とある日の昼下がり05
「今は……」
通話を終え、ケータイをポケットに収めながら自室からシャツを持ってリビングの扉を開ける。
「――!?」
いつの間に目覚めたのか、段ボール箱に横たわっているはずの彼女がいないことを俺は背筋を凍らせる。
もし、彼女が外に逃げたのならヤバい。
やはりロープを切ったのは軽率だったか?
しかし、縛られたまま放置するというのも……やはりダメだろう。
だがまさか逃げられるとは……。
いや、落ち着け。俺はさっきまで廊下にいたんだ。
あの廊下とはとても呼べないようなしかし見取り図では廊下となっている短い廊下を通らなければ、玄関に、つまりは外には出られはしない。
それにここは4階だ。
ベランダから逃げられると言うことも無いだろう。
落ちたなんて最悪も起きてはいないようだ。
となるとまだ家の中にこの部屋にいる。
だが、どこに?
「――!?」
ガタリと音がして俺はその音の方へ視線を向ける。
足音を殺したゆっくりとした足取りで俺はキッチンの方へ行き、キッチンの明かりをオンにする。
「――っ!?」
まず、キッチンにあるの扉という扉が開かれており、そして冷蔵庫から小さな女の子の下半身が生えていた。
恐らく空腹に耐えかねたのだろう。
冷蔵庫の引き出しに頭を突っ込んでゴソゴソと何かを漁っている。
生で食べてもそう上手くないだろうに、ニンジンやキャベツ等の野菜の辺りに散乱しているのは彼女がどれ程お腹が空いていたのかというのが良く分かる。
このままかわいいお尻をじっくりと眺めていたいところだが、そういうわけにもいかない。
「おい、何してる?」
俺が声をかけると彼女はビクリ全身を震わせると頭を持ち上げてこちらを向く。
サファイアの綺麗な瞳から涙が溢れ出し、冷蔵庫の引き出しを背にして震え始める。
目の色は違うのか……いや、そんなことはどうでもいい。
俺は大丈夫、安心して、と優しい言葉をかけながら近づいていく。
「さあ、もう大丈夫だから……」
「あ、あぅ……」
彼女に触れようとしたその瞬間に俺の手をスルリと避けると彼女は素早くキッチンから脱出する。
目が覚めたら見知らぬ場所にいて見知らぬ男が目の前にいる。
例え優しい言葉をかけられていたとしてもそれは逃げるだろう。
俺が子供の頃に同じ状況に至ったら同じ事をする。
「あっこら」
俺はそう言うが、彼女は言葉が通じてないのか一向に止まる気配はない。
まず彼女が向かったのはベランダに出る窓、空の見えるそこを外に通じていると思ったのだろう。
幸い鍵が掛かっているので逃げられはしない。
そう思っていたがどうやら窓を、正確にはガラスというものを知らないのだろう。
小さな悲鳴を上げて思いっきり激突して彼女の動きは停止する。
そのおかげと言っていいのかは分からないがとにかく逃げられるという危機からは脱した。
逃げられないように俺はまずその腕を掴む。
細っこい簡単に折れてしまいそうなそんな腕を痛くないように、それでもしっかりと掴む。
彼女は震えている。
目には涙を浮かべて震えている。
あぁなんて最悪な状況だろうか?
こんな小さな女の子から俺は一体どうやって恐怖心を取り去ればいい?
「大丈夫。安心していい。俺は君を同行するつもりなんてないからな」
「あっあぁ」
参ったな……。
しゃべらないのか、しゃべれないのか、だが少なくとも言葉は通じていないようだ。
どうすればいい?
彼女は恐らく性的な目的のためにそういった教育を受けてきたのだろう。
十中八九そうだろう。
痛かっただろう。怖かっただろう。
この子が今のように、今以上に泣き叫んで、怯えてどういった行為を受けてきたのか受けさせられてきたのかは分からない。
だが想像はつく。
奴隷のような人たちはそういった事しか知らないからむしろ厳しくした方がいいと聞くが、それは怯えているこの子にも有効なのだろうか?
あぁ……こんなケースは初めてだ。
だが言葉が通じない者に気持ちを伝えるのは行動だ。
まずは……この腹の虫を黙らせるところから始めるべきだろうか?
俺は彼女を立たせるとシャツを羽織らせてから手を引き、再びキッチンに連れていく。
散乱したキッチンの有り様で怒られるとでも思ったのか彼女は俺の手を解いて深く深く頭を下げる。
怯えている声で何か言葉を話している。
動かないのならばその方がいい。
言葉が通じない者に怒っていないことを伝える手立てはない。
心は痛むが、俺は彼女をそのままに準備を始めた。
早い方がいい。
俺はタッパーに入れた昨日の残りのご飯を電子レンジで温め、レトルトのカレーを鍋で茹でる。
完成した温かいカレーをキッチンに置いて俺は今もなお頭を下げ続ける彼女の方へ近づいていき、肩に触れる。
小さなその体がビクリと震え、ゆっくりと顔をあげる。
涙と鼻水でグチャグチャになっているその顔、俺はポケットから取り出したハンカチで軽く顔を拭ってやる。
そして椅子に座らせるとカレーを食べさせようと彼女の前に持っていく。
「――?」
「ほら、こうやって持って……こう食べるんだ」
スプーンを握らせて食べ方を教えてやる。
彼女の腕を掴んで、カレーとご飯を軽く混ぜてその場所を掬い上げて彼女の口元まで運んでやる
あまり熱くないようにしてあるので食べるのに支障はないはずだ。
一口カレーを口にした彼女は顔を皿に近づけてスプーンで口の中にカレーを流し込む。
そしてカレーだけを綺麗に平らげた。
満足そうな彼女をみて俺も笑みを浮かべる。
少しは恐怖心は和らいでくれただろうか?
分からない。しかし震えは止まったように思える。
おいしいご飯(飯は食べてくれてないけど)ってのはやっぱり恐怖心、警戒心を取り去るのにいい役割を果たしてくれる。
それから彼女は三杯(いずれも米は残した)おかわりをし、俺は彼女を風呂で汚れを洗い流してシャツを着せるとベッドに寝かしてやった。
洗うと茶色く濁った水が流れるなんて人の体でそんなことあるんだな。




