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第4話 塔を出る日


 世界の揺れは、少しずつひどくなっていった。


 床がきしむのはいつものことだったけど、ここ数日は違う。

 塔全体が、誰かに肩を揺さぶられているみたいに、時々ぐらりと傾く。


 「またかよ……」


 寝ていたベッドから起き上がって、窓の外を見る。

 灰海がゆっくりと波打ち、その中心で白い光の柱が明滅していた。

 光の根元には、黒い輪のような影。日に日に、その輪が濃くなっている気がする。


 扉がノックもなく開いた。


 「アオ、起きてるか」


 エルド爺さんの声だ。

 顔を見る前に、なんとなく分かる。

 ――今日は、そういう日なんだろうな、と。


 「揺れ、増えてきたな」

 「ああ。サナが、苔槽にひびが入ったって騒いでた」


 サナ。

 塔の食糧管理を仕切っている女性だ。

 毎朝、苔の配分を決めて、子どもたちには少し多め、大人には文句を言わせない目つきで見張っている。

 腹は立つけど、そのおかげで皆が生きてこられたのも事実だった。


 エルドは短く息を吐く。


 「苔槽までやられたら、ここでの暮らしも長くはもたん」


 その言葉で、胸の奥が決まっていくのを感じた。


 「……爺さん」

 「ん?」

「出発の日、決めよう」


 言うと、自分の声が思っていたより落ち着いていた。


 「世界の方が先に壊れちまう前にな、って言ってたろ」

 「よく覚えてるじゃないか」


 エルドは目を細めて笑う。


 「で、いつにする」

 「……今日」


 口に出してから、自分で驚いた。

 でも、一度言葉にした決意は、もう戻らなかった。


 「今日、出る。

  準備はもうできてるし、これ以上延ばしたら、きっとまた迷う」


 エルドは一瞬だけ目を丸くして、それから大きく頷いた。


 「よし。行くと決めてから迷え、ってやつだな」

 「もうあんまり迷う時間もなさそうだけどな」


 軽口を叩きながら、床に置いてあったリュックを肩にかける。

 水筒、苔の保存食、布、火打ち具、杖代わりの鉄の棒。

 胸ポケットには、旧世界の“窓”。


 世界の「なんで」が詰まっているかもしれない、小さな黒い板だ。


 「皆には、ちゃんと挨拶していけ」

 「分かってる」


 塔の通路に出ると、いつもより人の姿が多かった。

 揺れのせいで眠れなかったのか、皆そわそわしている。


 「アオ兄!」


 下の階から、ミラが駆け上がってくる。

 リュックを見るなり、足を止めた。


 「……本当に、今日行くんだ」

 「うん。今日、出る」


 できるだけ普通の声で言った。

 ミラはぎゅっと唇をかんで、それから俺の前に立つ。


 「約束、守ってよね」

 「帰ってくるってやつか」

 「それと、“向こうで見たもの全部話す”ってやつ」


 少し笑って、俺は頷く。


「忘れてない。

  怖かったことも、きれいだったことも、全部持って帰る」


 ミラは目じりをぬぐい、袖をぎゅっと掴んだ。


 「じゃあ……行ってらっしゃい」

 「行ってきます」


 袖をそっとほどき、共有スペースへ向かう。


 そこでは、サナが大きな鍋の前に立っていた。

 揺れのせいで苔の状態が悪いのか、いつもより真剣な顔でかき混ぜている。


 「あ、アオ。ちょうどよかった」


 俺の姿に気づいて、サナが手を止めた。


 「エルドから聞いたよ。外に出るんだって?」

 「……はい。今日、出ます」


 頭を下げると、サナはふっと笑う。


 「本音を言えば、働き手が減るのは困るけどね」

 「すみません」

 「でも、苔槽がこのまま持つかどうかも分からない。

  外で何が起きているのか分かるなら、その方が助かる」


 現実的な言葉だった。


 「一つだけ、覚えていきなさい」

 「はい」

 「“死なないこと”が第一目標。

  次が、“何かを持って帰ってくること”。順番を間違えないで」


 「……はい。気をつけます」


 サナは鍋に視線を戻しながら、ぽつりと足した。


 「生きて報告に帰ってきた人の話なら、みんなちゃんと聞くからね」


 その言葉に、背中を軽く押された気がした。


 塔の一番下――外につながる鉄扉の前に着くと、エルドが待っていた。


 「準備はいいか」

 「……多分」


 完璧な準備なんて、多分一生できない。


 エルドはポケットから小さな布包みを取り出す。


 「これを持っていけ」


 開くと、カチカチに乾いた苔と、細い金属片が一本入っていた。


 「苔は非常食。どうしようもなくなったときまで食うな」

 「この金属は?」

 「聖遺区の手前で拾った。

  同じ材質のものが周辺の地面にたくさん埋まってる。

  地面がこいつと似た手触りになったら、“近づき過ぎ”だと覚えておけ」


 「……爺さん、昔そんなところまで行ってたのか」

 「若気の至りだ。真似はするなよ。と言いたいところだが、今から真似しに行くんだったな」


 苦笑しながらも、その目は真剣だ。


 「アオ」

 「ん」

 「お前の“なんで”を途中で捨てるな。

  それさえ握っていれば、きっと帰ってこられる」


 祈りにも呪いにも聞こえる言葉だった。


 「……うん」


 短く返事をして、鉄扉に手をかける。

 冷たさが掌に貼りつく。


 深呼吸を一度。

 振り返ると、少し離れたところでミラがこちらを見ていた。

 目が合うと、両手を大きく振る。


 「アオ兄! 帰ってくるまで、泣かないから!」

 「じゃあ俺も、帰ってくるまで死なない!」


 口から出た言葉が、そのまま約束になる。


 鉄扉が、きしみながら開いていく。

 外の空気が、一気に流れ込んできた。


 灰の匂い。

 遠くでうなる風の音。

 塔の中とは違う、がらんとした世界の気配。


 目の前には、灰海。

 どこまでも続く灰色の大地と、その先に立つ白い光の柱。


 「――行ってきます」


 誰にともなく呟いて、一歩を踏み出した。


 足元の灰が、ざり、と鳴る。

 振り返ると、歪んでボロボロの塔がそこに立っていた。

 それでも確かに、“帰る場所”として。


 エルドが小さく手を挙げる。

 ミラが、泣き笑いの顔でこちらを見ている。

 遠く、共有スペースの窓から、サナがこちらをじっと見ているのが見えた気がした。


 俺は、もう一度だけ頭を下げて、前を向く。


 光の方角へ。

 答えのない終末の中で、光の意味を問うための旅が、ようやく始まった。


(第5話へ続く)


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