斉木美里 / 宮森美里
美里にとって世界は自分のために存在していた。
なんでも叶えてくれる父親と、優しく美しい母親。
自分の容姿ももちろん気に入っていた。現に、男の子たちは美里にとても良くしてくれる。
全てが完璧な世界だった。
ーーあの親子、沙耶と玲奈を除いては。
物心つく前から、両親や使用人達は二人をぞんざいに扱っていた。
当たり前に詰られ疎まれる彼女たちを見ていた美里は、「彼女たちにそうする事は至極当たり前の、日常的な事」だと認識していた。
だから玲奈を見下す事は美里にとってなんら不思議な事では無かったし、そうする事は酷く楽しかった。
一方的に人を嬲る行為に快感すら感じていた。
しかしいつしか美里の中に別の感情が生まれる。
きっかけは、玲奈が教師に褒められた時。
玲奈は学年で一番の成績で、運動でも上位を争う。習い事も美里より多くこなしていた。
もともと器用な美里は、大抵のことを努力せずにこなしていた。容姿が整っていて運動も勉強もできるという事は、美里の自己顕示欲を過分に満たしていた。
なのに、美里よりも玲奈の方が成績が上なのだ。
そんなバカな事があるものか。
アレは、あの女は自分よりも下の生き物なんだから。
そんな感情が芽生え始めた頃、美里は自分が父親の雅紀の正式な子供ではない、と知ることになる。
宮森の敷地内や学校ではみんな当然のように美里を雅紀の子供として扱っていた。
なのに、書類上は玲奈が正式な雅紀の子供なのだ。
雅紀の愛は美里と美織にあるのに、あの親子は図々しくも間に割り込んできたのだ。
考えるだけで憎しみが込み上げて、玲奈をもっと痛めつけたいと考えるようになった。
まずはじめに雅紀に頼み込んで、教師を操って巧妙に玲奈を孤立させた。
そして次は、学校の男子を味方につけた。
女子はどうでもいい。どうせ美里には逆らえないのだから。
それだけで、もともと愛想の無い玲奈が居場所を失うのに時間はかからなかった。
おまけに沙耶の体調がどんどん悪くなっていると聞いて、美里の中に喜びが溢れた。
なのに、なのにどうしても憎しみは消えない。
どれだけ痛めつけても、玲奈は屹然と美里を見据える。それが腹立たしくてしょうがなかった。
玲奈が無理やり婚約させられると聞いた時は、嬉しくてたまらなかった。
玲奈は沙耶と同じように、誰にも愛されずに朽ちていくのだ。
そう思うだけで美里の心は安定する。
沙耶が死んだと聞いた時は笑いを隠すのが難しかった。
だってこれで、美里は雅紀の正式な子供になれる。もう惨めな思いをしなくていいのだ。
完璧な美里の、完璧な人生が目の前に迫っている。
そう思っていたのに、美里は沙耶の葬儀に現れた玲奈の婚約者を見て愕然とした。
青い瞳の、見たこともない美しい男の子。
こんな相手が玲奈の婚約者だなんて聞いていない。
雅紀が鷹司は宮森よりも家格が高いから政略結婚としてはちょうどいいと言っていた。
つまり、お金持ちで美形の完璧な婚約者が玲奈にいると言う事だ。
たまらず葬儀で姿を消した二人の後をつけると、男の子が玲奈を抱きしめながら小さく囁いた。
「僕がいる。僕が君を支える」
その瞬間、美里の中のドロドロが身体中から溢れた。
あんな女は誰からも愛されない。
愛されないはずなのに、なぜ手に入れているのだ。
誰にも望まれていない存在のくせに、なぜ。
(許せない許せない許せない!!!)
目の前が赤く染まり、憎しみが美里を支配する。
だから感情のままに、美里はすぐに行動した。
雅紀に鷹司憲人の婚約者を自分に変えてくれとお願いしたのだ。
もちろん美里に甘い雅紀は二つ返事で了承した。
最初、断られた事でかなり荒れに荒れたが、最終的に玲奈を追い出せたら婚約者として迎えるという話になった。
つまり、彼は玲奈ではなく美里を選んだのだ。
それが嬉しくて、美里の機嫌は今までで一番良くなった。
玲奈が三条家の養子になるために、この家を去った日を忘れられない。
あの時の玲奈の惨めな姿といったらなかった。
誰にも愛されなかった人間の末路は、見送りゼロの虚しいものだったのだ。
ただ、一つ不思議な事があった。
玲奈が宮森家から出る時、見覚えのある女が現れた。
確か、研修の講師として来ていた菓子会社の女だったはずだ。
何故か女は玲奈のいる離れに入って、少ない荷を持って一緒に出てきた。
どうしてあの女が玲奈といるのだろう。
そう思ったが、すぐに忘れてしまった。
美里にとっては瑣末な事だったからだ。
とにかく、玲奈はもう宮森玲奈では無く、鷹司憲人の婚約者でもない。
美里も、斉木美里ではなく宮森美里になった。
だから大丈夫だ。
大丈夫だった、はずなのに。
玲奈が出ていった数日後、雅紀が神妙な顔で美里に言った。
『美里、すまない。鷹司憲人との婚約は断られたんだ』
あの時の感情を、美里自身理解できていなかった。
ただ、気付けば叫んでいた。
近くにあるものを握っては、めちゃくちゃに放り投げた。
『僕がいる。僕が君を支える』
なぜかあの時の光景が浮かんできて、打ち消すように暴れた。
そんなわけ、ない。
何かの間違いだ。
もし、美里との婚約が叶わなかったとしても、その理由が玲奈なわけがない。
なのにどうしてあの時の声が消えないのか。
困惑する雅紀の顔も、美里を見てるようで見ていない美織の顔も、全てが憎かった。