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日永智子 / 宮森玲奈

本日2回目の投稿です

「うわ…実際に見るとでっかいな…」

鷹司家が用意してくれた黒塗りの高級車から、智子は宮森家の門を見上げた。

運転手がインファーフォン越しに「三条家」を名乗ると門が開いて車を通す。

現れた豪邸に智子はごくりと息を呑んだ。

(庶民にこの光景は眩しすぎる)

庶民代表の智子には「よく分かんないけど家がでかくて庭が広い」くらいの感想しか思い浮かばない。

気おくれしそうになるが、目的のある智子はそうも言っていられなかった。


今日は、玲奈をここから連れ出す日だ。

本当なら、鷹司家の用意した「三条家を名乗る人」達に任せても良かったのだが、なんとなく嫌で智子は行かせてほしいと頼んだ。

今日は玲奈にとって、大事な日になるはずだ。そんな日に、一人でいさせたくはない。

「今から玲奈さまが来るようです」

高坂と名乗った運転手に声をかけられて、智子はハッと顔を上げる。

「ありがとうございます。荷物は少ないようですので、私一人で行きますね」

「かしこまりました」

丁寧な物腰の高坂に頭を下げて智子は車を降りた。

対応したであろう使用人が数人、好奇心を隠そうともせずに智子を見ている。

しかしこちらに声をかけようとする物は一人もいなかった。


(玲奈ちゃんの客人なら、案内する気も無いって事? 仮にも三条家の使いにする対応なのかな)

確かに三条家は財政に困窮しているが、仮にも元華族だ。本来であれば内心を隠してきちんと対応すべきだろう。

(プロならちゃんとしてみせろっての)

