宮森沙耶 / ???? 奇跡の始まりの始まり
本日3回目の投稿です
「本当に可哀そうな人生だナア」
ニヤリと笑った少女とも少年ともつかない、天使とも悪魔ともつかない美しい生き物が私を覗き込んだ。
「だって君の人生ってあんまりにも酷いじゃないカ。父親には金で売られ、結婚した相手には裏切られ続けて。マア俺にはすっごくオイシイ悲劇だったけどネ。君のオカゲで俺もここまで大きくなれたんだ。だから不幸でいてくれてアリガトウ」
生き物はケタケタと笑った。失礼な事を言われているというのに、何故か不快にはならず、じっと生き物を見つめた。
「でもサア、俺はヤサシイヤツだから、それじゃあんまりにも哀れだなって思ったワケ。だから君にチャンスを持ってきたんだ」
「チャンス?」
ここにきてようやく私は言葉を発した。
生き物は私の反応があって嬉しかったのかキャッキャと笑う。
「そうサア。チャンスだよお。君が死んだ暁には、別の世界で生まれ変わらせてアゲルよ。嬉シイだろ?」
得意げに言い放った生き物の言葉に私は瞬いた。
「別の世界?」
「そうサア。俺みたいな特別なチカラを授けて、チガウ世界に君の魂を持っていってアゲルよ。安心しな、次の両親はもう少しマシなヤツにしてアゲルからさ」
なぜか分からないが、不思議な生き物の、不思議な提案を荒唐無稽だと思うことはできなかった。
それは恐らく、私がもうじき死ぬからだろう。
己に迫る死の気配のせいで、目の前の生き物が人間の摂理を超えたものだと分かってしまう。
「どんな世界がイイ? 魔法が使える世界も存在するゾ」
問いかける生き物の言葉は本当なのかもしれない、そう思わせるような異常な空気を生き物は放っている。
だからこそ私は首を横に振った。
「いらないわ」
断られると思っていなかったのか、生き物は信じられないと言わんばかりに目を見開く。
「ナンダッテ? この俺のセイイを蹴とばそうってのカ?」
「だって私は生まれ変わりなんていらない。それよりも、私の娘を守ってほしいの」
私は懇願するように生き物の腕を掴んだ。生き物はうげっと顔を歪ませて私の手を払う。
「それオモイヤリってやつ? 俺は嫌いなんだ、ソウイウの。反吐がでるからナア」
「あら、あなたの提案も私へのオモイヤリに溢れているじゃない?」
「それは君の不幸が俺のチカラになったカラだ。娘はどうでもいい」
唇を尖らせる様が幼子のようで私は思わず笑った。
「でも娘が無事じゃないと、私はどんな人生を与えられても幸せにはなれない。それにあなたが言うほど私の人生は不幸じゃない。だって娘に会えたのだもの」
私が譲らないと思ったのか生き物は盛大に顔をしかめたケッと吐き出した。
「人間はほんとうにメンドクサイな。どう考えても君は不幸ダ」
「いいえ、不幸なんかじゃない。こうして天使が現れたんだもの」
私の言葉に生き物の顔がこれ以上ないくらい不快に歪んだが、それすら美しいと思えるほどその生き物は人間離れした美さを持っている。
「俺を天使っていうキトクなヤツは君以外にいないヨ」
「そうかしら。私はあなたなんかよりもずっと酷い人間を見てきたわ」
目の前の生き物は確かに「良い生き物」だとは思えなかった。
けれど、この生き物は人間と違って、たぶん嘘をつかない。
「あなたが娘を助けてくれるなら、あなたは私にとって天使よ。ねえお願い。もしもあの子を助けてくれるなら、その別の世界で私はまたあなたの好きな「可哀そうな人生」を送ってもいい。どんなひどい目にあっても構わない」
「……俺はそこまで悪趣味じゃナイ。品のない事はキライなんだ」
ふてくされたように生き物は私を見下ろした。
「俺はお前の娘に興味はナイ。一生は面倒ミタクナイ」
「そう…」
生き物の言葉に私は落胆する。確かに娘をずっと守り続ける事は不可能だろう。
「だからその代わり、お前の娘と波長の合う大人と娘を繋いでヤロウ」
ふん、と生き物が言った言葉に私は首を傾げた。
「波長の合う大人?」
