地獄の顕現
途中で何度か見張りを交代してからの翌日、ヨミとカルラは目的地へ向けて再び歩き出した。
「俺が眠ってる間に問題は?」
「野生動物が一度。足元を撃ったら逃げていった」
「撃ったのかよ……」
他者から話されれば返事はする。
当たり前の反応だからこそ、残った異常性が嫌でも目に付いている。
「この丘を越えればイリアスだ」
知らない間に独り言が増えている自分に、これは駄目な兆候だとヨミは軽く首を振った。
原因は二つ。
一つ、カルラは自分から話さない。
だから少しでも意思の疎通を図ろうとしているため。
そしてもう一つは。
「駄目だな、不安になってるのか? クソ、落ち着け、落ち着け……」
心に浮かぶのはあの少女の笑み。
悪魔よりも不吉な存在からの案内だ、絶対になにかが起こるだろうとヨミの直感が告げていた。
目を閉じながらガリガリと首元に爪を立てて掻き毟るヨミを追い越すように、カルラは歩くペースを上げていった。
独特な動きで、足をほとんど上げずに滑るように進んでいく。
「あ、おいちょっと――」
慌てて追いかけようと足を踏み出したヨミは、そこで違和感を覚えた。
なぜ、カルラは急に先行したのか。
目的地が近いからはしゃいでいる?
そんなこと、カルラに限っては絶対にありえない。
そしてなぜ、カルラはヨミの走る先で立ち止まっているのか。
殊勝にも、ヨミが追いつくのを待っている?
短い付き合いとはいえ、乙女のような気遣いをする女ではないと断言できる。
ではなぜそんなことを。
そんなヨミの疑問は、カルラに並んだ瞬間に解消された。
緩やかな丘を登りきった頂上。
そこに立つヨミとカルラからは、この大陸一の軍事国家の姿が一望できる。
そこから見える景色は、荘厳な雰囲気を纏った難攻不落の堅城にして二人の旅の目的地。
そんな光景が広がっているはずだった。
だが、二人の目に映ったのは想像とは違う、想像を超える光景だった。
「これは、なんだ……?」
目の前で一つの国が、滅んでいた。
ぐるりと大きな円を描くように立てられた城壁は、そのほとんどが無残に崩れ去っている。
石と鉄で組み上げられていたのであろう名残だけを残して、ただの鉄屑と瓦礫へとその姿を変えていた。
国の中では、あちこちで絶え間なく炎が上がっている。
燃え盛る炎の勢いは一切衰えることなく、国中の全てが炭と灰へと塗り潰されていく。
そこにあるのはもはや城でも国でもなく、ただの地獄の再現だ。
燃えるものは全てが燃え、燃えないものは粉々に砕け。
国が国であった痕跡が、一秒ごとに次々と消え去っている。
「…………行くぞ」
そうヨミが声にするのに、どれだけの時間がかかったのか。
ふらつきそうになる足を一歩ずつ前に出すヨミを追いかけるように、カルラも歩き出す。
理解が追いつかない。
どうしてこんなことになっているのか、全くわからない。
かつてイリアス帝国だった場所に足を踏み入れた二人。
その惨状に対応するため、必要以上に周囲を警戒しながら歩き出す。
「ドラゴンでも襲ってきたのか?」
「それは考えにくい。この周辺でドラゴンが目撃されたという情報は数百年ほど遡らなければ存在しない。それに、仮にドラゴンの襲撃があったとしてもイリアス帝国の武力ならば撃退は容易なはず」
笑い話のようなヨミの推論を切り捨てたカルラも、その表情は険しいままだ。
なぜならそれは、火竜よりも恐ろしい存在がこの場にいることを肯定している。
「内乱ってことは、無い、よな」
ヨミは自分で立てた第二の推論を即座に切って捨てた。
内乱ならばこの国は勝者のものだ。ここまで徹底的に破壊する必要が無い。
なにより、目の前の凄惨な光景がただの人間同士の争いによって生みだされたとはどうしても思えなかったからだ。
「せめて生き残りがいれば、話の一つでも聞けるんだが」
周囲を見渡したヨミの目に入ってくるのは、圧倒的な破壊の跡だけだ。
いつまでも燃え続けている炎と原型を留めていない民家や外壁。
そしてあちこちに飛び散りこびりついた赤い血液。
どう楽観的に見ても、生存者がいるとは思えない。
そうヨミが判断し、諦めかけたそのとき。
「――――――――――」
二人の耳に、バチバチと燃える炎以外の音が聞こえた。
「方向は」
「右」
それが敵である可能性など考えず、二人は短いやり取りと同時に走り出していた。