少女の願い
「無事、本心に向き合えたようですね」
虚空に響く、突然の声。
その声を合図に、二人を閉じ込めていた壁が溶けるように消えていく。
開けた視界には、白い背景に浮かび上がる金色の髪が揺れていた。
「自分自身と向き合い、信頼できる相手を手に入れた気分はどうですか?」
全てを見透かすような笑みは、どこまでも不吉なものだ。
それでも以前とは違うのだと、ヨミは正面からその笑みを受け止める。
「とりあえず礼は言っておく。複雑な気分だけどな」
少女の下へ、ヨミとカルラは歩みを進める。
コツコツと、小さな足音を鳴らしながら。
「で、なんの意図があってこんなことを?」
ヨミは詐欺師を相手にしたときのような訝しげな目を少女に向ける。
目の前の少女がいったいなにを考えているのか、それを読み取ろうと。
「あのまま『英雄』に挑んだとしても待っているのは無駄死にですから。貴方たちには強くなってもらう必要があったのですよ」
少女の笑みが深く、妖しいものへと変化する。
「我々の持つ異能の行使には、己の心が強く依存します」
少女が指を鳴らすと、虚空から円を描くように三脚の椅子が現れた。
ゆったりと椅子に腰掛けて、少女は二人にも同じように座るよう促す。
ヨミとカルラは、二人で左右に並ぶように椅子の位置を動かして座った。
二人の正面では、その光景が微笑ましいというような様子で少女が笑っている。
「異能の規模は、その人物がどれだけ強く心に理想を思い浮かべることができるのかに左右されます。貴方たちはその面で『英雄』に激しく劣っていた」
『英雄』の強さの源泉は、決して揺るがぬ心の意思である。
だからこそ、他者には化け物の力のように映っている。
異能の規模が、他者と比べられない程の異常値を叩き出しているのだ。
「だから、貴方たちには秘めた本心に気づいてもらわないといけなかったのですよ。馬鹿正直に修行なんてしている時間はありませんからね」
ヨミの脳内に、イリアス帝国の激戦が浮かぶ。
時間稼ぎに奮闘するフィンが倒れれば、『英雄』はすぐさま侵攻を開始するだろう。
その結果は語るまでもなく、世界の破滅だ。
「こんなことだけで強くなったとは思えないけどな」
「異能の力を持つ者同士が戦うのなら、意志の力がその勝敗を分けるのですよ」
ならばこそ、自分の心に嘘をつくようでは話にならないと少女は笑う。
己に正直な心で向き合うことこそ、一歩目の前進なのだと。
「『英雄』は信じる心に一切の迷いがない。だからあれだけの力を発揮しているのです」
桁外れの出力にはそうある為の理由が存在するのですよ、とは少女の言葉。
迷いなき信念。
それこそが、『英雄』の化け物たる理由。
「『英雄』という例外を除けば、今の貴方たち以上に異能を使いこなせる人間はほとんどいないといっていいでしょう。誰かを信じ、想いを託すことのできる相手がいるということはそれほどまでに大きな差です。異能の力は孤独を呼ぶものですから、力を合わせるということが苦手なんですよ」
「一つ、聞いてもいいか」
ヨミの言葉と同時に、急激に部屋中の空気が重くなる。
「どこまでが、予定通りに進んでる?」
「――はてさて、言葉の意味がわかりませんね。もう少し詳しく話してくれませんと」
あくまでも、少女は笑みを崩さない。
まるでずっと楽しみが続いているかのように。
「オーケー、言い換えよう」
ヨミの目が薄く細められる。
「──あんた、『英雄』が破滅するのをわかっていただろう」
その言葉は、この場の空気を一変させるだけの十分な力を備えていた。
ピリピリとした、張り詰めた風船のような空気が充満する。
「恐らくあんたは、いつか『英雄』が破滅し暴走することに気づいていた」
一言一言が、まるで針のようにこの場の空気を刺していく。
「その上で放置して、この惨状を作り上げて」
カルラも少女も、ただ黙って耳を傾ける。
ヨミの声だけが、唯一の音としてこの部屋に響き渡る。
「そして俺とカルラを呼んで、戦わせて」
そこで一度、ヨミはスゥと空気を吸い込んだ。
凍りつく空気を打ち壊すための一言を、吐き出すために。
「なあ、答えろよ。どこまでが予想通りなんだ」
ヨミの視線に、少女は困った様子で首を振る。
それは本心か、虚構なのか。
「……どこまで、ですか」
ふぅ、と息を吐き、少女は椅子からゆっくりと立ち上がった。
そのまま窓に向かって歩き出し、少女の体が窓から差し込む光に包まれる。
「私はね、笑顔が好きなんですよ」
窓の外に広がる町の風景を見下ろして、少女はそう言った。
「どこまでも平和に、皆が笑って過ごせる理想の世界。そんなことがもし実現できたら、それはとても素晴らしいと思いませんか?」
少女は、ヨミとカルラに向き直り、窓枠に腰掛ける。
投げ出した両足をふらふらと揺らす姿は、まるで無垢な童女のようだ。
「ええ、もちろんそんなのは理想論です。だから、せめて私の国だけはそうあってほしいと願っている。妥協といえば聞こえは悪いですが、私の全てはそこに集約されます」
民の笑顔と安寧こそが、少女の全て。
それは誰にも否定などできない、一切の穢れなき綺麗事だ。
「それは」
だがそれは、かつての『英雄』と同じ結末が見えている。
『英雄』はその夢を抱いたからこそ、破滅したのだろうとヨミは頭を抱えた。
「鬼か悪魔かと思ってはいたが、ただの馬鹿だったか」
「失礼な、私はしっかりと現実を見ていますよ」
少女は同じではないと憤慨する。
その表情は、まるで本当の子供のようだ。
「現実的な線引きと納得できる範囲での妥協。そうした結果がこの国限定の統治です。この二百年で国土を広げていないのは、そうした意味合いもあるのですよ」
「──ちょっと待て」
流れるように吐き出された単語に、ヨミは己が耳を疑った。
慌ててヨミが、割り込むように言葉を挟む。
「今なんでもないことのように言ったが、二百年だと?」
その単位に、ヨミの思考が停止する。
二百年、それは決して個人の歴史に登場するような単位ではない。
「あんた、いったいどれだけ生きてるっていうんだ」
そんな当然ともいえる疑問に、少女は困惑した表情を浮かべる。
「そういえば、結局名前も名乗っていませんでしたね。では改めて自己紹介を」
少女は窓枠から飛び降り、その場でクルリと回った。
二人に向き直ると、喜劇の役者のように深々と礼をする。
「私の名前はメアリー・スゥ」
顔を上げると、その表情は無邪気な微笑みに包まれていた。
「――ウラノス建国者にして、初代女王です」




