第一章 失踪、ドッヂボール、自習室
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人の影には色がある。色は人によって違う。例えば、先生は白で、塾長は黒。柴田が黄色で赤荻が青。これはややこしい。
たしかに、色がかぶることもある。例えば、佐々木と田中の影は両方赤だ。でも、わずかに違う赤なのだ。佐々木の赤は充血した目の赤で、田中の赤は信号機の赤。信号機の赤にも色々あるだろうけど、結局はそういうことだ。
しかし僕の影にはまだ色がない。あるいは、僕にだけ見えていないのかもしれない。
「風はどこから吹いてくるか知っているかい?」
それが、先生の最期の言葉だった。
先週の授業の終わり、先生は一方的にこの質問を投げかけて、答えを考える間もない速さで教室を後にした。今思うと、あのとき後を追いかけて答えを尋ねておけばよかった。けれど、僕にはそれができなかった。第一、そのときは、それが先生の最期の言葉になるとは夢にも思わなかった。それに、この質問の答えは自分で見つけなければいけないような気がした。あるいはそう考えることで自らを慰めているだけかもしれない。
そうはいっても、答えは簡単にわからない。そもそも、簡単にわかるような、具体的な問いでもない。哲学的というか、白くて曖昧な、わかりそうでわからない問いなのだ。それこそ、風みたいに。だからこそ、僕はこの問いに夢中になっているし、解かなければならないように思う。
その答えが何であろうとも、僕は上手く納得できると思う。上手く受け入れられると思う。
白くて冷たい風が、僕の頬をかすった。
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ドッジボールは、悪魔が考えた地獄の遊びだ。少なくとも、僕はそう思う。普段は仲良しの友人同士が、日頃の恨みつらみをボールに込めて投げあう。僕はこの遊びが嫌いだ。
第一、ドッジボールにはどんな意味や目的があるのだろうか。例えばプールだったら、海難事故で助かるためだとか一応意味がある。でも、ドッジボールには意味がない。体力をつけるためなら長距離走で良いし、腕力やキャッチ力を鍛えるならば野球で良い。やはり痛い思いをするドッジボールに意味はない。けれど、こんなことを友達に言うと、決まって、「馬鹿だな。楽しければそれで良いんだよ」と返される。言いたいことはわかるが、腑に落ちない。楽しかったら、それで良い。そんな単純な理屈が通るだろうか。それに、なんだか怖かった。
試合が始まった。先攻は相手チーム。野球部の奴が、こっちにめがけて投げてきた。慌ててかわそうと思ったが、すでにボールが足に当たっていた。
「アウト!」審判役の先生の声が響く。ばかにでかい声だ。
しかたがないので外野にまわった。この外野っていうのも気に食わない。当てられたらそれで終わりでいいじゃないか。当てられて、外から内側に居る奴らにボールを当てて、それでどうなる? とはいえ外野は案外ラクなものだ。仮にボールが転がってきても、もともと外野にいる連中に任せれば済む。そしてもちろん、当てられる心配はない。
それにしても、どうして彼は僕を狙ったのだろう。狙いやすい位置にいたから? たまたま目に入ったから? 僕のことが嫌いだから? 最初の二つならまだしも、最後の理由だったら……。
やっぱり僕はドッジボールが嫌いだ。いや、僕は単に、「楽しければ良い」だけで大した意味のないこいつに羨望を抱いているのかもしれない。
————数学の授業は、この世で最も意味がない————
これは、いつかのアメリカ合衆国大統領の言葉だ。あるいは、僕がそう思うあまりに、脳が捏造した記憶かもしれない。
数学なんて、限られた人以外使わない。少なくとも僕はその限られた人間ではない。つまり、受験でしか使い物にならない科目だ。もっといえば、僕は受験ですら使わない。
理系クラスでなら大切かもしれないが、ここ文系クラスでは、川のない場所に建てられた橋くらい無駄だ。
こんなことを言うと、数学至上主義者から、「数学は論理的思考力の育成になる」と反論されるだろう。けれど、数学なんかで思考力を鍛えるくらいなら、推理小説で鍛えた方がよっぽど良い。限られた情報から、トリックや動機を論理的に推理する。
つまり僕が言いたいのは、結局は人の好みということだ。数学で鍛えたい人は数学をすれば良いし、推理小説で鍛えたい人は、それを読めば良い。なにも、授業で強制する必要はないはずだ。
だから僕は眠ることにした。ちょうど、ドッジボールをして疲れているから、ぐっすり寝られるだろう。
「おい、そこの眠っているお前、この問題を解け!」せっかくうとうとしかけていたところなのに、邪魔されてしまった。
「すみません。解けません」僕は正直に言った。寝ているのだから、解けるわけがないだろうに。きっと、この顎ひげが二股に分かれている数学教師は、数学以外の能力が低いに違いない。
「それなら、課題を与える。これを来週までに解いてこい」そう言って、僕に大量のプリントを渡してきた。無意味な数学授業に反抗したばかりに、無意味な課題が与えられてしまった。
