#11
強い日差しと熱気に満ち満ちていた屋外と異なり、藤沢の幼馴染み、三田翔平の家の居間は少し強いくらいに空調が入れられており、各自それなりに体を動かした直後であった美月たちには、そのまま深い眠りに誘われそうなほどに快適であった。ほんの数分間だが濃い時間を過ごした一同が、簡単に自己紹介を済ませる。三田家は翔平が一番下の三人の男兄弟持ちということで、急遽男子高校生が四人宿泊することになっても問題はないと断言され、美月たちが社交辞令ではなく連発した、お構いなく、は、黙殺された。逆に美月には、保冷剤と共に、頭部を冷やしている間中、翔平の母親から、本当に病院に行かなくて大丈夫、が連発された。
翔平の父親は人数が増えた分の食料の買い出しに向かい、翔平の母親が良く冷えた麦茶を出してくれ、居間には穏やかな空気が漂った。麦茶を一息に飲み干した後で、翔平はきっちりと座り直すと、藤沢に向かって、ルリ嬢の言を否定した。
「あの子に告白されたのは本当だけど断った。金は本当に貰ってない。プレゼントは渡されたけど、高価なものだって後で分かって、うちの親が藤沢さんの奥さんに返した」
「分かっている。あいつがでまかせを言ったんだと思う。悪い。本当に迷惑かけた。それから、これからも気を付けてくれ。何を言い出すか分かったものじゃないし、どこか破壊されるかもしれない。その時はすぐに厳しい対処をしてくれ」
藤沢はうなずくと共に、深々と謝罪した。翔平も少し強ばった表情で詫びた。
「こっちこそ、何というか…ずっと避けていて、本当に悪かった」
「ケンちゃん。この子がケンちゃんを避けたのは、小母さんのせいだから。小母さんが翔平と、あと上のお兄ちゃんたちにも言い付けたの。あの頃はちょうど、下のお兄ちゃんが大学への推薦を取れるかどうかの時で、もし、ケンちゃんがされたような、ああいう言い掛かりをうちの子にされて騒がれたら、と思って、関わるなって言っていたの。近所の、昔から付き合いのあるひとたちならとにかく、そうでないひとたちは、向うの言い分を鵜呑みにしちゃうんじゃないかと思うと。…悪いのは小母さんです。本当にごめんなさい」
翔平の母親が一気に言い終えると、深々と頭を下げた。藤沢は何とも言えない表情で、小刻みに頭を横に振った。
「ああ、はい。小母さん、頭を上げて。あれを見れば分かる。避ける方が賢明だ。それに…何と言うか、俺の方が信じていなかったんで…」
翔平の母親は不可解な面持ちで顔を上げた。美月たち、他の面々も似たような表情で藤沢を見た。
「その…お前まで何か、別のものになっちまったんじゃないかって思っていたんだ。親父みたいに。いや実際に親父が別のものになっているわけではないけれど。つまりあれだ、お前も俺のことを信用してくれていないんだと思い込んでいたってことだ。ごめん」
藤沢は少ししどろもどろになったものの言い切ると、残っていた麦茶を飲み干して、深く息を吐いた。翔平の母親が、誰に聞かせる体でもなくつぶやいた。
「…藤沢さんねえ、うん。まあ、ひとは色々変わるものだから。以前はもっと何にでも積極的で精力的だったけど、今は奥さんの機嫌をとるだけの機械かお人形みたいになっちゃってるわね。まあ琉空くんが生まれたばかりだってこともあるんだろうけど。でも、今日だって琉空くん、置いて来ているし、ルリちゃんだっているのに…」
「ああ、そうだ」翔平の母親の言葉を聞いて、藤沢は顔を上げると美月に向かって問い掛けた。「例の手紙、小母さん経由で渡してもらうのは、いいか?」
「手紙?」
翔平の母親が聞き返した。美月は少し考えてから、うなずいた。
「…そうだね、そう…取り敢えず、中を確認してもらえませんか。その、俺、妹がいて親の仕事の都合とかで面倒見ているもので、ちょっとおかしなところを気にしていると思われるかも知れませんが」
高校生男子の着眼点としては奇異なものであるだけに、美月は出来るだけ予防線を張った。藤沢が鞄の中から取り出した手紙に一通り目を通し、翔平の母親は溜め息を吐いた。
「…ひょっとして、気付いてました?」
美月が確認すると、翔平の母親は曖昧にうなずいた。
「…まあ、何せうちは男ばっかでもう大きいから、ケンちゃんがいなくなった後は、プレゼントを返した時くらいしか付き合いも無いんだけど、長谷川さんとか、小さい子供のいて付き合いのあるところのひとなんかはね、ちょっと、おかしいんじゃないかって言ってる。奥さんは小綺麗にしているのに、ルリちゃんは余り、ねえ。贅沢をさせない教育方針って言われてしまえばそれまでになってしまうから、難しいことだけど、でも今日のあれを見ていたら、ちょっとどころじゃなく、問題よね。ルリちゃんはまだ子供だからって免罪符があるけど、奥さんの方は、あれはねえ」
