#07
侵入者があった翌日、いつ藤沢の父親が帰ってくるのか分からないために何となく家の中にいることが落ち着かない一同は、ウッドデッキにテーブルを広げ、そこで朝食を摂った後は真面目に課題をこなしていた。藤沢は途中、何度もスマートフォンを取り上げ、メッセージの受信を確認し、またテーブルの上に戻していた。藤沢はメッセージを送る以外にも、今朝早く父親の生家に、不審者が車庫に落書きして通報されて連行された、という一連の出来事を簡潔に話し、父親から連絡があれば伝えてくれるように頼んでいたのだが、未だに音沙汰がなかった。そろそろお昼である。昼食は購入していないので、手分けして買ってくるか、という話しをしていたところで、藤沢家の前の道路にタクシーが停まり、美月たち全員はそちらに注目した。降りてきた白っぽい人影が、門扉の向うに立ち、視線がぶつかった。
「あ、あなたたち、他人の家で何をしているのっ!?」
元々大きめの目を限界まで見開いて、その人影が声を上げた。踝まである白いスカートを穿き、髪を後ろで髪留めで纏めている女性だった。その顔は居間にあるフォトフレームで繰り返し表示されていたもので、その背後にゆらりと、坊坂が木偶で作った使鬼そっくりな女の子が立った。続いて藤沢をそのまま四十代にしたような男性が、タクシーの料金を支払い終えて降りてきた。
「ねえ、どういうこと!?あの子たちは誰?何で我家いるの?」
女性が半泣きの表情で男性に訴えた。男性は、強面にこれでもかというほどの弱気を反映させつつ、女性を宥めた。
「ああ、うん。ええと、その、あ…ケン?ええと、これは?どういうことだ?」
藤沢に話しを振ってきた。
「連絡、しているよね」
美月はここに来る前、メッセージアプリの画面で、宿泊を了承された旨を見ている。挨拶しようとして腰を浮かせた体勢のまま、美月は藤沢に確認して、驚いた。門扉に向けている藤沢の顔は、夏の強い日差しの下でも、質の悪い紙のように白く変色し、瞳孔が開ききっている。美月の声が聞こえていないのか、微動だにしない。
「藤沢?」
美月が肩を揺るぶる。藤沢は、びくっと身を震わせ、美月を見上げ、門扉を再度見やり、また美月を見て、ようやく美月の問いが頭に浸透したようで、応えた。
「あ?ああ、してる」
藤沢は、テーブルの上のスマートフォンを取り上げて、示した。
「何?どういうこと?あなたが入れたの?」
「え…いや、えっと、いや。聞いていない、と思う…んだが…」
庭を挟んだ距離があるが、不審げな女性と、はっきりしない男性のやり取りが聞こえてきた。
「…既読、付いてる。てか、返信してるだろ」
藤沢は液晶画面を見つつ、呆れ顔でつぶやいた。まだ顔色は悪いが、少し持ち直したようで、二三度瞬きをすると、立ち上がった。
「親父、早く家に入れよ。近所迷惑だ。…悪い、ちょっと外で待っていてくれるか」
前半は、門扉の向うの男性に向けて、後半は美月たちに向けた言葉である。正直なところ、美月は尋常ではない顔色の藤沢と離れたくはなかったのだが、上手い言い訳が思い付かず、坊坂と、既に芝生に下りた八重樫を見た。坊坂は、無言で自分のスマートフォンを取り出した。
「何かあったら、すぐに知らせろ」
藤沢がうなずくのを確認すると、坊坂は不安げな美月を促して、ウッドッデッキを下りた。藤沢の言う『外』は、庭で、という意味だったのかもしれないが、美月たちは勾配を下りて、門扉から道路に出た。三人の行動を逐一目で追っていた白いスカートの女性は、美月たちが横を通る際には、か細い悲鳴を上げて傍らの男性の腕に縋り付いた。男性は女性を背にかばった。その横に立つ、坊坂の発現させた使鬼とは、服装と、髪を耳くらいの高さでポニーテールにしていること、額と顔から首に掛けて面皰が点在していることくらいしか違わない女の子は、妙にじっと美月たち三人の見つめていた。三人が道路に下りたのを見届けて、藤沢は掃き出し窓から居間に入った。
