#09
「三田さん、翔平くん、あの…」
宏晴は、話しを聞きたい当事者たちが出てきてくれたことは良いものの、どのように水を向けるべきか思い付かなかったらしく、眉尻が下がり、困惑した表情になった。もっとも地の顔が強面なので、そのような表情でも、やたら迫力があった。みなみは玄関が開いたことに気付くと、門扉まで駆け寄って、その上部に手を掛け、身を乗り出すようにして、訴えかけた。
「どうか、うちの子を傷付けるのは止めて下さい」
はあ?、という疑問符の付いた声は道路までは聞こえて来なかったが、三田夫妻の口が、同時にそのように動いたのが見えた。三田夫妻は顔を見合わせ、不審げに背後に立つ息子に顔を向けたが、翔平は宏晴以上に困惑の表情で首を横に振った。三田の妻の方は正面に向き直り、一歩前に踏み出しつつ、みなみに声を掛けかけたが、それより早くみなみが更に言葉を継いだ。
「渡したお金のことはもういいです」
「あの、お金って…」
「以前、困るとか言って、わざわざこの子があげた贈り物を返したりとか、随分手が込んでいますけど」
「あの…」
「なかったことにしますから、この子に関わらないで下さい」
「…」
「汚らわしいです。はっきり言って」
三田の妻、翔平の母親は、重量を感じさせる足取りで、階段をのしのしと下りると、門扉の手前までやってきた。一文字に引き結んだ口が、明らかに怒りと不機嫌を示している。
「この子はまだ子供です。色気付くなんて気持ちが悪い。そのうえ、それにつけ込んで、お金を引き出すとか、恥ずかしくないんですか」
門扉を挟んで、向かい合った翔平の母親を、涙を浮かべた瞳で真っ直ぐ見据え、みなみはなおも言い募った。翔平の母親はその視線を真っ直ぐ受け止めつつ、閉じていた口を開いた。
「…ケンちゃん」
宏晴の後を追ってきたは良いものの、どう行動して良いのか分からず、ただ翔平とみなみ、両者の間に視線を行ったり来たりさせていた藤沢だったが、声を掛けられ、翔平の母親で視線を留めた。
「説明、お願い」
みなみの顔を見据えつつ、翔平の母親は、藤沢に説明を求めた。
「関係のないひとを持ち出してごまかさないで下さい。それより…」
「あんたは黙ってて!」
みなみが言葉を続けようとしたところで翔平の母親が吠えた。みなみは瞳を限界まで見開き、その弾みで溜まっていた涙が頬を伝った。その顔のまま、助けを乞う目で斜め後方にいる宏晴を振り返ったが、宏晴が口を開くより早く、翔平の母親が先んじた。
「藤沢さん、あんたも黙ってて。ケンちゃん、それで?」
「そいつが、ショウと付き合うために金を貢いだ、と言っている」
促され、藤沢は問題となっている箇所を端的に説明した。そいつ、のところで少し離れた場所に突っ立っていたルリ嬢を指し示したので、美月たちは今更ながら、ルリ嬢もここまで来ていたことに気が付いた。
「はあっ!?無い、無い!絶対無い!有り得ない!時計だって返したじゃん!」
それまで、藤沢とちょうど対応する形で、藤沢と自分の母親の間に視線を巡らせていた翔平が、熱り立って絶叫した。顔が瞬間的に熱中症を起こしたかのように紅潮している。昂らせた感情のまま階段を駆け下りると、母親の隣に立ち様、門扉を両手で掴んで揺らしつつ、怒鳴った。
「ってか、気味悪えよ!あんたら、本当!」
そのまま殴り掛かりそうな様子に、流石に翔平の母親が止めた。息子に続いて階段を下りてきた父親も、焦った表情で翔平の両の二の腕を背後から掴んだ。
