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木偶  作者: のっぺらぼう
10/11

#10

ルリ嬢は、藤沢に指し示されるまで、付いて来ていたことすら意識されていないほど存在感がなく、その時までどうしていたのか、誰も知らなかった。座り込んだ美月と、それを取り巻いていた数人の傍らを駆け抜けたルリ嬢は、両手を広げ、三田家の門扉の向う側で、道路と庭の弾けた植木鉢を代わる代わる見やっていた翔平の、首周りに向けて抱きついた。逆上したみなみに、突如破裂した植木鉢と、事態について行けてはいなかった翔平だが、眼前に迫ったルリ嬢には反応出来た。掴んでいた門扉を押し出すような腕の屈伸運動の勢いで、自身の体を後ろに飛び退()かせた。着地した地点にあった父親の足を踏んでしまったが、気にしている余裕はなかった。ルリ嬢の両腕は、空気を抱き締め、体は門扉に衝突して大きな金属音を立てた。ルリ嬢はその体勢のまま目を見開き、しばしの間、顔をひきつらせている翔平を見つめていたが、何かに気付いた様子でやおら大きな声を上げた。

「違う!違うの!アイツとは、何もないから!違うから!安心して!」

目がぎらぎらと輝いている。翔平はルリ嬢の言った言葉の意味がすぐには理解出来なかったが、ルリ嬢と藤沢の間に何もない、だから安心して、と言っているのだと気付くや(いな)や、少し平常に戻っていた顔を再び真っ赤に紅潮させて怒鳴った。

「当たり前だ!そのババアが言いふらしやがっただけだろ!ケンのこと、追い出すために!誰もババアの言うことなんか信用してねえって!」

「…え?」

しゃがみ込み、みなみに掛かった土を払っていた宏晴がきょとんとした表情と共に顔を上げた。たまたま目があった、近所の住民の一人が、重々しくうなずいたのを見て、息を呑んだ。

「だから違うの!違うのっ!」

ルリ嬢はなおも叫ぶと、突然その場に座り込み、ひっくり返った。勢い余って道路にまで転がり落ちたが、起き上がることはせず、仰向けに横たわったまま、手足をばたばたさせ始めた。違う、違う、という事を泣き叫び続けているようだが、何が違うのかは分からない。距離がある上に、ルリ嬢は他者に危害を加えるような行動をしているわけでもないが、藤沢は道路に座り込んだままの美月を背にかばう位置に立った。八重樫は、藤沢が再び暴走気味に力を発揮させることを恐れて、警戒する態勢をとった。坊坂が美月に低い声で尋ねた。

「あれ、何とか出来るか?」

美月は正直に首を横に振った。治癒能力を持ってはいるが、何かの発作ならとにかく、癇癪かんしゃくをどうにかする(すべ)は持ち合わせていなかった。集まっている近所の人たちも手出しが出来ず、ただ道路の真ん中で暴れ続けるルリ嬢を見守っている。宏晴もまた、ルリ嬢にみなみ、近所のひとたち、迷惑そうな表情の三田家の面々をきょろきょろと見回していたが、不意に立ち上がると、藤沢に迫った。

「何をした!」

『は?』

声を上げたのは八重樫と、美月の傍にいる園芸用手袋をした女性、その他近所のひと数人で、(すご)まれた藤沢本人は無表情に視線をルリ嬢から父親に移しただけだった。

「お前が何か吹き込んだんだろう!ルリに謝れ!ショウくんにも謝れ!嘘を吹き込んだことを謝って、ルリとちゃんと付き合ってもらえ!」

「あの、藤沢さん」

「ちょっと!何勝手なこと言い出してるの!」

指を突きつけ断罪した宏晴に、翔平の父母から抗議の声が上がった。宏晴は三田家の方に向き直ると、真顔できっぱりと言い切った。

「関係ないひとは黙っていて下さい!」

「関係ないわけないでしょう!うちのショウを勝手に持ち出すんじゃない!お断りしたでしょう!大体、あんたんとこ、子供にどれだけ大金渡しているの!あんな(たっか)いもの渡してきて。ああ、気持ち悪いったらありゃしない!」

怒鳴りつつ、翔平の母親は、わざとらしく両腕をさすって、気分の悪さを表現した。その仕草が不快だったわけではないだろうが、宏晴はごつい顔を怒りで(ゆが)めて、一歩踏み出しつつ怒鳴り返した。

「はあ!?高いもの!?…グルか!?ケンとグルなのか!?グルになってルリから金やら何やら出させたのか!?腐ってるな!」

翔平の父親の質量は、宏晴の半分くらいしかなかった。だがそのときは門扉を叩き付けて開けると共に、無言で宏晴に掴み掛かって行った。宏晴は襟元に伸ばされた手を簡単に掴んで止めた。翔平と翔平の母親が慌てて父親を引き戻そうとしたが、それより早く藤沢が動いていた。すっと宏晴に近づくと、猫の()でも(つま)むような手軽で、ひょいっと翔平の父親の手を掴んでいる宏晴の手首を掴み、(ひね)った。宏晴は口を大きく開け、何か叫びつつ、手首の(いまし)めを解こうと暴れかけ、びくともしない事に気付いて、叫ぶのをぴたりと止めた。掴まれた手首と、己とほぼ同じ高さにある息子の顔を交互に見やった。

「随分、弱くなっちまって」

呆れた声で藤沢はつぶやいた。宏晴は口を開いて何か言おうとしたが声が出て来ず、空気を二三回飲み込んだ。

「悪い、坊坂、八重樫。荷物、全員分、俺の含めて持ち出して来てくれるか。こいつら、俺が見てるから」

宏晴と、既に手足をばたつかせることは止めたものの、横たわり、体を大きく上下に動かして荒い呼吸をしているルリ嬢と、土で汚れた白いスカートの上に両の拳を置いてくすんくすん言っているみなみとを顎で指して、藤沢は依頼した。両者は軽くうなずくと藤沢家に向けて駆け出して行った。みなみがはっと顔を上げた。

「あの子たち!何をする気!?うちに勝手に入って、何をする気なの!?」

「いい加減にしなさい!」

翔平の母親が騒ぎ出したみなみに向けて一喝すると、その眼前に立ち(ふさ)がった。

「翔平、あんたも手伝って、荷物を運び出して来なさい。ケンくん、今日から寮に戻ることは出来るの?うちからも連絡入れようか?」

「いえ、時間的に戻るのが無理なので。今日はどこかに泊まって、明日朝一で戻ります」

走り出した翔平の後ろ姿を見やりつつ藤沢が説明すると、翔平の母親は即、反応した。

「ああ、ならうちに泊まりな、ね。その子も病院、行かないといけないでしょう。お父さんに車出してもらうから」

「いえあの本当に大丈夫です」

さっさと自分で治してしまいたいのだが、公衆の面前ということで出来ないでいる美月は、両手を振って遠慮した。しかし、翔平の母親に加えて、園芸用手袋をはめた女性も参戦して、頭の怪我を甘く見てはいけないと懇々と(さと)された。結局、美月が掛かり付けの医者で見てもらうことを確約して解放されたときには、坊坂に八重樫、翔平に加えて、声か物音を聞きつけて来たらしい藤沢家の隣の主人までが手伝って四人分の荷物を手に戻って来ていた。宏晴に事情を説明した後、すぐに()つつもりでまとめてあったのがおかしな形で良い方向に働いた。四人と入れ替わりに、藤沢は無言で、息子に完全に力負けしたことが衝撃だったらしく随分大人しくなってしまった宏晴の手首を掴み、自宅まで歩かせて行った。みなみとルリ嬢はまだ道路にいた。

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