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婚約破棄

ドラマや漫画、小説に感情移入する事は珍しい事ではないだろう。

かく言う智子も、今までハマってきた作品は多い。


その中でも智子はハッピーエンドが好きだ。

どれだけご都合主義でもハリウッド映画のように最後は大団円というノリの作品を観るとストレスも無いし最高だ。

バッドエンドも嫌いでは無い。

ただ、バッドエンドは気持ちが引きずられるので疲れている時は観ないようにしている。

しかし、今まではどれだけ感情移入しても、周りを見失う事は無かった。


けれど、玲奈に対して冷静になれない自分がいる事に智子は気付いていた。

誰も共有する相手がいないからかもしれないし、あのドラマの役者の演技が上手いからなのかもしれないし、演出が良いのかもしれない。


ただ、智子にはこのドラマがハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、判別がつかなかった。

それがたまらなく不安で、気付いたら玲奈の事を考えてしまう。


表情が薄く整った顔立ちの玲奈は近寄り難いからか、友人は相変わらずいない。

今の玲奈には、憲人と彼の両親だけだ。

子供1人を立たせるにはあまりにも過酷なのだ。


仕事中なのにそんな事を考えていると、背後から声がした。

「日永さん、一時期回復してたけど、また隈が酷いよ」

呆れたような口調だが、明らかな心配を滲ませて上司の森川が智子に声をかけた。

「あ、私も思ってました。智子ちゃん、ちょっと顔色酷いよ。今日は特に。帰ったら?」

そこに企画部の二つ上の先輩、松岡さやかも加わって、二人は智子をジッと見た。


「いえ、体調が悪いわけではないんです。単に寝不足なだけで」

智子は己の不節制を自覚しているため、申し訳ない気持ちを抱えつつ首をプルプルと振った。

「仕事キツい? それなら少し抑えるけど」

「いいえ! 本当にどうしようもない理由で寝不足なだけなんです! 明後日の休みにはちゃんと寝ます!!!」


森川も松岡も優しい。

その優しさが智子には痛かった。

まさかドラマが気になって寝不足なんですとは言えない。

ドラマの主人公が可哀想で悩んでいるなど、もっと言えない。


(とにかく一度ちゃんと寝よう)