みなみの両眼が、きゅう、と音を立てる勢いで吊り上がった。涙の潤みとは異なる、異様な光を帯びる。声になっていない声を上げると、転がっていた植木鉢を拾い上げ、門扉越しに、翔平の頭部に向かって両手で投げつけ掛けた。位置的に、みなみから一番近かったのは宏晴だったが、眼前の光景が理解出来ず、全く動くことが出来なかった。少し離れてはいたが、藤沢が駆け寄ると、横手から振り上げられた植木鉢とみなみの右手首を掴んだ。坊坂と八重樫は、みなみと門扉の間に滑り込み、植木鉢が放たれた場合に、受け止めるか、叩き落とせる配置に立った。みなみの口から、再び十軒先まで届くような金切り声が上がった。
「変態!痴漢!譜麗留におかしなことしていたくせに!ヤらせろって迫ってたくせに!」
金切り声もだが、続けて叫ばれた内容に、藤沢が硬直した。拘束が緩んだみなみは藤沢の手を振り払うと大きく振りかぶり、藤沢に向けて植木鉢を振り下ろした。動きとしては緩慢で、普段の藤沢であれば簡単に避けるか防ぐか出来る速度だったが、このときは完全に体が固まってしまっていて、微動だの反応さえ出来なかった。美月は反射的に飛び出し、藤沢を押し出した。実際には美月の七割増しは体重がある藤沢はびくともしなかったので、藤沢を部分的に覆いかばう形になった。身長差の問題で、藤沢の肩か二の腕に当たる筈だった植木鉢が、美月の側頭部から頭頂部にかかる辺りを直撃した。
激痛と共に、美月の目の前に火花が散った。あくまで一般的な女性の力だったので、すぐに気絶するような影響は無かったが、よろめいた。途端、藤沢の全身に怒気と殺気が漲った。硬直から脱却すると同時、足元をふらつかせる美月を片手で支え、逆の手で、植木鉢をもう一度振りかぶろうとしたみなみの手首を掴んだ。直後、植木鉢が破裂した。自動車が衝突したのかと勘違いするような大きな破壊音が一帯に響いた。陶器の白と黄色の破片と、肥えた土、朝顔の蔓にまみれて、みなみは腰を抜かし、道路にへたり込んだ。再び大きな音が響き、三田家の庭に置かれていた、瞳を閉じた顔の月の図案が施された植木鉢が弾け散った。
『藤沢っ!』
坊坂と八重樫が駆け寄る。坊坂は藤沢の腕を捻り上げ、みなみの手首を解放させると、正拳で藤沢の頬を突いた。殴ったのではなく、突きでしかも頬に触れたところで止めていた。八重樫は藤沢の足元にしゃがみ込み様、何かがそこにあるかのように、肘で空を切った。
「藤沢、須賀を放せ」
それまで怒気と殺気の塊の様相だった藤沢だが、そう声を掛けられると同時、はっとして、片手で抱えた美月を見やった。美月が全身を、瘧に掛かったかのようにがたがたと震わせ、歯を鳴らしているのが腕の感触で捕らえられる。藤沢は愕然としつつ、美月の体を道路に下ろした。
「大丈夫!?救急車っ!」
園芸用の手袋をはめた女性が叫んだ。美月は大丈夫と言おうとしたが、歯が自分の意志とは無関係にがちがちと鳴っただけだった。坊坂が、ズボンのポケットから、昨夜、ルリ嬢の使鬼を作成したのと同じ木片を取り出して、美月にかざすと、何か唱えた。直後、木片が音を立てて縦真っ二つに割れ、美月はようやく震えから解放された。
「…」
「藤沢、あんた、今、あんたが繋がっている地の神の力を引き出した。一時的なものだから俺と坊坂で切ったけど、あんたの体調をずっと診ていた…あんたの中に片手を突っ込んでいたような状態の須賀がそれに触れてしまって過剰反応した。坊坂が、木偶にその部分を身代わりにさせて終わらせた」
もの言いたげな藤沢に、八重樫が小声で解説した。
「あの…」
園芸用の手袋をはめた女性が遠慮がちに声を掛けて来た。道路に座り込んではいるが、既に一時の症状からは回復している美月は手を振って応えた。
「大丈夫です。こぶになったかもしれないですが、それだけで」
当然だが、地の神云々は女性には分からない。美月が頭部を強打されて、その影響が出たとしか思っていない女性は、不安げに更に何か言おうとしたが、それより早く美月たちの傍らを誰かが走り抜け、皆一斉にそちらに気を取られた。




