表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/68

不安と幸福と決意

玲奈視点です

智子さんとの新しい生活が始まって二ヶ月が経った。

本音を言えば、目まぐるしい変化に私は少しだけ戸惑っている。



朝起きた時におはようと言ってくれる人がいて、一緒に朝食を食べる。


学校に行けば大好きな人がいて、驚くことに誰も私を冷ややかな目で見たりしない。

それどころか好意的に接してくれて、生まれて初めて友人と呼べる人たちができた。


放課後はお稽古事で忙しいけれど、勉強は憲人さまと一緒にできるので楽しかった。

休憩時間では憲人さまと玲子様と一緒にお茶を楽しんで、19時になれば智子さんが迎えに来てくれる。


夜は智子さんと一緒にご飯を作って、テレビを観ながら食事をした。

智子さんは何度も「鷹司家の人たちには言っちゃだめよ。約束よ」と言っていた。

もともとニュース以外にテレビを観る習慣が無かったからとても新鮮だった。


食事の後は智子さんに今日一日の出来事を話した。

私がどんな話をしても、智子さんはニコニコ嬉しそうに聞いてくれた。

そうしていつも「今日も頑張って偉いね」と頭を撫でて、ギュッと抱きしめてくれる。


22時になれば寝る準備をして、自室に戻った。

以前智子さんは「一人の時間を大切にしている」と言っていたから、私が寝室に入れば智子さんにも一人の時間が出来る。

そうすると智子さんは映画を観ながら晩酌を始めた。

それをこっそりとみるのが好きだった。バレないように笑ったり泣いたりする智子さんを見ると、なんだか楽しくなるのだ。

それに満足すると私も図書室で借りてきた小説を読んだ。


幼い頃はお母さまが絵本を読んでくれたり、物語を聞かせてくれて、私も本を読むのが好きだった。

それをしなくなったのは何時からだったろう。

追い立てられるように勉強やお稽古に励んでいて、気付けば何も持たない私になっていた。

智子さんは私に、勉強以外のことも経験してほしいと言った。


『私は趣味のために仕事しているタイプの人間だからね。好きな事があると頑張れるし、人生に潤いが出るんだよ。色んなものに触れて、好きな事を見つけて。勉強が好き、って事ならそれでもいいし』


そんな風に笑う智子さんの言葉を思い出して、私は読みかけの小説を閉じた。

そうするとここしばらくの悩みが沸いてギュッと目を瞑る。


(幸せ過ぎて怖いなんて、贅沢な悩みかしら……)


そう、私は今とても幸せだ。

本当に幸せで、幸せで、幸せで、それが怖い。

嫌な事は心を閉じればやり過ごせた。

けれど幸福は制御が難しい。

触れた優しさや笑顔を、私はもう手放せない。

失う事を当たり前にしていた頃の私には、もう戻れない。

もう一度かつての生活に放り込まれたら立ち直る自信がない。


「私は弱くなったのかしら…」

いつもそんな風に思っているわけではないけれど、ふとした瞬間恐怖が私を支配する。

そんな時は、憲人さまとの約束を思い出した。


『一緒に大人になっていこう』

目を閉じればあの時のぬくもりが蘇った。

ギュッと手を握って、深呼吸を繰り返す。


「強くなりたい」

ちょっとやそっとじゃ動じない大人になりたい。

幸福を受け取るだけじゃなくて、誰かを幸福にできる人間になりたい。


この二ヶ月ずっと、そんな事ばかり考えていた。



――――――



「玲奈ちゃんに一つ言っておきたいことがあるの」

いつものように夕食を食べた後、同じソファに座った智子さんが私を見つめた。

「これから暫くは何をする時も一人にはならないでほしい」

「え?」

私は幼い頃から、誘拐などに備えて一人で行動することが殆ど無かった。

それは今も同じで、学校の送り迎えも、鷹司邸から自宅に帰る時も同様だ。

日頃から護衛の人がいる状態で、さらに気を付けてほしいと言われる事に違和感を覚えた。


「それはもちろん気を付けますが……何かあったのでしょうか?」

私の問いかけに智子さんは顔を顰めた。

あまり私には言いたくない事なのかもしれない。

「んー……あのね、宮森家は今あんまりよくない状況なんだ」

「え…?」

“宮森家”と聞いただけで私は無意識に胸に手を当てた。

あの家にいた頃は平気だったはずなのに、今では思い出すと動機が早くなってしまう。

智子さんは私の様子に気付いたのか、グイっと私の体を引っ張って抱きよせた。

そうして当たり前のように頭を撫でる。

「ごめんね。嫌なら話さないよ」


耳元で響く優しい囁きに私は目を閉じる。

柔らかで温かい感覚に、少しずつ鼓動は治まっていった。

「大丈夫です。知らないで後悔するのは嫌ですから…」

「……分かった。嫌になったら言ってね」

「はい」


そうして智子さんが話してくれたのは、私と憲人さまとの婚約破棄をきっかけにして、宮森グループの大口取引先が撤退している、というものだった。

鷹司が宮森との関わりを断つ宣言をしたことでそれがより多くなったらしい。


「だから宮森側が玲奈ちゃんを逆恨みしないとは言えないんだよね。それに憲人さまとの玲奈ちゃんの婚約が正式に発表されたし美里がどう思ってるか分からない」

「そうですね…」

父はともかく、美里が私に向ける感情は激しい。

私が幸福な人生を歩んでると知ったら、なにをされるか分からない。


『あのね、あんたが死ねばいいんじゃないかと思ったの』


狂気に満ちたあの無邪気な笑顔は忘れられない。

美里は本気で私に死んでほしいと思っているのだ。

ぶるりと震えた私に気付いて、智子さんは抱きしめる手に力を込めた。


「あいつらが動くとしたら、たぶん近いうちだと思う。おめでたい脳みそしてるから堪え性無いだろうしね。でも護衛の人は必ずいるし、私も一緒にいるから。玲奈ちゃんに指一本触れさせないよ」

「はい…」

「むしろ向こうが勝手に動いて自滅してくれるなら私にはちょうどいい。名実共に、私が玲奈ちゃんの保護者だって知らしめてやれるもの」

「……はい」

智子さんの言葉に涙が滲んで声が擦れた。

「ね、玲奈ちゃん。今日は一緒に寝ない? ちょっと冷えるし湯たんぽほしいんだ〜」

「い、一緒に、ですか?」

「寒いんだよ〜。ね、今日だけ!」

お願い〜と頭をスリスリされて、私は戸惑いながら了承した。


その夜、智子さんは私が寝るまでと、頭を撫でてくれた。

その心地よさをずっと感じていたくて、眠いのに寝るのを我慢した。

けれどあまりに気持ちよくて、気付けば寝てしまった。


翌朝智子さんにそれを言うと、「じゃあたまに一緒に寝よう。また寝るまで撫でてあげるから」

と約束してくれた。

それが嬉しくて、その嬉しさが私に希望をもたらす。


(私は絶対にこの幸せを手放さない)

そのためなら、いくらでも戦うのだ。


気付いたら、弱気だった私が少しだけ強くなった気がした。




それから少しして、智子さんの「あいつら堪え性が無いから近いうちに来るだろう」という推測が正しかった事を知った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