翔平の母親は再度溜め息を吐くと、美月と藤沢、二人に向けて尋ねた。
「これ、誰に渡せば良いの?ルリちゃんがおかしな行動を取らないようになってくれるのなら、うちも安心出来るから、協力するわよ」
「養護の…榊原先生ってまだいるのか?」
藤沢は言い掛けて言葉を切ると、翔平に向けて問い掛け直した。
「ああ、まだいるよ。この間、初孫が生まれたって」
「そうか。…なら、養護の榊原先生に、出来れば」
翔平の返答を経て、藤沢は依頼した。翔平の母親はうなずくと、手紙を元の通りに折り直し始めた。ちょうどそのときに買い出しに行っていた翔平の父親が戻って来たので、少し遅い昼食になった。スーパーで売られているパックの寿司とオードブルが並べられた。お湯を注げば出来るタイプのスープが配られ、一同が食卓に着いた頃に、外でまた金切り声が上がった。今ではもう確認すること無く、みなみの叫び声だと皆判断出来た。それでも居間のレースのカーテン越しに外を見やった美月は、道路の真ん中辺りで座り込んだままだったみなみが、宏晴に引き起こされている現場を目撃した。宏晴は一旦藤沢の手で自宅まで連れ戻され、家の中のものが無くなっていないことを確認させられ、みなみが言い掛かりを付けた場合は諌めることを確約させられ、置き去りにされていた。それから結構な時間が経っている上、ルリ嬢はすでに見えなかったので、そちらを先に自宅に連れ戻したものと思われた。藤沢も一瞬、外に視線をやったが、すぐに皿の唐揚げに戻した。
昼食が終わると、ゲーム機が持ち出されて居間のテレビに接続された。はっきり言って下手な美月は参加せず、後ろで華麗な視覚表現を鑑賞する観客になっていた。途中、一対一の対戦になり、藤沢と八重樫が小休止を取った。なんだかんだで藤沢は、明日寮には戻らず、八重樫と共に八重樫の母親がいる田舎の寺でしばらく手伝いをすることになっていた。美月は、二人がそこまでの交通費を計算しているのを見ていて、ふと気になって尋ねた。
「下世話な話しになるけど、学費とか大丈夫か?親父さんと喧嘩別れみたいになっちゃったけど、止められたりしない?」
心配そうな美月に、藤沢は明朗な理由で返した。
「ああ、大丈夫だ。俺の学費と生活費、出してるのはばあさんだから」
「お母さん方の?」
「いや、親父の親。おふくろの実家はじいさんが脳溢血だか脳梗塞だかで倒れて大変で、頼れないんだ」
「それだと、あの女、そのうち旦那を責付いて、止めさせるんじゃないか。藤沢にお金を出すようなら、あのルークくんをおばあさんに会わせません、とか言い出して」
皮肉な笑みを浮かべつつ、八重樫は手厳しいことを言った。藤沢は同様の笑みを浮かべ、鼻で笑いつつ、肩をすくめた。
「もう言っている。俺がばあさんの家から出なければ、赤ん坊には会わせないって。それで寮のある高校を選んだんだよ。その代わり、俺に掛かる費用はばあさんが全部出すし、そのことに文句は言わせない、という話しになった。それでも何か言ってくる可能性はあるが、そうなったらなったで、何とかなるだろ」
「その時はうちの実家で面倒見るぞ。希望があれば」
対戦に負けた坊坂が、振り返り、操作機を渡しつつ藤沢に声を掛けた。
「ああ、頼む」
操作機を受け取りつつ、藤沢は簡潔に応えた。翔平も一旦、操作機を床に置くと、ポケットに入れっぱなしだったらしい、スマートフォンを取り出した。
「あそこの家で、何か動きがあるようだったら、連絡する。ケンもスマホか?俺、高校入ってから新しくしたから」
「学院は、携帯電話の使用禁止なんだ。そもそも電波が届かない。連絡はフリーのメールアドレスに頼む。一応こっちも教えておくが」
翔平と藤沢、坊坂も加わって、やいやいやり始めた。共に携帯電話もスマートフォンも持っていない美月と八重樫は、何杯目かの麦茶をすすった。
「ケン…お前、随分かわいいアイコン使ってるんだな…」
メッセージアプリの連絡先を交換したらしい翔平が、液晶画面を眺めつつ半笑いになった。
「赤ちゃんだっけ」
美月が問い掛けると、藤沢は自分のスマートフォンの画面を美月と八重樫の方に向けてくれた。表示されたアイコンは黄色い熊のキャラクターだった。
「さっき変えた」
「紫じゃないんだ」
「紫の熊のキャラクターってあるのか?」
藤沢に問われ、美月は首を捻った。思い付かなかった。
完結です。お付き合い頂き、ありがとうございました。