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五時間目の授業が終わった。ほかの学年より一足先に解放される。自由。高校三年生の『特権』だ。でも、帰ったところで待っているのは受験勉強。ゲームなんかできやしない。結局、自由というのは名ばかりで『特権』とはいえないのかもしれない。それに、今日は塾がある。ようやく自由になれたかと思ったら、新たな支配が訪れる。いや、自由も支配のひとつかもしれない。とはいえそもそも塾は自分の意思で行ってるようなものだし、誰にも文句は言えない。やっぱり下の学年の方がラクだ。肉体的にも精神的にも。
塾が始まるまでまだ少し時間がある。これが大手の予備校なら早く着いてもそこの自習室に行けば済む。でも、僕が通っている塾は小さい。個人経営塾とかいうやつで、自習室なんてものは存在しない。だから僕は、学校の自習室で時間をつぶすことにした。もちろん図書室でも良いのだが、図書室は校庭と隣り合わせになっている。つまり、体育の授業や部活の練習と重なったら騒がしくて勉強どころではなくなってしまう。それに、図書室には面白そうな小説がいくつも並んでいて、集中できない。
自習室は六階にある。「生徒はエレベーターを使ってはならない」とかいうわけのわからない校則のせいで、六階まで階段で上がらないといけない。教師はたった一階上がるだけでもエレベーターを使うというのに、まったく理不尽だ。
そんなこんな考えているうちに、六階に着いた。頂上に着いた僕は、水を飲んだ。ああ美味しい。無味乾燥な景色が広がる、登山の下位互換とばかり思っていた。けれど、実際上ってみれば案外悪くなかった。良い運動。早速僕は、受付を済ませて自習室に入った。
自習室にもおかしなルールがある。「水分補給禁止」というやつだ。自習室にある教材を汚されないためというのは分かるが、それならそれで、水分補給が可能なスペースを作ってもらいたい。お陰様で水分補給をするたびに廊下へ出て、戻る時には受付をし直さなければならない。ああ、面倒。こんなルールは破ってしまいたい。そう思っても、先生が交代で監視役について、真ん中の席に座ってしまう。あいつらは自分の仕事そっちのけで、生徒の監視に目を光らせている。まあ、生徒の監視もあいつらの仕事なのだろうが。
ばれてしまったらもうおしまい。職員室に連行されて反省文を書かされる羽目になる。たかだか水を飲んだだけでだ。それならまだこの理不尽なルールを守った方がまし。そうだろう? それに、ほとんどの人がルールを守っている中で自分ひとりだけが守らないのはなんだか変だし、気まずい。僕はそんな不良少年を演じたいわけじゃない。そんなわけで、結局僕はおりこうにルールを守っている。それが上手な生き方なのかは分からないけれど。
席に着く。堅くて冷たい、なんの感情もこもっていないようなイスだ。堅いイスはどうして存在するのだろう。もう少し柔らかいイスにでもしてくれれば成績が上がるというのに。
まあ、文句を垂らすために自習室に来たのではない。そろそろ勉強を始めるとするか。勉強といってもやることは結局、先生が最期に遺した問いを考えるだけなのだが。
「風はどこから吹いてくるか知っているかい?」
僕はその答えを見つけるために、地学の教科書を開くことにした。風について何かしら書いてあるだろうという算段だ。
もちろん僕だって、この問いがそんな単純な意味ではないだろうことは分かっている。そもそも先生は英語担当だし、わざわざ去り際に地学の問題を出してくるとは考えられない。
でも、試してみる価値はあるはずだ。たとえ答えが見つからなくても、何かが得られる。そんな気がした。
恐る恐るページをめくる。最初は表紙だから厚い。
目次がずらりと並んでいた。その中から、「風」の記述が書いてありそうなページを探し出す。小学生でもできる単純な作業。なのに、見つからない。隅から隅まで確認した。けれど、やっぱりない。
すると、あることに気づいた。第二章の「太陽系について」と第四章の「地震について」の間にあるはずの第三章が、すっかりなくなっているのだ。まるで先生の秘密を隠すかのように。僕は、その第三章に、「風」についての記述があるに違いないと確信した。そこで、第三章があるはずのページをめくってみた。ない。第二章の次は第四章になっている。どうして? 誰かが第三章を破り捨てたような跡はもちろんない。はじめから第三章なんてものはなかったかのように、きれいになくなっている。おかしい。でも、実際にそれは起きている。
こんなことが本当に起きて良いのだろうか。いや、良いも悪いも、現に起きているのだから、僕にはどうすることもできない。
そうだ、過去問を解こう。時間を計ってすれば完璧。集中したら、こんなこと忘れられる。
ええっと……。Criteriaの意味は何だっけ……。やっぱり集中できない。
どうして先生は、こんな謎めいたメッセージを遺したのだろう。勉強できないじゃないか。
「受験に落ちたらあなたのせいですよ」と、心の中でつぶやいた。同時に、「受かったらあなたのお陰ですよ」とも。




