた戦いに望む者の、覚悟の証。
「十全に体は休めた。聞きたいことはおおよそ聞いた」
あとは結果を残すだけだと、決意を抱く。
「行くぞ、カルラ」
「了解」
もう一度、二人は手を握る。
伝わる熱を慈しむように、優しく力を込める。
「ええ、であれば早速」
メアリーがパチンと指を鳴らすと、二人の周囲に魔法陣が浮かび上がる。
二重の円に刻まれた複雑な紋様が、生き物のように脈打ち始める。
それは転移の魔術だ。
空間が歪み、ここと遠くが繋がっていく。
「これは、かつて『英雄』だった存在の討伐劇」
魔法陣から光が溢れ出し、二人の姿が光に包まれていく。
「英雄殺しの英雄譚を、どうか紡いでくださいますように」
光が徐々に薄くなり、消えていく。
光の輝きが完全に消えたとき、この部屋に残っているのはメアリー一人だけとなっていた。
「一人の吟遊詩人として、どうか祈っています」
この狂った英雄譚を終わらせるために。
二人の英雄譚が、今まさに始まろうとしていた。