仕事はこなしているが、周囲に心配をかけてしまうのは良くない。

そうでなくても聡い人間ばかりが多い部署だ。


そういえば同僚の木下も朝一番で何故か智子に野菜ジュースを渡してきたし、後輩の安東も寒くもないのにカイロを渡してきた。


そこそこ良いお給料も貰えているため、智子は仕事に対しては真摯でいようと決めている。

ドラマは気になるが、夜はきちんと寝ようと決めたのだった。


ーーーーーー


「日永さん」

残業もほどほどに、智子が家に帰ろうと会社の廊下を歩いていると、富永が声をかけてきた。

「あっ光さん。なんか久しぶりですね」

「ねえ。ま、私の場合デザイン室にこもってたからね。あなたとは担当が違うし」


企画を担当する企画部と制作を行うデザイン室は密接に絡むことが多い。

智子にとっても関わりの深い部署だが、担当がそれぞれあるため、被らないとあまり会えないのだ。

「あーしかも私も外出多かったんですよねえ」

智子の課はどうしても外部との絡みが多い。企画によっては広告代理店を挟まなければならないため、自然と外出が増える。


智子があははと笑うと、富永は智子の顔を見て眉根を寄せた。

「そのせいなの? 隈が酷いけど。ストレスなんじゃない? 何かあれば、対処するけど」

ここでも言われて智子はギクリとする反面、そんなに酷いのかと軽く落ち込んだ。

しかし落ち込んでいる場合ではない。


富永は面倒くさがりだが、同時に面倒見もよい。後輩に厳しくしながらも、守るためなら平気で上司に楯突くタイプなのだ。

富永の「対処する」は恐らく森川になるだろう事は容易く予想できる。

しかし今回の場合に限っては完全なる冤罪だ。


「違います違います違います!! あれです、玲奈ちゃん」

「え、あ、あれ? あーそうよね、こないだも言ってたものね」

驚きながらも富永の表情の奥には呆れが見え隠れしている。目だけで、こいつどうしようもないな、と思っているのが伝わる。


「わかってますよ、アホだって知ってますよ」

「わかってるならいいんだけど。でもちょうど良かった。あのドラマについて調べてもらったから、報告しようと思ってたのよ」

「えっ!!? 何か分かったんですか!?」

智子は思わす富永に詰め寄った。


「近い! 落ち着きなさい! ……分かったのかは、正直微妙ね」

「え、どういう事ですか?」

「説明がややこしいの。ねえ、智子ちゃん、明後日休み?」

「休みです」

「なら明日飲みに行かない? その時にまとめて話すから。私これからまだ仕事があって」

「ぜひ!! 行きましょう!!店予約しときます!」

「ありがとう。じゃあお疲れ様」

「お疲れ様です」


本当は今すぐにでも問い詰めたい感情を抑えて智子は帰路についた。


ーーーーーー


家に着いてやる事をやれば、やはり智子はアプリを起動した。

早く寝るとは言え、やはり観ないと落ち着かないのだ。


画面を開けば、玲奈は珍しく携帯端末を弄っていた。

(お相手は憲人さまかな?)

なんとなく、玲奈の顔が綻んでいるのを見て、智子は思う。

今の玲奈の端末にあるのは3人分の連絡先だ。

憲人、玲子、憲史である。

前はそこに沙耶の連絡先が入っていたが、今はこの3人しかない。


端末を操作する玲奈の手つきは優しく、憂いを払うような笑顔だ。

(ああああ〜玲奈ちゃん可愛い玲奈ちゃん玲奈ちゃんエンジェル玲奈ちゃん)


ひとしきり布団の上で悶えて、智子は改めて画面を見た。

画面にはやはり幸せそうな玲奈が写っている。

このままなら今日は穏やかに眠れそう、そう思いながら智子が観ていると、唐突に玲奈の部屋の扉が開く。


ノックもなく現れたのは、玲奈の父、雅紀だ。

『……お父さま!?』

玲奈の顔に一瞬驚きが浮かび、瞳の奥が不安に揺らいだ。

それはそうだろう。


この男は不幸を運ぶ時にしか自分から姿を見せないのだから。

(なんか嫌な予感がする)

そう思ったのは気のせいではなかった。


次の瞬間に雅紀が発した言葉は、智子にも予想がつかないものだったのだ。


『お前と、鷹司憲人の婚約を解消する』


「は…?」

『え…?』

智子は玲奈と同時に声を上げた。

玲奈は話が理解できない、と頭を振る。


『そんな、でも、簡単に解消などできるはずが……』

『俺だけじゃない。鷹司家の総意だ。お前のような人間は欲しくない、とな』

『嘘です。あの方達がそんな事言うわけ……』

『黙れ。そもそもこれは家同士の婚約だ。それなら何もお前でなくてもいいと気付いた』

雅紀がニヤリと笑う。実の娘に向けているとは思えない、嘲るような笑みだ。


『美里が正式に俺の娘になる。鷹司憲人は美里と婚約する。向こうも快く承諾してくれた』


「なにを……」

智子は思わず声を上げて、口を噤んだ。


人間が絶望する瞬間、というのを智子は見てしまったからだ。

辛うじて保たれてきた均衡が崩れた、と智子は感じた。


玲奈の手から端末がすべり落ちて、玲奈自身も、力なく床にへたり込んだ。

その瞳には暗い影が映っている。


『行儀の悪い…日頃からそうだから、お前はダメなんだ』

雅紀は吐き捨てるように言った。

『その端末も、明日から使えなくなる。必要ないだろう』

それだけ言うと、雅紀は玲奈の部屋を後にした。


「玲奈ちゃん……」

項垂れる少女の表情は分からない。

それでも智子には、彼女の絶望が痛いほど伝わった。

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