第6話 風の村
灰海を歩き続けて、どれくらい経ったのか。
太陽の向きも曖昧で、夜になっても暗くならない。世界そのものが、薄闇の中で止まっているようだった。
そんな灰色の風景の中、目の前の少女だけがやけに鮮やかに見えた。
布のマスクの隙間からのぞく瞳は、淡い緑色。
荒廃した空気の中で、それだけが“生きた色”をしていた。
「……その顔、旅の人だね」
セリア――そう名乗った少女は、警戒しながらもまっすぐこちらを見ていた。
灰を浴びた外套を払いながら、俺はゆっくりと頷く。
「人に会うのは……久しぶりだ」
「“塔の人”でしょ? 背中のリュック。あれ、向こうの村で作られてたやつだもの」
思わず目を見張った。
“塔の人”。つまり、俺たち以外にも塔があるということか。
「他にも人が……生きてるのか」
「当たり前でしょ。あんたたちが諦めただけ」
あっさり言い切って、セリアは灰を蹴り上げるように歩き出した。
その背中は、たしかに風をまとうように軽かった。
「こっちよ。風の村までは、もう少し」
“風の村”。
その響きが、久しく聞かなかった温もりを孕んでいる気がした。
俺は何も言わずに、その後を追った。
◇
灰海の地形が変わり、倒壊した送電塔のような骨組みが風車へと姿を変えていく。
錆び付いた羽根が、ぎこちなくも回っていた。
――風で動いている。
「燃料も電気も要らない。風があれば足りる」
「……動くものがあるだけで、奇跡みたいだ」
「奇跡なんかじゃないよ。考えるより、信じた方が早いの」
セリアは、振り返らずに言った。
言葉の意味が分からず、俺は黙り込む。
やがて視界が開け、小さな集落が見えた。
灰色の世界の中で、低い石塀と布屋根が風に揺れている。
風車の下では、子どもたちが笑っていた。灰の中で笑っている子ども。
あまりに現実離れしていて、目を疑う。
村の入り口では、老人たちが俺を見てざわめいた。
「塔の人間だ……」「また来たのか……」
名前ではなく“塔”という言葉に、少し胸が痛んだ。
「心配しなくていいわ。あんたが敵なら、風がもうとっくに止んでる」
セリアが肩越しに笑う。
その不思議な言い回しは、ここでは“挨拶”のようなものらしい。
村の中央に、石と鉄で組まれた大きな柱が立っている。
無数の布が結びつけられ、旗のように風に舞っていた。
「なんだ、これ……?」
「風紐。亡くなった人の名前を結んでるの」
「亡くなった人、にしては……多すぎないか」
「“人が生きた証”ごと、灰に飲まれたからね」
セリアの横顔が、少しだけ翳った。
「でもね」
風が吹いた。旗の布の間を通る音が、かすかに笛のように響く。
「死んだ人の声も、風に混じって生きてるの。
―—“問い続ける声”は、消えないっておばあちゃんが言ってた」
その言葉が、どこかでエルドの声と重なった。
「人は“なんで”を捨てたら、世界が止まる」――あの言葉。
俺は拳を握って答えた。
「……風の音、塔の中でも聞こえたことがある。たぶん、同じだ」
セリアが驚いたようにこちらを見た。
「じゃあ、やっぱり。風は、世界を繋いでるんだね」
「繋がってる……?」
セリアは村の奥を指した。
そこに、錆びた装置の残骸と、風で回る羽根が並んでいる。
「この風は、昔“光の塔”から来るって言われてるの。
世界を壊したのも、救ったのも、同じ風。
でも、あんたの“塔”の人たちはもう信じない」
「信じても、生き残れなかった」
言い返すと、セリアは少しだけ目を細めた。
風がふっと吹いて、彼女の髪を揺らした。
「違うよ。信じようとしなかった、の」
責めるようでも、諭すようでもない声。
ただ静かに、心の奥に沈む。
「風は、生きてる。
世界が終わっても、人が死んでも、それでも吹いてくれる」
灰海の乾いた空気の中で、その言葉だけがやけに柔らかかった。
セリアは俺をまっすぐに見て言った。
「今夜は泊まっていきなさい。外は冷えるし、夜になると“灰獣”が出るから」
「灰獣?」
「灰海を食べる怪物。
でもね、大抵は“人の残した機械”が暴走してるだけ。
風が眠ってる夜は、あいつらが目を覚ますの」
言葉の内容よりも、“外の世界を知っている人の声”にほっとする。
誰かに案内されるのが、あんなに心強いものだったとは。
村の人々が布屋根の下に灯をともす。灰の中に漂う、淡い橙の光。
火とは違う、風で揺れる小さな発光草――自然と機械の境を忘れた光。
「ねえ、アオ」
半ば意識を落としかけたとき、セリアが話しかけた。
「……おやすみ、じゃないのか?」
「違う。もうすぐ“風の夜”が来る。眠らない方がいい」
「風の夜?」
「灰獣が目を覚ます夜。
生きてるものはみんな、風の声を聞いて静かに祈るの」
そう言って、彼女は窓の外の闇を見つめた。
一瞬、遠くに光の柱がまた明滅するのが見えた。
今夜は、灰の世界が息をひそめ、風だけが生きている。
(第7話へ続く)




