第1話
1950年8月5日 バシー海峡
眼下には、単縦陣で航行する2隻の駆逐艦が見える。日本の領海に間もなく入るのだが、スピードが衰えることはない。むしろ速力を上げてきているように、竹下機長には思えて仕方なかった。
「2隻ともアレン・M・サムナー級ですね」
隣に座る副長が艦種を特定する。既にレーダーでその存在は確認していたが、竹下機長は接近した。近づくのはもちろん危険だが、近づかなければわからぬことも多い。事実、接近したことで領海に近づくのがアメリカ海軍の艦艇であることがわかった。
「駆逐隊は出たか?」
「既に哨戒中の第三六駆逐隊の〔時雨〕と〔白露〕が警告のために向かっているはずです」
副長は手元を見ることなく答える。出世したら俺より上に行くだろうな、と内心思う竹下機長である。
副長は第二次大戦後の教育を受けた新しい人材であり、レーダーやミサイルへの技術の明るさは竹下機長よりある。これからの海軍の中心となるべき人物であり、その人材を育てることが自分の役目であると竹下機長は考えていていた。
「詳細を確認するために接近する。各員備えるように」
そう言って竹下機長は機体を旋回させる。右に見えていた駆逐艦は左に移り、機体は駆逐艦と併走するように飛行する。
「フィリピンの〔イングリッシュ〕と〔ハンク〕ですね」
艦首のハルナンバーから例の副長が艦名を特定する。どちらも、何度もバシー海峡に接近している艦だ。
竹下機長はそれらの情報を〔時雨〕に伝える。過去の経験から、現場の情報伝達は格段に良くなっている。〔時雨〕からは了解と返ってきた。
竹下機長が操るのは、昨年制式採用されたばかりの九式対潜哨戒機〔北海〕である。四発のターボプロップ機であり最高速度は700キロである。航続距離は2800キロで機首に七式空二号対空索敵電探(FD-2)、機体下部に七式空一二号対水上電探(SD-12)を備える。五式対潜魚雷4本を搭載するなど哨戒機としての能力は高いが、代わりに敵艦への攻撃能力は求められていない。
「機長、前方に艦影。敵味方識別装置に反応があります」
「来たか」
かつて大西洋を暴れまわった歴戦の2隻の来航に、竹下機長はわずかに興奮した。
同日 東京都・霞が関 海軍省
「今日はどうだった?」
それがここ最近の口癖になりつつあると、柳本柳作軍令部総長は思った。逆を言えば、それだけ状況が切迫しているということだが。
「今日は2隻だけでした。艦種はどちらも駆逐艦で、スービック海軍基地を母港とする艦です」
「航空機の接近はなかったのか?」
「アメリカ空軍の爆撃機と思われる艦影を、第六航空群の〔北海〕が捉えました。無暗に接近する様子はなかったようですが」
古村啓蔵軍令部次長の声は落ち着いていた。彼は第二次世界大戦で第一航空艦隊の参謀として欧州戦線に参加し、〔グラーフ・ツェッペリン〕撃沈にも関わっている。
「そうか……」
柳本はそこで一旦言葉を止める。室内にいる者は誰一人言葉を発せず、空調の音だけが聞こえてくる。
この時、柳本は海軍省第一ビル地下の第一会議室にいた。海軍省第一ビルは1949年(昭和24年)12月に完成したばかりで、レンガ造りの海軍省庁舎の後ろにそびえ立っている。通信環境は旧庁舎より大幅に改善し、一部施設の地下化により防諜対策も良くなっていた。
「アジア艦隊全体ではどうなっている?」
柳本の質問に、海軍情報局の千早正隆少将が立ち上がった。
「2日前までの情報です」
「構わん。みんなも聞いてくれ」
ではと言いながら、千早少将は隣に座る榊原中佐を見た。榊原中佐は無言で頷き、黒板へ足を進める。
「10日前にプリンストン級がスービック基地に入港したのは承知の通りだと思います。これに加わるように、エセックス級2隻が4日前入港したことが確認されました」
プリンストン級とは、サイパン級に続く艦隊型軽空母である。本級は前級までと違い、巡洋艦の船体を流用していないのが特徴で、搭載量と防御力は格段に向上している。竣工が新しいため日本海軍は詳細を把握していなかったが、戦闘機を30機程度搭載する艦隊防空向けの艦であると考えていた。
「エセックス級の随伴でボルチモア級数隻の入港も確認されています」
「重巡も新型か」
「はい。フィリピンの基地機能を考えますと、アジア艦隊の戦力増強はこれで一区切りと情報局では考えています」
これでアジア艦隊の戦力は空母3隻、重巡5隻、軽巡2隻、駆逐艦数十隻とかなり引き締まった戦力となる。アメリカが、目的もなしにこれだけの艦艇をアジア艦隊に集める可能性は低い。
「やはり何かあるということか……」
会議室の空気は一気に重くなる。その結論がどのようなものなのか、皆わかっているからだ。
「今度、国防総省の定例会議がある。そこでこの件は上がるはずだ。その前に、海軍の今後の対応を決める。今日は、そのために集まってもらった」
参謀飾緒をつけた男たちの視線が、柳本中将に集中する。
「アメリカが大規模な軍事的行動を取る可能性がある。その期間は、半年以内だ!」