英雄の末路
「ならなぜ、奴はあんなことになっているんだ。それだけの活躍を見せたのなら、地位も栄誉も望むだけ手に入っただろうに」
だがヨミは、ならばどうしてと問う。
どうして『英雄』は、あのような化け物に成り果てたのかと。
「ええ、普通ならばそうでしょう。普通ならばね、ですがそうはならなかったのですよ。さて、どうしてか分かりますか?」
先程と同じように、今度はカルラに話を振る少女。
その様子は、まるで子供に物語を語り聞かせるようだ。
少しの間をおいて、今まで黙っていたカルラが小さな声で話し出した。
「特別な存在は、特別に扱われる。私たちがそうだったように」
その言葉に、ヨミもハッとしたように天を仰ぐ。
特別という言葉を使ったのは、はたして誰に対する配慮だったのか。
「成功者すら迫害されるのか。ああ、そうだったな」
過去のなにを思い出したのか。
ヨミもカルラも、しばらく無言で目を閉じた。
「残念、五十点です」
だがそんなカルラの答えを、少女は否定する。
「彼女はこの国で『英雄』として尊敬され、称えられました。迫害なんてされていませんよ」
なにを勘違いしているのだと、少女は瞳を薄めて静かに笑う。
「常に正道を歩み、弱者のために戦い、邪悪を滅ぼす正義の味方。物語の中にしか存在しないような万人に都合のいい『英雄』が、現実に現れた。ならば報われ、評価されるのが当然というものです」
英雄譚が常に高い人気を保っているのは、それが現実に存在しないからだ。
空想でしかありえないからこそ、その手の夢物語はいつでも皆に愛されている。
「誰にとっても都合のいい救世主ねぇ、いよいよ疑わしくなってきたな」
だからこそ、ヨミは目を細めてそう口にした。
誰かのために己を犠牲にする正義の味方など、現実には存在しないのだと吐き捨てる。
そんなものがいるのなら、自分たちのような落伍者は生まれていないと。
「だからこそですよ。存在しないものが存在したからこそ、彼女は『英雄』として名を残したのです。事実彼女は、その後も皆の助けとなるために滅私奉公を続けました」
それはまさに、人生全てを捧げかねない勢いだったと少女は語る。
だがヨミはそんな少女に対し、露骨に不愉快だと口調も荒げて問いかけた。
「で、結局なにが原因で奴は変わったんだよ。元が素晴らしいのは十全に理解したが、だからどうした。俺たちの奴に対する認識は変わらずただの怪物だ」
ヨミは手元の紅茶を一息に飲み干した。
さっさと結論を言えと、その目がなによりも語っている。
「そうですね、結論を言いますと彼女に一切問題は無かった。問題があったのは国民にです」
ヨミの催促もまるで意に介さず、ゆっくりと少女は言葉を紡ぐ。
「端的に言うと、慣れてしまったのですよ」
その言葉に、ヨミとカルラはしばし呆然とした。
「はぁ? 慣れたって、なにが」
「飢えで死に絶えそうな瞬間に与えられた一切れのパンは、黄金のような価値を持つということですよ。彼女はいつでも、皆に平等にパンを与えていたに過ぎません」
そう口にする少女の表情は変わらない。
だが、その雰囲気に微小な変化が見て取れた。
「常に施しを受けていると、いつの間にかそれが当たり前のものだと勘違いするものです。中にはより多くの施しを求める恥知らずもいたでしょうね」
救世主が崇められるのは、その人にしかできないことを行うからだ。
太陽が輝くことにわざわざ感謝をする人間は稀であると、少女は語っている。
「どうしようもないな」
「ええ、まったくです」
ヨミの皮肉に、少女は同意を返す。
その目には失望の色が浮かんでいた。
「だから彼女は上を目指した。今のままでは足りないと」
より多くの施しを。
より多くの救いを。
より多くの繁栄を。
そうして肥大する望みに答えるために、『英雄』は己を捧げ続けた。
「もしも、彼女が途中で投げ出せる凡人ならば。もしくは、肥大する望みに答えきれなくなるような常人ならば。そうであったのなら、この話はここで終わっていたのですが」
そう、現実は違った。
聖人のごとき精神力を持つ『英雄』は、どこまでも望みを叶え続ける。
『英雄』はどこまでも信じた道を突き進んだ。
「彼女の心は強すぎた。常人ならばすぐに破綻する精神構造を無理やりに押さえ込んで、どこまでも走り続けたのです」
「そうして走って、走って、走り続けて。最後はアレか」
ヨミは目を閉じて天を仰ぐ。
心の中に、複雑で言語化できない想いが溢れていく。
「はい、彼女の心は常人のものではありませんでしたが、それでも彼女は人でした」
早く、速く、疾く。
精神を燃料として走り続けた『英雄』という存在は、際限なしにその速度を上げ続ける。
どこまでも、どこまでも。
もはやその速度についていけるものは存在しない。
「なまじ強すぎる輝きだけに、誰も彼女の正しい姿を見てはいなかった」
そして最後に待つのはオーバーヒート。
そんな当然の帰結にさえ、誰も気づくことはなかったのだと、少女は語る。
「そうして彼女は、目的を忘れた」
自分がなんのために走っているかを忘れているのに、“速く走らなければいけない”ということだけが胸のうちに残った存在。
だがかろうじて彼女の心には、『英雄』でなくてはならないという思いだけが残っていた。
「そのための手段として、彼女は強くなることを目的とした」
『英雄』とは、圧倒的な強さでもって邪悪を打倒する存在だから。
『英雄』は決して負けない、負けられない。
『英雄』である限り、決して負けてはいけないのだと走り続ける。
それが、英雄譚の末路。
かつての悲劇。
それはどこにでもありふれた、残酷な話だった。