第5話 灰の道を行く
塔を出てから、もうどれくらい歩いたのか。
太陽は見えても時間は分からない。
灰海には、朝も昼も夜もはっきりした境がない。
風が吹けば砂煙のような灰が舞い、息を吸うたびに喉がざらつく。
足跡は数分で消える。振り返っても、塔の影すら見えなかった。
「……本当に、世界って広いんだな」
独り言を言っても、返す声はない。
エルドにもミラにも、当たり前のようにいた“誰か”の気配が、ひどく遠い。
灰色の地面は、どこまでも続いているくせに、同じ景色の連続だ。
道らしい道もない。頼りになるのは、遠くに見える白い光の柱だけ。
あれを目印に進めば、いつか“答え”に届く。
――そう信じなきゃ、歩けない。
風を避けるために、倒壊した建物の影に身を寄せた。
錆びた鉄とコンクリの残骸。
崩れた看板には、読めない記号がうっすら浮いている。
「ここも、昔は誰かの街だったのか……」
手で灰を払うと、ひび割れたガラスの破片が光を反射した。
太陽光ではない。灰海独特の、ぼんやりとした発光。
土の下に、まだ何かが“生きている”のかもしれない。
リュックからエルドの苔を一口かじる。
味も匂いも、ほとんど“生き延びるための最低限”という感じだ。
腹の虫が鳴いたが、笑えなかった。
――こんな調子で、本当に聖遺区まで行けるのか。
弱音を吐きかけたとき、胸ポケットの“旧世界の窓”がかすかに震えた。
一瞬、風でも吹いたのかと思ったが違う。黒い画面の奥で、ぼんやりと光が滲む。
「……動いた?」
ひび割れた画面には、点のような光。耳を澄ますと、微弱な音。
それは言葉とも電子音ともつかない、遠い信号のように聞こえた。
「生きてるんだな、お前も」
そう呟いて画面を撫でると、光は一度だけ点滅して消えた。
風が強くなり、灰が巻き上がる。
やがて、視界の向こうに細い塔の影が見えた。
通信塔のような、それともただの骨組みか。
倒れかけているが、風をしのぐにはちょうどいい。
「よし、今日はあそこで野宿だな」
塔の陰に潜り込み、背を支柱に預ける。
風の音の中に、妙なリズムが混じっているのに気づいたのはその直後だった。
風笛のように、だがどこかで意図を感じる音。
ピー……ピー……ヒュウ……
聞き間違いじゃない。規則的だ。
記録装置も反応して、微かに点滅している。
(誰かが――吹いてる?)
こんな世界に、他の人間が?
それとも、機械がまだ稼働しているのか?
怖さと希望が交じったまま、アオは息を潜めた。
風は鳴き続け、音は少しずつ近づく。
まるで、誰かが笛で“呼んで”いるように。
塔の向こう、灰の丘を越える瞬間――。
風の中に混じって、人の声が確かに聞こえた。
「……そこに、誰かいるの?」
女の声だった。
かすかに震えながらも、確かに“生きた人”の声。
アオは息を詰め、灰越しに目を凝らす。
風の中、灰をまとった影がひとつ。
ぼさぼさの髪と、布で顔の半分を覆った、少女の姿。
その目だけが、灰色の世界の中で、不思議な緑色に光って見えた。
――彼女は、セリア。
アオの旅は、ひとりきりでは終わらなかった。
(第6話へ続く)