お客様ありきの部署で働く智子にとって、宮森家の仕事のぬるさに苛立ちがこみ上げる。

これで自分よりもいい給料をもらっているのだと考えると、智子の胸に植え付けられた社畜心に火が付きそうだ。


その思考を遮ったのは、智子の天使の声だった。

「お待たせしました」

息を切らして現れた玲奈に智子は思わず満面の笑みを浮かべかけるが、唇を噛んでそれをこらえる。

本来玲奈と接点の無いはずの智子が玲奈を知っている事を、まだ宮森サイドには知られたくない。

「初めまして玲奈さま。日永と申します。恐れ良いりますが、お荷物のある場所にご案内して頂いてもよろしいでしょうか?」

「はい。こちらです」

他人行儀な言葉を交わして玲奈の後に続くと、豪邸から離れた場所に、こじんまりとした邸宅が立っていた。

こじんまり、とは言ってももちろん智子の実家よりも大きい。

「ここが玲奈ちゃんの育った場所か」

「はい」


周囲に人がいないことを確認して智子が呟くと、玲奈は少し寂しそうに頷いた。

それには気付かないふりを邸宅に入ると、玄関先にはすでに荷物が置かれている。

その少なさに、智子の心が痛んだ。本人が話していた通り、智子と玲奈で運べる僅かな量だった。

「智子さん、こっちの荷物なんですが教科書が入ってて重い私が持ちます! 智子さんはこっちの軽い方を持ってください」

当たり前のようにそう言って荷物を持とうとした玲奈を、智子は慌てて遮った。

「あ、こら! 玲奈ちゃん待った!」

突然の智子の静止に玲奈もピタリと止まった。そして不思議そうに智子を見上げる。

智子は玲奈を目線を合わせるために屈むと、ふわりと玲奈の柔らかな頬を両手で包んだ。

「玲奈ちゃん。聞いてください」

「…はい」

「これから一緒に暮らすにあたって、私は玲奈ちゃんを厳しく教育していきます」

わざとらしく真面目な表情を作った智子が宣言すると、玲奈は瞳に困惑を滲ませた。

「玲奈ちゃんは優秀な子です。でも一つだけできないことがあるの。それは甘えることです」

「え…?」

「ねえ、玲奈ちゃん、子供の仕事って知ってる?」

智子は優しく問いかけて、ぎゅっと玲奈を抱きしめる。

「子供の仕事は、大人に甘えて、頼って、我儘を言って、時には反抗することです」

それだけ言って、智子は体を離して玲奈の顔を覗き込む。

「自分が重い荷物を持つことを、当たり前だなんて思わないで。もしかしたら、玲奈ちゃんが大人になって、私がおばあちゃんになった時にはお願いするかもしれない。でもそれはもっとお互いを良く知って、話し合って決めようよ。だって私は玲奈ちゃんの家族になるんだから。そのために、私はでろっでろに玲奈ちゃんを甘やかします。重い荷物も私が運びます。異論は認めません」


智子の言葉に玲奈は大きな瞳を目いっぱい開いた。

返事も待たずに、智子は荷物を抱えて立ち上がる。

「厳しくするって、言ったでしょ?」

智子が片眼をつぶると、玲奈の瞳が揺らいで一瞬泣きそうな顔になる。

それでも、こらえる様に唇を噛んで玲奈は笑った。

「はい。お願いします」

「はい、お願いされます。じゃ、行こうか!」

「はい!」


宮森家の敷地内で気丈に笑った玲奈は、車を出した瞬間堰を切ったようにボロボロと涙をこぼした。

学校で初めて玲奈と対面した時と同じ、幼い子供のように智子にしがみついて泣いていた。

敵だらけの場所を出て、安心したのだろう。

ここは、玲奈の安寧の地では無かったのだから。

智子は安心させるように、優しく玲奈を抱きしめて背中をポンポンと叩いた。


玲奈が泣き疲れて眠っても、ずっと小さな体を抱きしめていた。


―――――――



空っぽになった自分の部屋を見た時、不思議な気持ちになった。

「知らない人の部屋みたい」

大事なものは、全て鞄の中に入れてしまった。

そうすると自分でも驚くほど、育ったはずの家が無機質なものに感じてしまう。


これから生活が大きく変わる。

名前も、住む家も、通う学校も変わる。

不安が無いのかと言えば嘘だった。

それでも、この場所に立っていることに違和感を感じるのは、ここが自分の居場所ではないと知っているからだ。


当日になればもっと感傷的になると思っていたのに、自分でも驚くほど心が静かだ。

(私って情が薄いのかしら…)

