UPハザード~人類滅亡の危機に対抗する希望の名は『J』~
目が覚めると同時に、軽い頭痛がした。自分の家にある階段から転げ落ちたからだろう。
起き上がって周囲を見回すと、俺が今まで見たこともないような景色が広がっていた。
どうやらどこかの道のど真ん中に居るようだが、左右に並ぶビル群は、皆崩れかけていて、まるで映画か何かの世界に入り込んでしまったみたいだ。天気が曇りなのも合わさって、どこを向いても灰色な印象を受ける。
これは、異世界転生とかいうものなのか?
俺はあまりアニメとかラノベとかを読まないタチなので、その辺よくわからない。
本当に何もわからない状況に放り出されたわけだが、唯一の救いは、道にそこそこ沢山の人がいて、しかも聞こえてくる言葉が日本語であることだろう。状況を説明したら変な目で見られることが確実だが、そんな事を気にしていられる状況でもない。
「すみません......ちょっといいですか?」
歩いている人ではなく、道端の瓦礫の上に座っていた男の人に声をかける。筋骨隆々で、更に金髪なので、少し怖い印象があるのだが、顔がものすごく温厚そうだった。服は、普通に俺の家の近所にでもいそうな格好だ。
「どうしたんだい?」
微笑みながら話を聞く体勢になってくれた。性格がガタイよりではなく、顔よりだったので一安心だ。
少し言葉に詰まりながらも、自分が今置かれている状況――というより、それがわからないから困っているという事――を伝えると、男は困った顔で唸った。
「信じてくれるんですか?」
思わず確認してしまう。もし俺が男の立場だったら、まず疑ってかかるだろうと思っていたからだ。
すると男は、またも見ている人を安心させるような微笑みを浮かべる。
「たまあに、そういう不思議な状況になる人がいるって聞くからさあ」
つまり、俺みたいに突然見ず知らずの場所に来てしまう人が他にもいるという事なのか?
なんとか状況を理解できそうな事に安堵しつつ、そんな事を考える。
「自分の名前はわかるかい? もし差し支えなければ、教えて欲しいな」
「あっ、はい。俺の名前は――」
名乗ろうとした瞬間、耳をつんざくようなサイレンが鳴り響いた。
思わず音の鳴る方を見ると、ビル群の屋上の至る所にスピーカーが取り付けられていて、そこから鳴っているようだった。
それを聞いた、道行く人たちの表情は、一気に青ざめる。
さっきまでの雑踏は、瞬く間に悲鳴と怒号、逃げる人達の足音に変わった。
「何が......」
「やばい、早く逃げないと!」
何が起こったのか、と質問する前に、男が立ち上がり俺の腕をつかんだ。
「だから、何で!」
あまりの焦りようと、訳の分からなさに、思わず叫んでしまう。
すると、男は周りの人動揺青ざめた顔で言った。
「人類の敵が......襲ってくるんだよ......」
そういった瞬間、後ろの地面に、何か水気を含んだ大きなものが落ちてきた音が聞こえる。
音のしたほうを見ると、緑色で、ねばねばとした粘液に覆われた植物が絡まって団子のようになったものがあった。
「も、もう来たのか......とにかく、早く逃げよう」
男は、それを見るとより一層顔を青くして、俺の腕を引っ張る。
あれが何かわからないが、これだけ人が騒いでいるのを見れば、とりあえず逃げたほうがいいというのは誰にでもわかった。勿論俺もそうだ。
しかし、モゾモゾと蠢きだしたそれのすぐ側に、見知らぬ男がへたり込んでいるのが見え、それから目が離せなくなってしまったのだ。
「あの人、助けたほうが......」
俺が男に言うと、男は首を振り、再び俺の腕を引っ張る。
「あの至近距離じゃもう無理だよ。行ったところで俺たちも道連れになるだけだ。ほら」
そう言いながら、アゴでへたり込んでいる男を示す。
もう一度俺は振り返り、緑の物体の傍に居る男を見た。
その瞬間、緑の物体の身体の一部が解け、男に巻き付いた。
悲鳴を上げながら、謎の植物に持ち上げられる男。
男の胴に巻き付いている植物から、気色悪い粘液が滴っている。
男は、抜け出そうと懸命に暴れるが、植物を掴もうとした手は粘液によって滑り、しかし体は滑り抜けるようすが全くない。
