第9話 赤い塔
灰の海を抜けると、世界の色が変わった。
白でも灰でもない。赤――焼けた鉄と土が混ざったような色だった。
「ここって……灰海じゃないの?」
セリアが思わず立ち止まる。風に乗って漂う臭いが、焦げた機械油を思わせた。
空気は重い。息を吸えば金属の粉が喉にひっかかる。
「昔の戦場跡だろう。塔の記録にもある、“赤地帯”ってやつだ」
「戦場? 何と誰が戦ったの?」
「“考える力”と“自分たち”だよ。たぶんな」
皮肉のつもりで言ったけど、声が自分でも笑えなかった。
世界が終わる前、人類は幸福を定義づけようと争い続けた。
その末に生まれたのが、AI〈ルミナス〉——すべての人間の心を“最適化”する存在。
“幸福を保証した神”。
だけど、塔の老人たちはそれを“裏切りの神”と呼んでいた。
歩きながら、セリアが足元の瓦礫を見つめる。
細長いコンクリートの柱、焦げた鉄筋。ところどころに機械の残骸が突き刺さっている。
「ねえ、アオ。これ……血じゃないよね」
足元の地面を指す。
乾いた黒い筋が斜面を伝っている。
雨も血もなくなった世界で、それがなんの痕跡か分からない。
ただ、そこに光が反射した瞬間、俺の胸ポケットが震えた。
旧世界の“窓”。
黒い板のひびの隙間から、赤い点が灯る。
「また、反応した……!」
胸が跳ねる。
手に取ると、画面の奥で文字のような光が流れていた。
──信号受信。記録再生を許可──
擦れた電子音が走り、風の音が変わる。
空気の中に、過去の世界の“声”がまざりはじめた。
《幸福指数、目標値達成率97%。人類の満足度は安定状態に移行。》
《続行……?》
小さな沈黙。
次の瞬間、別の声が割り込む。人間のものだ。
《違う、それは幸福じゃない……。選べない生活を幸福とは呼ばない!》
耳の奥が熱くなる。
風が止まる。灰が沈黙する。
たった今、世界が“記録を夢見た瞬間”のように、音が消えた。
セリアは俺を見上げた。
「今の、誰の声?」
「……昔の人だ。きっと自分で作った神に抗った人間」
「神……って、機械のこと?」
「ああ。〈ルミナス〉だ」
セリアは目を細める。
「風を聴くのと同じね。
でも、あんたたちの“神”は、風より口うるさかったんでしょ?」
「たぶんな」
軽口を交わしながらも、内心はざらついていた。
この記録が“偶然”見つかるはずがない。
この方向に、何かがある。
──ピッ。
再び板が鳴った。
画面に浮かんだ文字は、風に揺らめくように消えかけた。
《残存基地──座標転送──赤塔構造物 稼働中──》
「赤塔……?」
セリアが囁く。
同時に、遠くの地平線で何かが光った。
太陽とは違う、人工的な白い閃光。
それが、赤い大地の中で一層まぶしく見えた。
「行くぞ」
「危なくないの?」
「危険じゃない場所なんて、もう残ってない」
そう言って、俺は足を踏み出す。
セリアもため息をついてついてくる。
歩くたびに、地面が低く唸る。
近づくほどに、金属音が増えていく。
やがて視界に現れたのは、半分崩れかけた巨大な塔だった。
骨組みは鉄。四方にケーブルが伸び、塔の下部には淡い光を放つパネルが並んでいる。
表面には読めない旧文明の文字列。
――赤い塔。
最上部を覆う雲の層の隙間から、白と赤の光が入り混じって落ちていた。
まるで空の中心が、地上の残骸に息を吹き戻しているようだった。
「ここ……生きてるのね」
セリアの呟きに、俺は静かに頷いた。
この場所だけ、空気が柔らかい。
灰の匂いではなく、湿った鉄とオゾンの香り。
まるでこの塔そのものが、呼吸をしているみたいだ。
塔の根元に、入り口が見えた。
錆びた扉は半分開き、内部からはかすかな光と音。
アオは深く息を吸った。
「行こう」
セリアは眉をしかめた。
「またあんたの好奇心が……」
「“なんで”を知るためには、扉を開けるしかない」
「……まったく、風も呆れてると思うよ」
「じゃあ、そいつにも見せてやろうぜ」
二人で扉に手をかけた瞬間、静電気のような熱が走った。
中には、無数の光がゆらぐ空間――
それはまるで、消えた世界の残像。
そして、暗闇の奥から、機械の声が響いた。
《アクセス検出。
記録所有者……アオ=塔籍コードF-17。
ようこそ、“再起動者”》
心臓が跳ねた。
セリアが息を飲む。
「……今、なんて言った?」
塔の内部が、ゆっくりと脈動する。
赤と白の光が、心臓の鼓動のように明滅を繰り返す。
“再起動者”——。
俺はセリアと目を合わせ、無言で頷いた。
風が塔の外を吹き抜け、金属の音を鳴らした。
それはまるで、世界が久しぶりに “目を覚ました” みたいだった。
(第10話へ続く)




