#02
都内郊外の駅から徒歩で五分ほど、大通りから少し入った一般住宅の立ち並ぶ区画に、広い庭を持つ、二階建ての一戸建てがあった。庭に西洋骨董調の青銅製の郵便受けが立てられ、そこに細い鎖で、銅板に文字がエッチングされた表札が二つ、吊るされており、その一つに、藤沢、と漢字で表記されている。敷地の周りはぐるりと青銅色をした柵で囲われて、道路および隣の家との境界を主張していた。敷地に傾斜があるので、面した道路から実際に住宅が建てられている場所までは、建物半階ほどの高低差があり、門扉から玄関までは、数段の階段を上るか、庭を取り囲むようにして造られている緩やかな勾配を行くことになる。庭は良く手入れされた芝生が一面に生え揃い、傾斜を利用して見栄えよく、色とりどりの花が植わった花壇と植木鉢が点在していた。道路と同じ高さにある車庫は、奥が建物にそのまま繋がっているようなので、半地下か地下の部屋もあるのかもしれない。車庫の奥に鈍色のハイブリッド車が一台、置かれていているのが、網目状のシャッターを通して見えた。
住宅の外観は、黄土色の外壁の上に、黄色、山吹色、薄茶色、焦茶色、白などの数色の煉瓦タイルが、所々に貼られたものである。道路からは、一階に白く塗装された木製の玄関扉と、玄関脇の、恐らく向う側は居間と思われる、木製のブラインドが降りた掃き出し窓と、その手前のウッドデッキ、二階にベランダと白い窓枠で白いレースのカーテンが下ろされている窓を幾つか、見ることが出来た。
美月は隣家を見やった。庭に大量のひまわりが咲き誇り、補助輪付きの自転車が転がっていて、住宅の外壁が灰褐色の一般的なものであるが、敷地の傾斜と車庫の造り、住宅の建てられている位置が藤沢家と同じである。この形式で造成されて売りに出されているものらしい、と思いつつ、美月は再度、視線を正面に戻した。晴れ渡った青空に生える、綺麗な住宅であることは疑い様がない。だが藤沢には似合わないと、美月は結論付けた。恐らく坊坂と八重樫も同じ意見で、更に他ならぬこの家の主もそう思っているのだろう。郵便受けに下げられた、藤沢、と書かれているのとは別の表札には、四人の個人名がローマ字で表記されているのだが、上から、Hiroharu、Minami、Puryle、Rookの四つだった。
藤沢は、取り出した鍵で車庫のシャッターを開けると、中に入り、奥の方でごそごそやって戻って来たときには、車庫のシャッターとは別の鍵を手にしていた。その鍵で玄関扉を開けると、青銅製のドアベルが風鈴のような涼やかな音を立てた。
玄関を入ると、栗鼠の絵があしらわれた布の額に押し花が入れられたものが靴箱に掲げられていた。それと同じ栗鼠の形をした陶器の入れ物が、玄関の外のすぐ横にある外水道の傍らに、傘立てと散水ホース入れとして使われていた。三和土は掃き清められていて、絶妙な艶の規格外に大きい男性用革靴と、エナメルの輝きを放つ銀色のミュールと、橙色に空色の線が入ったクロックスが隅に出ていた。一人だけ荷物がキャリーバックの坊坂は、車輪で家の中を汚すことを恐れ、そこに置き去りにして、玄関を上がった。
藤沢に案内され、友人たち三人は、磨かれた廊下を通り、居間に入った。居間への扉を開いた時、家自身が持つ、独特の匂いが広がった。やはり道路から見えた掃き出し窓はここのものだったらしく、居間の一面は窓になっている。ブラインドが下ろされている今でさえ、その隙間から夏の強い外光が入り込んできていた。窓の反対側は対面型のキッチンになっていて、別の壁際には白布に木目の脚が付いたソファが置かれ、レース編みのカバーが掛けられている。逆の壁の隅に液晶テレビと、その横にフォトフレームが置かれていて、薄暗い室内でくるくると写真を表示させていた。
およそこの家には似つかわしくない、駅前のスーパーで購入してきた、夕食、夜食、明日の朝食、間食用の、包装されたおにぎりやカップラーメン、出来合いの弁当に惣菜、ペットボトル飲料にスナック菓子を、ソファ前のテーブルに置いて良いものか迷ってから、八重樫は結局、床に置いた自分の荷物の上に置いた。
「あれだな、テレビドラマなんかに出てくる家そのまんまだな」
八重樫はスーパーの袋を手放すと、立ったまま居間を見回して総括した。美月も同感だった。藤沢はその間、テレビ台の下や、対面式キッチンの間仕切りの上などを探していて、結局入ってきた扉のすぐ横、電灯のスイッチの隣に据え付けられていた空調のリモコンを見つけ出し、冷房を入れた。冷たい風が吹き付けて、一同はほっと息を吐くと、床に腰を下ろした。
「まあ、あれだ。変なのが来るかもしれないってだけだから、気楽にやろう」
藤沢が出した声に、他の三人はうなずいた。
「ああ、悪いがこの部屋と、台所、便所と風呂以外は入らないでくれ。親父や、他の奴の私室だから」
続けられた言葉に、三人とも再度うなずいた。皆、他人の部屋に入り込む趣味は持ち合わせていなかった。
「…一応訊くけど、藤沢の部屋は?」
「無え」
何となく想像していた答えだったので、美月は軽くうなずいただけで済ませた。
「変なやつって、中学生なんだって?」
八重樫が問い掛けると、藤沢は首を振った。
「分からん。親父に訊いたけど、親父も訳が分からんらしい。俺、そもそも、つきまとわれている方…一応俺の義理の妹ってことになるんだろうが…そいつのことを良く知らないから、全然分からん」
藤沢は一旦言葉を切ると、居間をぐるりと見回した。藤沢はテレビ台の前に座っている。ブラインドの隙間から入る光が逆光になっているので、他の三人からは表情が良く見えなかった。
「二ヶ月くらいここで一緒に住んでいたんだけど、余り喋らないし、顔も良く知らん。でも、美少女ってほどではなかった気がするが」
「顔はとにかく、女子中学生ってだけで、狙う奴もいるからな」
坊坂の言葉に八重樫が同意した。
「だよな。そういえば、外の表札、プリル?ってあったけど、名前か?」
「ああ、そんな名前だった。そいつの実の父親が付けたらしくて、嫌がってて、表向き、リルだったかルリって呼ばれてた気がする」
「ちなみに四番目にあったの、ルークって弟か?」
坊坂に問われて、藤沢は頭を掻いた。
「多分。いや、生まれたのは聞いているけど、男か女か知らねえんだ」