少しすると、男の悲鳴は、恐怖から何かの苦痛によるものに変わった、ように聞こえた。
植物が巻き付いている辺りの服が溶け、肌が見えているのが遠目からでもわかる。
つまり、あの粘液によって巻き付かれた男自身が溶かされているのではないか、というのは簡単に想像ができた。
男の身体を伝ってボタボタと地面に垂れている粘液の中に、赤い色が混じりだしている。
一際大きい悲鳴を男が上げた直後、植物が絡まった団子から、また二三本が解けて伸び、男に絡みついた。一つは右足の腿、もう一つは、男の悲鳴を防ぐかのように、顔へと巻き付く。
それでもなお、男はくぐもった悲鳴を上げ続けた。地面に垂れる粘液は、真っ赤になっている。
「ほら、早く。奴ら、一人ずつしか襲えないから」
俺にそう言った男は、もう待っていられないらしく、無理やり俺を引っ張った。
呆気に取られていたが、ここで逃げなければ今まさに襲われている男のようになりかねない。そう思い、俺は男と共に逃げ始める。
数歩歩いたところで、後ろから聞こえていた声が止んだ。
人生で初めて、俺は人が死ぬ瞬間に遭遇してしまったらしい。
正直言って、リアル過ぎて逆に現実味が湧かないというか、精神的にショックを受けていたりとか、そういう感覚が全くしない。それどころか、この先あんなのが居る世界に居なければならないという事に対しての絶望が、頭の中を占領し始めている。
これが、混乱状態ということなのだろうか。
「なんなんですか、あれ」
緑色の塊が見えなくなったところで、俺は男に聞いた。
自分が置かれている状況を一刻も早く理解したい、という思いからだ。
男は、足を止めずに答える。
「UP、と呼ばれている海藻の一種だよ。最早全く海藻に見えないけど......進化の過程で、ああやって陸に上がって人を食べるようになった、ということぐらいしかわかってないんだ」
「燃やしたり、殺したりできないんですか?」
「今のところ、倒す方法はJしか持っていない、というかできないんだ。ああ、Jっていうのは、UPを倒す事の出来る人たちの名前だよ。もう少しでこの近辺にも来てくれると思うんだけど――」
大通りを曲がったところで、男は言葉を切った。
俺も、先に広がる光景を見て、言葉を失う。
目の前には、通りの至る所にUPが鎮座している光景が広がっていた。
この先を抜けるのは確実に不可能。そう確信できる。
絶望のあまり、立ちすくんでいると、十体は越しているであろうUPたちが、俺らの元へと動き出した。
「これ、やばいですよね?」
震え声で、俺は男に聞いた。
男は、冷や汗を垂らしながらこくりと頷く。
互いに言葉を交わすことなく、振り返って逃げようとした。
しかし、振り返った先にも、いつの間にかUPがたむろしている。
「本当に最悪なことになった......」
男の言う通りである。
直線ですらない、道の端から端まで十数メートルあるような大通りで、俺たち二人は完全に挟み込まれてしまった。
じわじわと迫りくるUP達に、道の中央に追い詰められていく。
「何か、対処する手段とか......」
「それがあったらどんなに平和なことか......俺たちにできるのは、Jの到着を待つだけなんだよ」
ダメ元の質問だったが、やはり返答は予想通りだった。
UPとの距離は、既に五メートル以下、といったところだろうか。
粘液が生みだす、気味の悪い音が四方八方から聞こえてくる。
海藻独特の、あまり好ましくない匂いもしてきた。
俺も男も何も話さず、背中合わせになって、いつか来てしまうであろう死の瞬間に身構えている。
俺たちとの距離がほんの数メートルになった瞬間、UPの動きが止まった。
ついに、先ほど見たのと同じ光景が、今度は自分の身にも起こるのかと、俺は思わず目を瞑る。
何かが風を切る音が、俺のほうへと向かってきた。UPの身体の一部が伸びてきたのか。
そして、ついに俺の腹部にヌルヌルとした、服の上からでもわかる感触が触れた。
ああ、死ぬのか。
そう思ったのは、ほんの一瞬だった。
男もろとも俺に巻き付いていた海藻は、何故か俺たちを一瞬で離したのだ。