「ソウダ。人間には抜群に相性がいいヤツってのがイル。身内ダロウが他人ダロウが、血縁に関係ナク、波長が合う人間が必ずイル。出会える時もあれば出会えない事もアル。それで言えばそいつが娘に会う事は本来ないダロウ。だから俺が娘をそいつと繋いでヤルヨ。上手くいけば助けるダロウさ。駄目ならこのまま、今と変わらない」
私は目を見開いた。
――抜群に相性がいい人間――
「…そんなものがあるの…」
「アア。お前は出会えなかったけど、それも仕方ナイんだ。世界は小さな歯車で回ってる。お前がただミルクを飲むか飲まないかを選択しただけでも、未来は複数に変化してくカラな」
生き物の言うことは私にはよく分からなかった。
それでも、可能性があるのなら賭けてみたいと思ってしまう。
日ごとに悪化していく事態にただ嘆きながら死ぬよりもマシだ。
あの子を守れるのなら、それこそ命など些末なものなのだ。
「……その人に玲奈の事を強制するわけじゃないのよね?」
「強制なんかシナイ。そいつがタスケタイと思わない限り、娘と会うことはナイから安心シロ」
「会ってないのに助けたいと思う? そんな事ができるものなの?」
「便利な世界だからナア。簡単ダ。お前を別の世界で生まれ変わらせる事よりも一億倍簡単だ。俺は得しかシナイ」
ケタケタと笑う生き物に私は安堵してベットから身を起こして頭を下げる。
体が重いけれど、どうしても私は目の前の生き物に感謝を伝えたかった。
「よろしくお願いします。――私の前に現れてくれてありがとう」
「……慈善事業ジャナイから礼を言われる筋合いはナイ」
戸惑ったような声音に私は思わず笑う。
その拍子に、目から涙が零れた。
ーーーー
――死が、迫る。
もうじき、追いつかれてしまう。
神様、あの子に幸福を。
あの子を助けられない私に、罰を与えてくださっても構いません。
その代わり、誰よりも頑張りやなあの子をお救い下さい。
どうか、どうか。
愛するあの子を…
……
光が消えて、迎えにくる直前、あの不思議な生き物の声がした気がした。
『お疲れサマ。お前の娘は、たぶん大丈夫だ。これから会わせることにナル』
生き物の言葉に私は驚いた。
あの後出会った鷹司家の人たちが、鷹司憲人様がその相手だと思っていたからだ。
でももしも違うのなら、玲奈を思う人がまた増えたという事だ。
そしてその人は玲奈を救いたいと、心から願ってくれたのだ。
安堵して、ありがとう、と、そう声に出したかったけれど、私にはもうそんな力は残っていない。
それだけが心残りだな、と思いながら私は光に溶けて行った。
――――
「バカな女だナア。死ぬ時モ、くだらないコトを考えるナンテ」
消えた光を見送った“それ“はふんと鼻を鳴らした。
「あの女が死んだらムスメの不幸をもらおうと思ってタノニ。これじゃもう取れなくナル」
つまらなさそうに“それ”は呟いて、母親を失った少女を眺めた。
本来であればここから長い間少女は苦しい人生を送るはずだった。
それでも少女をずっと思う少年が、時間をかけて少女の元へ辿り着く。
ただ、それまでに少女の心がどうなっていたのかは“それ”にも分からない。
だから少女はこの先「不幸になったかもしれない」し、「不幸にならなかったかもしれない」。
しかし新しい歯車が加わった事で、辿るはずだった一つの道は消えている。
ここから先、加わった歯車が絶対に少女の悲しみを許さないだろう。
「アア、でもソウカ。今マデ楽しんでキタ連中の崩壊が早まるノカ」
“それ”には人間が考える不幸の尺度は分からない。
“それ”から見た「楽しんできた連中の崩壊」は、今死んだ女に比べたらなんてことはない。
しかし連中はそうは思わない。
この手の人間は大したことのない歯車の狂いに、簡単に動揺する。
そしてわざわざ自滅してくれるのだ。
「そっちの方が見てて楽しいナア」
逆境に立ち向かうような人間よりも、ずるずると破滅する人間の不幸の方が何故か甘い。
長い間、大して甘くも無い不幸を取ってきたから、ご褒美に取りに行けばいいのだ。
「さあテ、これカラどうなるのかナ?」
“それ”は楽しそうに消えていった。