お母さまと過ごした日々は一生忘れない。

それなのに、この家を見ても何も思わないなんて、なんて薄情なのだろう。

そう考えていると、連絡用の電話が鳴った。

『三条家の方が来られました。案内はそちらでお願いします』

相手は用件を伝えると、玲奈の返事も待たずに電話をきった。

私も返事をする余裕は無かったから構わない。

智子さんにまた会えると思うだけどで、自然に足は早まった。


息を切らした先にはスーツ姿の智子さんがいる。

普段はパジャマ姿の智子さんばかり見ているので、かっこいい智子さんを見るのは新鮮で好きだ。

「初めまして玲奈さま。日永と申します。恐れ良いりますが、お荷物のある場所にご案内して頂いてもよろしいでしょうか?」

「はい。こちらです」

丁寧な智子さんの言葉にも「初めまして」の言葉にも少し笑いそうになるが、こらえて私も智子さんを案内した。

そうしてすぐに、離れに着く。


「ここが玲奈ちゃんの育った場所か」

智子さんがそう呟いた瞬間、私の中に寂しさがこみ上げた。

さっきまで無機質だった家に、僅かに色が広がっていく。

「はい」

自分の感情に戸惑いながら震える声で返事をしたが、智子さんは何も言わなかった。


玄関にはすでに荷物が置いてある。

私は突然押し寄せた寂しさを打ち消すように、智子さんを見上げた。

「智子さん、こっちの荷物なんですが教科書が入ってて重い私が持ちます! 智子さんはこっちの軽い方を持ってください」

「あ、こら! 玲奈ちゃん待った!」

慌てたような智子さんの言葉に私は思わず固まった。智子さんを見上げれば、真剣な顔をした智子さんと目が合う。

何かしてしまったのだろうかと思った瞬間、智子さんが屈んで私の頬を優しく包んだ。

「玲奈ちゃん。聞いてください」

「…はい」

「これから一緒に暮らすにあたって、私は玲奈ちゃんを厳しく教育していきます」

真面目な顔で、かしこまった口調になった智子さんに、やはり不快な気持ちにさせたのかもしれないと私は息を呑んだ。


「玲奈ちゃんは優秀な子です。でも一つだけできないことがあるの。それは甘えることです」

「え…?」

言葉の意味が分からず、私は首を傾げる。

「ねえ、玲奈ちゃん、子供の仕事って知ってる?」

問いの答えを待たずに、智子さんは私を優しく抱きしめた。

「子供の仕事は、大人に甘えて、頼って、我儘を言って、時には反抗することです」

そう言うと智子さんは私から体を離した。

それが寂しいと思いながら、私を見つめる智子さんの温かな笑顔に言葉を失う。

「自分が重い荷物を持つことを、当たり前だなんて思わないで。もしかしたら、玲奈ちゃんが大人になって、私がおばあちゃんになった時にはお願いするかもしれない。でもそれはもっとお互いを良く知って、話し合って決めようよ。だって私は玲奈ちゃんの家族になるんだから。そのために、私はでろっでろに玲奈ちゃんを甘やかします。重い荷物も私が運びます。異論は認めません」


智子さんの言葉の意味を、すぐに理解できなかった。


だって、自分のことは、自分ですべきだろう。

誰にも迷惑をかけずに、誰の負担にもならないように、生きてくのは当然のことだ。

我儘なんて言えるわけがない。

反抗なんてするわけがない。

頼るなんて、甘えるなんて、していいわけがない。


それなのに、智子さんはそれを駄目だと言うのだ。


智子さんは満足げに笑うと、私の返事も待たずに荷物を持って立ち上がった。

「厳しくするって、言ったでしょ?」

おどけたように片目を瞑った智子さんを見て、私は泣きそうになった。

それでも今は、唇を噛んで涙を押しとどめる。

「はい。お願いします」

「はい、お願いされます。じゃ、行こうか!」

「はい!」


車に荷を乗せるまで、私は懸命に自分を抑えていた。

我慢できたのは、育った家を出る時までだった。


遠ざかる住んでいた家から智子さんに目を向けると、隣に座る智子さんが私の手を握って笑いかけた。


その時沸き上がった感情の名前を、私は知らない。


濁流のように押し寄せる、様々な感情の名前を、私は知らない。


あの家が嫌いだった。

あの家に住む人間たちが嫌いだった。

学校が嫌いだった。

学校にいる人間たちが嫌いだった。

私を置いていったお母さまを、許せなかった。


どうしてみんな、私を置いていくの。

どうしてみんな、私を嫌うの。

私は、だって、私は、私が、なにをしたって、いうの。


冷めていると思っていた自分の中に、こんなにも激しい感情があるなんて知らなかった。

気付いたら、どうしようもないほどに泣いていた。


泣いて、泣いて、泣いて、私は悔しかったのだと気づく。


何もできない自分が嫌いで、それが悔しくてたまらなかった。

本当はいつだって叫びだしたかった。逃げ出したかった。


怖い、悔しい、辛い、悲しい、寂しい。


でもそれに気づいてしまえば、私はもう歩けない。

だから何重にも蓋をして何重にも鍵をかけた。


それなのに、智子さんはたくさんの鍵を抱えて私の蓋を外してしまった。

歩けなくなっても、きっと智子さんが私を抱えて走ってくれると思ってしまった。

そしてそれはきっと、勘違いなんかじゃなくて。


そんな奇跡みたいな事があるなんて、思いもしなかった。

未来が美しいだなんて、輝くなんて、考えもしなかった。


こんなにも悲しくて悔しいのに、こんなにも幸せだなんて。

こんなにも世界が嫌いなのに、こんなにも好きだなんて。


そんな感情の名前を、私は知らない。

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