美月たちが道路に下りたのと入れ違いで、藤沢家の住人たちが門扉から家に入って行く。美月は、ルリ嬢の靴が洗ってはあるがかなり古い運動靴だったことを見とめて、微かに溜め息が漏らした。用事を終えたタクシーが、排気ガスを排出しつつ去って行った。向かいの家の車庫では、大学生らしき男性がイヤフォンをはめて洗車をしている。その隣の家では、大振りの園芸用手袋をした女性が黙々と、植木鉢から植木鉢に植物を入れ替えている。どこかで布団を叩いている音が聞こえた。子供のはしゃぐ声が近くで聞こえて、美月はそちらに目を向けた。ひまわりの咲く隣家から、野球帽にスキニージーンズを穿いた、二十代と思しき女性が出てきた。ヘルメットをかぶった小さな男の子と手をつないでる。美月たちが反射的に挨拶をすると、男の子が元気一杯に返してくれた。
「こんにちは!ぼくは、はせがわともき、ほしぐみです!おねえちゃんは、ケン兄ちゃんのカノジョさんですか?」
挨拶に続けて、美月に問い掛けてきた。子供の感受能力、侮り難しと内心舌を巻きつつ、敢えて性別には言及せずに美月は笑顔で応えた。
「違うよ、お友達。ともきくんは、ほしぐみにカノジョがいるのかな」
「うん!チノちゃん!」
満面の笑みで教えてくれた。八重樫が皮肉っぽく笑った。
「さっきのあの子で一時間五千円なら、須賀にスカートはかせたら一万はとれるな」
すれ違う際、ルリ嬢がしたわけではないが、油虫か毛虫にするような態度を取られて少々気分を害していた八重樫の物言いは辛辣だった。坊坂は無言のまま、拳で肩の辺りを小突いて嗜めた。野球帽の女性は、しゃがんで目線を合わせ、ともきとお喋りしている美月を見、坊坂と八重樫を見、藤沢家を見て、また美月に視線を戻すと、小声で問い掛けた。
「ケンくん、お家の中?みなみさんが来ていたけど、大丈夫?」
美月はしゃがんだ体勢のまま顔を上に向けると、口元は笑みの形のまま、目だけ、すうっと細めた。
「藤沢にとって、大丈夫じゃないひとだと、思っていらっしゃるわけですね」
野球帽の女性は、ふふ、と小さく笑った。
「わたしはね…他の、この辺りに昔から住んでいるひとは大体そうだけど…ケンくんのお母さん、奈々さんを知っているの。だから、どうしても比べてしまってね。奈々さんに比べると、ケンくんにとって良いひとってわけじゃあないでしょう」
美月が女性の言葉を聞いているうちに、昨夜、警察に通報してくれた隣家の主人が出てきた。片手に補助輪付きの自転車を担いでいる。隣家の主人は駆け寄ってきた息子の肩を抱き、美月たちの方を見て、藤沢家とは逆方向を指差した。
「わたしたちは、そこの角を曲がったところの公園で、自転車の練習をしていますんで。何かあったら、呼んで下さい」
美月たちはしっかりとうなずいた。ともきが自転車にまたがると、隣家の主人は中腰になってそのハンドルを持ち、自転車を暴走させないように押さえつつ、公園に向かって行った。その姿を見送ってから、美月は藤沢家の方に向き直ると、中にいる藤沢に意識を集中した。血圧が低く、心臓の鼓動が異常に多いのが分かるが、それ以上は知れない。美月は溜め息を吐いて、車庫の壁にもたれ掛かった。
「何か、分かったのか?」
藤沢の身体状況を探っていたことを、美月は口にしていないが、態度で知られていたらしい。坊坂が問い掛けてきた。美月は首を振って否定した。
「藤沢さ、あの様子だと、今日ここに泊まれないと思うんだ。この時間じゃあ寮まで戻れないから、どこか宿泊先、確保しちゃいたいんだけど、須賀は実家に戻るとして、坊坂はどうする?実家まで戻れそうか?」
八重樫が今後についての現実的な話しをしてきた。誰も父親以外が戻ってくるとは思っていなかったので、漠然とこのまま藤沢はここに滞在して、警察その他への対応が済んでから寮に戻るものと思っていたが、先程の様子を見るに、そうはいかないだろうことは予想出来た。坊坂も一泊すると決めて、スマートフォンで宿の確保に乗り出した。八重樫は美月と同じように車庫の壁にもたれ掛かった。手持ち無沙汰の二人は、見るともなく、青い空を眺めていた。
不意に金切り声が上がった。三人は一斉に顔を上げた。洗車をしていた大学生にも聞こえたのか、イヤフォンを外して、辺りを見回している。藤沢家の門扉が壊れそうな勢いで開かれ、白いスカート姿の女性が飛び出してきた。




