電話
午前中落ち浮かない気持ちで仕事をしていた智子は、時計が12時を指した瞬間席を立った。
昼食も買わずにいつもの作業室に入ると、端末を取り出してジッと見つめる。
(鷹司家か、憲史さまの会社か……どっちの方が怪しまれないで済むんだろう)
予想はしていたが、富永からの情報で鷹司家は宮森家とは比べものにならない金持ちだという事が分かった。
現在は同族経営の大企業で社長を務めているが、そもそもが働かずとも生きていけるとんでもない資産家でもある。
智子であれば鷹司憲史の資産で何百回も豪遊人生を送れるだろう。
簡単に言えば、おいそれと連絡を取れるような相手ではない。
しかし富永の知り合いは憲史の会社の番号ではなく、秘書に直接通じる番号を送ってくれた。
それに加えて、鷹司家の自宅番号もある。いったいどういう知り合いなのか謎が深まるが、今は関係のない話だ。
とにかく、向こうにとって智子はとびきり怪しい。怪しさ100点満点だ。
自宅にかければうまくすれば鷹司玲子がいるだろう。取りつなぎをお願いすれば玲子と話せるかもしれない。
しかし、妻に不審な電話が来たと憲史が判断して警戒されても困る。
(よし、やっぱり会社にかけよう。社名は……言わない方がいいに決まってるよね)
決心した智子は端末を手に取るとメッセージを表示した。思い切り息を吸って、長く吐く。
社会人一年目、人見知りにとって電話は恐怖でしかなかった。しかし今では慣れたものだ。
それなのに手が震えている。
(数千万かけたプロジェクトの時よりも緊張するとは……)
ゴクリと喉を鳴らし、恐る恐る発信ボタンを押した。
コール音が一回鳴るか鳴らないかで受話器が取られた。
落ち着いた声のヤモリと名乗る男性が出て、智子は乾いた唇を開いた。
「お忙しいところ恐れ入ります。わたくし日永智子と申します。今お時間を頂く事は可能でしょうか」
『はい。ご用件はなんでしょうか』
「御社社長の鷹司憲史さまにご伝言をお願いしたいのですが……」
言いながら声が震えそうになるのを懸命にこらえる。
『……。内容をお伺い致します』
秘書の男性の僅かな間は智子を確実に怪しんでいた。
「宮森玲奈の件でお話をする事は出来ないでしょうか、とお伝えできますか」
『宮森玲奈……?』
単調だが、男性の声音はどこかハッとしてたように思える。
(この人もしかして玲奈ちゃんを知ってる? でも秘書だし知っててもおかしくない)
焦ってはいけない。そう思って智子は無意識に頷いた。
「はい。彼女の現在と今後についてのご相談があります。もし折り返しが可能でしたら、ご連絡頂けないでしょうか」
智子が言い切ると、何かを思案するような間があった。
『あなたは何者ですか? どこでこの番号を入手されたのですか?』
詰問するような口調に智子は唇を噛む。
難しい質問だ。智子は何者でもないし、入手方法は謎だ。
しかし黙り込むわけにはいかない。
「私は宮森玲奈の味方です。彼女はいま外部と連絡が取れません。だから代わりに私が連絡しました。ここの連絡先の件はお答えできません」
『入手方法が答えられないなら、玲奈さまの件が本当だとは思えませんが』
男は無意識に玲奈を「玲奈さま」と呼んでいた。やはり彼は玲奈を知っているのだ。
「私を疑うのは当然です。ですが彼女の端末はいま繋がらないのではありませんか? 会いたくても隙が無いのでは?」
もし鷹司家の彼らが智子が思い描く人物なら、連絡を取ろうとしたはずだ。そう思ってカマをかけると相手が黙り込んだ。図星だったのだろう。
「彼女は婚約破棄をとても悲しんでいました」
『鷹司は同意しておりません』
男の声は怒気を孕んでいる。智子に怒っているのか宮森家に怒っているのかどちらだろうか。
そしてやはりと確証を得る。
やはりあの婚約破棄は雅紀の独断で決められた事なのだ。
「私もそうだと思ってます。だからこうしてお電話しました。あのまま彼女があの家にいれば、いずれ壊れます」
智子の言葉に男は息を飲む音が聞こえる。
「ですからせめてお話だけでもお願いしたいのです。お伝え頂けませんか」
感情がこもって、懇願するような声音になった。
これがダメでも諦めるつもりはないが、ここで進めないのはとても困る。
『…………。鷹司に確認致します。すぐに折り返しできるかは分かりかねますが』
長考の沈黙の後、望みのある返答に智子はホッと息をつく。
「かまいません。私もすぐに出られないかもしれませんが、着信があればご連絡します」
『折り返し先はおかけになっている番号でお間違えないでしょうか』
「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
電話を切った音が聞こえて智子は椅子に座り込んだ。
緊張していたせいでどっと疲れてしまう。
「はあああ疲れた!! 緊張した!!」
休憩はまだまだあるがご飯を食べる気にはなれない。
智子は作業台に突っ伏して深呼吸した。
智子が目を閉じて10分ほど経過した頃、着信音が作業室に響いた、
「ヒッ! だれっ!? えっも、もう折り返し? 早すぎない??」
表示されている番号は先ほどかけたものだ。
あまりの返信の早さに一度端末を落としながらも智子は電話に出る。
「はい、日永です」
『ーー初めまして。私は鷹司憲史と申します。先ほど宮森玲奈の件でお電話されたのは貴女でお間違いありませんか?』
耳元に聞き覚えのある声が響いて智子はピシリと固まった。




