#05
美月は友人三人に問い尋ねたわけだが、反応は別の場所からあった。藤沢家の門扉越し、道路から強い懐中電灯の光が走ると共に、声が掛けられた。
「ケンくんだよね。そこにいるの」
現れた第三者の存在に、慌てて坊坂は使鬼の姿を隠した。一時の興奮状態から覚めた藤沢が、大きく息を一つ吐いて、緩められて自由になった手を挙げ、門扉の向うの人物に応じた。門扉が開かれる音がして、白いランニングシャツにハーフパンツに草履履き、片手に懐中電灯、片手にゴルフクラブという出で立ちでの四十代と思しき中年男性の姿が、玄関につながる階段に設置された足元を照らす照明で浮かび上がった。
「ごめんね、警察、呼んじゃった。騒ぎにはしたくなかったかもしれないけれど」
「いえ、騒いだのはこちらなので…」
藤沢は、悪戯を怒られた大型犬のように、しゅんとした様子で受け答えた。美月たちも藤沢があれほどに早く暴力に訴えるとは思っていなかったが、当人が一番、自分の行動を想定外に感じ、また後悔していた。落ち込む藤沢を促して、坊坂は八重樫と、隣家の主人として紹介された男性と共に、柵の手前で気を失っている侵入者と、その背を踏み付けている美月の元に寄った。隣家の主人が足元を懐中電灯で照らし、高校生三人で手分けして侵入者を抱え上げ、取り敢えず、地面がコンクリートになっていて乾いている、門扉の手前に置いた。美月が出しっ放しになっていた水を止めに行き、戻って来たときには、侵入者は自身が着ていたパーカーで、後ろ手に縛り上げられ、左右の靴ひもが一つに縛られ、手足の自由を奪われていた。隣家の主人は、懐中電灯を地面に置き、空いた手で、男のパーカーのポケットに入っていた特殊警棒を弄んでいた。
「こんなものまで持って…。ケンくん、外は、見た…見てないね?」
隣家の主人が確認してきた。八重樫がひとり、転がされている侵入者の見張りに残り、他の四人は道路に出た。隣家の主人が懐中電灯で照らすと、車庫の網目状のシャッターとコンクリートの地面に、赤い塗料で落書きがされていた。近くに使われたスプレー缶が転がっている。落書きは乱雑過ぎて、内容は分からなかった。
「結局、これで連行されそうだな」
坊坂が独り言ちた。物理的に損害を出さないために、使鬼を使うという手段を用いたのだが意味が無く、むしろ、侵入者が使鬼を罵ったせいで、藤沢が手を出し掛けたという点で悪手だったと、内心、自責していた。
「須賀は大丈夫か?あの犯罪者、須賀が悪いって言い出さないか?」
ほんの数日前に、八重樫に一服盛った女の子の顔面を掴んだことで、逆に訴えられそうになった美月を見たばかりである。不安そうな様子の藤沢に、坊坂は少し考えてから答えた。
「…さすがに、凶器持参で侵入してきた大の男を、男より一回り小さい持病持ちの高校生が水ぶっかけて追い払った、ってだけだから、大丈夫だろう」
本当は蹴りも入れていることは知っているが、敢えて言葉にはしなかった。坊坂たちが道路で話している間に、向かいと、近くの別の家からも、家人がちらほらと出て来ていた。わざわざ美月が蹴飛ばしたことを宣伝する気はなかった。集まってきたひとびとは皆、藤沢の顔は知っているらしい。藤沢が一人一人に騒がせたことを詫びると、同情し、心配した言葉を掛けてくれるのは有り難かった。
「っけん、なあ!」
藤沢が近所のひとたちに状況を説明していると、突然声が上がった。侵入者の声である。道路にいた一同は、一瞬身を震わせ、声の上がった藤沢家の門扉の方を見やった。藤沢がそちらに向かって一歩踏み出すと、坊坂がその腕を掴んで、牽制した。藤沢は、落ち着いた表情で軽くうなずいてみせ、軽はずみな行動はしない、という意思を示した。
「あの女あ!あのガキい!金!金がいるんだよおお!」
侵入者は、手足はまともに動かせないものの、口は塞がれていないので、好き勝手に喚いている。その傍らで八重樫は、うんざりした表情で男を見下ろしていた。
「警察まだあ?近所迷惑だし、口も縛る?」
八重樫に問われた坊坂が、何か答えるより早く、男が警察という言葉に反応して喚いた。
「はあ?警察!?馬鹿じゃねえの。オレが悪いみたいじゃねえか!あのガキが金出さねえのが悪いんだぞ!」
「ああ、はいはい、ぼくちゃんはあ、ここじゃない、どこかべつのお、ぼくちゃんのセカイ、の、おはなしを、しているんですねえ。ぼくちゃん、なんねんせいかなあ?さくらぐみ?ひまわりぐみ?ここはねえ、日本という国の首都でねえ、中学生に金をせびったらあ、それだけで警察呼ばれちゃうセカイなのですう。わかるう?」
八重樫に混ぜっ返され、男は顔を茹で蛸のように真っ赤にして、更に言い募った。
「はあ!?俺は仕事してるだけだっての。あのガキ、あのブスなのに、一時間、ジジイと茶、飲むだけで五千円とか貰ってやがるんだぜ!?紹介した分金取るのは基本だろ!商売だろ、しょ・う・ば・い。ガキには分からんかあ。で、いきなりやめるとか言い出すは、金は渡さないは、だったら一回くらいヤラせろっての!ジジイたちとだってどうせヤってんだろ!」
「…」
「女衒?」
「余計に悪質だろ、それ」
八重樫は沈黙し、美月と坊坂はそれぞれ思ったことを漏らしてしまった。藤沢は無言だったが男と対照的に顔が漂白されたように真っ青に変わった。男の傍らを大股で通り抜け、ウッドデッキから居間に入ると、放り出されて床に落ちていたスマートフォンを拾い上げた。
「くそっ」
美月や坊坂たちは、何の気無しに藤沢の動きを目で追っていた。液晶画面の光の下、口がそう動いたのが見て取れた。どこかに…十中八九父親だろうとは、その場の皆が思っていたが…電話を掛けるも、相手が出ないらしい。
「出ねえ。こんなときに、何だよ!」
藤沢は愚痴りつつ、庭まで降りてきた。
「明日の仕事のためにもう休んでいるんだろう」
「明日土曜だろ!」
坊坂が口添えたが、藤沢は苛々した調子で怒鳴り返し、スマートフォンを叩き付けかけて、止めた。ちなみに侵入者の男は、美月がその辺にあった植木鉢を取り上げ、手を離したら顔の上に直撃する位置にかざしたところで黙って、それきりである。藤沢は、先程より、より心配そうな顔を見合わせている近所のひとたちに、再度、詫び始めた。そこで、ようやく警察車両のサイレンが聞こえてきた。
「最近、この音聞いてばかりだな」
坊坂がつぶやいた。藤沢はうなずきつつ、安堵の表情で、車両の来る方向を探るように、辺りを見回し、ある一点で目を見張って、動きを止めた。集まってきている近所のひとたちは大半が美月たちの親世代、中年男性の中に女性が混じっているという構成なのだが、一人だけ、美月たちと同世代のなかなか良い顔立ちをした男子がいた。藤沢の視線はそこを向いている。その男子は、藤沢と目が合うと、踵を返し、足早に去って行った。