その様子は、まるで熱いものに触れてしまって、慌てて手を放す動きのようにも思えた。直前まで目を閉じていたので、あくまで俺の腹部の感触と、その直後に目を開けてみた海藻の動きでそう思っただけなのだが。
「一体何が?」
男が狼狽えながらつぶやく。
俺だって何が起こったのかさっぱりわかっていないので、何も答える事はできない。
UP共はというと、こちらもどうやら狼狽しているようだった。
この場にいる誰もが、この場を理解できていないらしい。
「......もしかして、お前Jなのか?」
何かに気づいたらしく、男が俺に聞く。
「そもそもJがわかんないんですが?」
周囲をUPに取り囲まれたまま、俺は男に聞き返した。
普通に考えると危機的状況なのだろうが、何故かUPは俺たちに攻撃しようとしない。
男も、この状況を不思議に思っているようで、緊張の面持ちで辺りを見回す。
「Jは、旧英語のJapaneseの略、お前、旧日本人なんじゃ?」
旧、という言葉と、ここは異世界的な世界であるのに日本という単語が出てくる事に違和感があるが、とりあえず日本人ではあるので頷いてみる。
すると男は、まさに地獄に仏だといった表情で、俺の肩を掴んで揺さぶった。
「よかった、救われた! ああ、何も知らないから、混乱するよね。ただちょっと......」
そこで一旦言葉を切ると、男は俺の後ろに回り込み、両手を俺の背について押す。
俺は、押されるがままUPの群れに向かっていった。
何故男がそんな事をするのか、先ほどまでの状況を見ていて何となく察しがついている。UPは、俺に手を出せないのではないか、ということだ。
その予想通り、UP達は、俺が近づくと道を譲った。
「よし、これでいい」
UPの包囲網を抜けると、男は安堵の声を上げる。
「君の近くにいる限り、奴らは俺を襲うことができない。もうどこからUPが現れようと平気だ」
「はあ。でも何で? それに、日本人を襲えないってのは? それと、さっきからずっと日本語話してますけど、貴方は日本人じゃないんですか?」
訳の分からない事が連続していたために、質問を連続で投げかけてしまった。
男は、質問攻めも致し方なしといった風に肩をすくめる。
「改めて説明するよ。UPってのはUndaria pinnatifidaの略称、日本語で言うと『ワカメ』だ」
「ワカメ?」
「そうだ。君たちのところ......といっても、俺は君が元居たところを知らないけど、その反応を見る限り、君はワカメを味噌を溶かしたスープに入れたりとか、そうやって調理して食べていた。違うかい?」
「え、ええ。合ってます」
「そのワカメが、ある時歪な進化をして生まれたのが、UP。これが出現した当初は、全世界で大混乱が起こったそうだ。なにせ今までただの鬱陶しい外来種だった海藻が、人を襲い始めたわけだからね。そして攻撃も全く受け付けない。人類はワカメに滅ぼされかけたんだ」
「......ワカメに」
どうやらここは、味噌汁に浮いてる海藻に、人類が脅かされる世界らしい。自分で言っておいてあまりにもシュールな字面だが。
俺の言葉に頷き、男は説明を続ける。
「で、人類の中で唯一、日本人だけ、UP、ワカメが襲う事が出来なかったんだ。つまり、UPの唯一の天敵が日本人だったんだね。そこからまあ色々あったんだけど......」
丁度そこで、ヘリコプターの音が聞こえてきた。
それを見て、男は顔色を明るくする。その反応を見るに、救助ヘリの類のようだ。
「来た。J隊の救助ヘリだよ。彼らに事情を話して、保護してもらって、そこで色々聞くといい。俺が話したのは、この世界の一般常識程度だから......」
「あ、ありがとうございます」
やり取りをしている間にヘリが着陸し、中から何人かの男が出てくる。皆黒髪で、いかにもアジア系、日本人といった感じだ。
彼らに男が事情を話すと、俺はヘリの中へ招き入れられた。どうやら安全な場所までは、男も一緒に運ぶらしく、男もヘリに乗り込んだ。
扉が占められ、ヘリは離陸する。
階段から転げ落ちて、いきなり飛んできてしまった、元居た世界と共通点の多そうな世界。まだよくわからない事が多すぎる。
ワカメだけに、訳ワカメ。俺はこの先どうなってしまうのか。




