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蜜蜂にハナズオウ―ユリの章3―

 真理はオレンジジュースを手にすると、口をつけずに、自分の前に置いた。


「私も、施設の出身です。場所は関東ですけど」


「そう」


 英二は特に驚いた様子もなく、窓の外を見ていた。


「でも、逃げ出しました。何度も、何度も。あそこに居たら、ボロボロになるって、思って」


 英二は何も言わずに軽く頷く。

 少しは、分かってもらえているのだろうか。

 英二の表情からは何も伺えない。

 真理の手に力が入る。


「何回も逃げ出しては連れ戻されて。でも、結衣が同じ施設に入ってきたんです」


 真理は結衣の横顔を見た。

 薄汚れてやつれてしまったが、入所したばかりの結衣は本当にお人形のような、綺麗な顔をしていた。まだ7歳だったが、施設の職員達が息を飲むのが分かる程度に、可愛らしかった。

 真理に何度も乱暴した職員の目の色が変わるのも分かった。その色はよく見ていたから。入所する前、母親が家に連れてくる男と同じ目の色だった。


 このままでは、結衣も自分と同じ目に遭ってしまう。

 学のない真理でも、それだけは分かった。

 そして、それは本当に起こってしまった。その時は、真理がたまたま近くを通ったから止められたが、助け出した時の結衣の顔を見て、これが初めてではないのだと、直感的に感じた。


「それで、私、結衣を連れて施設を出ました。今度は施設から離れた場所で、お金を稼いで」


 その間、結衣にはネットカフェにいてもらった。本当なら、どこかまともな施設に入って欲しかったが、真理はもう、施設自体、信じられなかった。

 二人分の交通費は二日で用意出来た。

 そして、ここまで来た。


「英二さん、私と結衣を匿ってもらえませんか?」


 真理が言うと、英二は何の反応も返さなかった。


「もちろん、お金は私が稼いで、生活出来るようになったら出ていきます。だから、それまでの間、泊めてもらえませんか?」


「それやと、結衣ちゃんは学校行かれへんってことやな」


 自分の名前が出ても、結衣は特に顔を上げなかった。オレンジジュースのカップを持ったまま、うつらうつらしている。


 正直、学校のことまで考えていなかった。真理自身、高校を中退した。届けも出していない。

 だから、結衣の教育のことなど考えもしなかった。


「俺も高卒やし、偉そうなこと言われへんけど、学校は行ったほうがええねんけどな」


「分かってます。でも」


「確かに、元の施設に送られるようなら学校ぐらいって思えるかもしれへんな」


 英二の、何を考えているのか分からない顔を見て、真理も途方に暮れる。

 まだ大阪へ来て初日だ。英二が最初に声を掛けた男だ。駄目なら他を当たれば良いだけだ。


 そう思ってはいても、やはり受け入れてもらえないのは辛かった。

 自分の頭がもう少し良ければ、結果は違ったのかもしれないけれど、どうすれば良いか、どこを、誰を頼れば良いのかなど、今まで、誰も教えてくれなかった。


「四輪にすれば良かったな」


 英二が独り言のように呟いて携帯を取り出した。メールを打ち出す。


「ちょっと窮屈かもしれへんけど、来て」


 立ち上がった英二が結衣を揺り起こし、真理が声を上げる間もなく、眠そうに目をこする結衣をおんぶした。


「とりあえず、芳樹と合流しよ」


 英二がそのまま歩き出したので、真理はテーブルの上を片付けると、英二について店を出た。大通りに大きな車が止まっている。

 運転席から出てきたのは芳樹だった。

助手席の扉を開けて、こちらを見ている。


「どうしたの、大所帯で」


「移動しながら話すわ。鈴原は助手席座って。芳樹、後ろも開けて」


「はいはい」


 真理は促されるまま、助手席に乗り込む。後ろを振り返ると、車椅子の上でにこにこしている男がいた。


 そこへ英二が乗り込んで来る。座席に結衣を座らせ、自分は足元に座り込んだ。

 運転席に戻ってきた芳樹に、英二は「悪いけど、俺の家に寄ってくれへんか?」と言った。


「ん? 英二の? りょうかーい」


 軽い調子で返事をした芳樹が自分の隣でハンドルを握っているのが、少し居心地が悪い。


 あの話の流れで、英二だけを呼び止めたことを、芳樹は気にしていないだろうか。気を悪くしていないだろうか。

 本当なら二人を呼び止めたほうが良かったのは分かっている。けれど、芳樹に身の上を話すことがどうしても嫌だったのだ。

 妙な同情や憐れみを掛けられて、そして、それだけで去って行ってしまいそうで。

 英二に先に話すことで、自分と結衣のことが誤解なく芳樹に伝わってくれれば良い、と自分勝手に期待をしているのだ。

 浅はかで、惨めな期待を。


「着きましたー。で? どうすんの?」


「5分で戻るから待ってて」


「はいはーい」


 今度は運転席から降りる気のないらしい芳樹が手をひらひらさせた。


「二人とも降りて」


 言われて、真理がシートベルトを外す。


「あの、お邪魔しました」


「いえいえ、またどうぞ」


 芳樹はにこにこと見送ってくれた。

 真理が降りてくると、英二はまだ眠そうな結衣の手を引いて、マンションの中へと足を進めた。

 古いマンションだ。壁の所々にヒビが入っているし、タイル張りの足場は欠けているところもある。エレベーターも妙にゆっくり動く。

 やっと降りてきた無人のエレベーターに3人で乗り込む。英二は6階のボタンを押した。

 誰も話さない空間に息が詰まる。

 エレベーターが止まると、英二はスタスタと歩いて602号室の扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。


「俺の家」


 英二はそれだけ言って扉を開ける。

 玄関の壁を探って電気を点けると、英二は中へ入った。


「お邪魔します」


 真理は言って、英二の後に続き、結衣も中へ入った。狭い玄関だった。


「ドア閉めて」


「はい」


 真理は答えてドアを閉めた。キィ、と耳障りな音がして、扉が閉まる。


 一人用の住居だと一目で分かる。廊下がなく、すぐに居室になっている。靴を脱いで部屋に上がると、部屋の中に台所があった。


「1Kやけど、一応、風呂とトイレはあるから。あと、これ、スペアキー。マスターキーは俺が持ってる。今日の食事は冷蔵庫から適当に漁って」


 言うだけ言って、英二は近くにあったチラシの裏に何かを書き付けた。


「ここの住所と俺の電話番号。じゃあ、明日の朝、また来るから」


 英二は言って真理の顔を見ずに部屋から出ていった。外側から鍵を掛ける音がする。そして足音が遠ざかっていった。

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