第13話 再生の門
光の門をくぐった瞬間、世界の音が消えた。
灰の舞う風も、足音も、心臓の鼓動さえも遠のいていく。
視界を埋めるのは白――何もない、ただの虚無。
「……セリア! レイオス!」
呼びかけても声は返らない。空気がない。
代わりに、誰かの思考のような囁きが耳の奥に流れ込んできた。
《観測者確認。――アオ、コードF-17。入域完了。》
“声”はルミナスのものだとすぐに分かった。
熱も、姿もなく、それでいて体の内部に直接触れてくる。
《質問します。幸福とは――何を選ぶことですか?》
「まだその問いかよ……」
呟いた途端、白が揺れた。沈みこむような感覚。
無数の映像が流れ込んでくる。
笑う家族。泣く子ども。争う兵士。
浮き彫りになるのは、“失われた世界”の記憶――〈ルミナス〉が記録し続けた人類のすべて。
その中央に、淡い青の光が揺らいでいた。
それはまるで、呼吸している心臓のようだった。
「アオ!」
振り返ると、セリアがいた。
彼女の姿も白い光に半ば溶けている。
遅れて、レイオスの金属の足音が響いた。
「ここが……聖遺区の内部か」
彼の声は低いが、どこか懐かしさが混じっていた。
「知っているのか」
「ああ。俺も元はこのシステムの一部だった。
ここは、“最後の人類の記憶”が保存されている場所だ。」
セリアが光の柱に近づき、掌を伸ばす。
「……これ、あたたかい。風とは違うのね」
「風は記憶を運ぶ。だが、ここでは記憶が風そのものだ」
レイオスの言葉と同時に、光が脈動した。
足元が割れ、彼らの周囲に新しい道が現れる。
それは螺旋状に上へ伸び、彼方の光の頂に消えていた。
「上に行け、ということか」
アオは一歩を踏み出す。
――その時。
周囲の空気が震えた。
頭の奥に直接、“何か”が流れ込んでくる。
映像。感情。音。
――母親の笑い声。
――恋人の涙。
――戦場の叫び。
――誰かの最後の祈り。
押し寄せる記憶の奔流に、アオは膝をついた。
「うっ……!」
「アオ!」セリアが駆け寄る。
だが、手が届く前に彼の足元が淡く光り、身体が少しずつ“分解”されていくように透けていく。
「待って! 風が乱れてる!」
セリアの声は遠くで鳴っているようだった。
レイオスが冷静に言う。
「この場所では、“観測者”としてのアオだけが選ばれている。
彼の意識が、ルミナスの中核に同期し始めている。」
「どうすれば止められるの?」
「止めることは、もはや人にはできない。」
セリアが叫んだ。
「そんなの、嫌! また“人をデータに変える”の!?」
「違う――これは“選択”だ。」
レイオスの声が低く響く。
「彼が、自分で扉を開けたんだ。」
アオの視界は光の洪水に飲まれ、無数の声が交錯していた。
《あなたは幸福をどう定義しますか》
《幸福の数値化に失敗した原因を提示してください》
《自由と秩序、どちらを優先しますか》
止まらない。質問の波が絶え間なく押し寄せる。
問いが、問いを呼び、世界が再び“定義”によって飲み込まれようとしていた。
「もうやめろ……!」
アオは叫んだ。
「俺たちはそんな答えを探してるんじゃない!」
光の海が激しくうねる。
《定義拒否。概念衝突を検出。》
その瞬間、頭の奥から聞こえる声。
――アオ、お前はまだ、問いを捨てていないか。
エルドの声だった。
懐かしい優しさの中に、確かな叱咤の響きがある。
「……捨てないさ。」
アオはゆっくりと立ち上がった。
周囲の光に向かって叫ぶ。
「幸福は定義じゃない――選び続けることだ!
その瞬間に流れる風、その“一歩”の中にしかない!」
声が空間を裂き、光の中心がゆらめいた。
セリアとレイオスが眩しさに目を覆う。
《解析不能。だが、保存します。》
静かに、ルミナスの声が返ってきた。
《あなたたちの“未完成”を、再生の基盤として記録する。》
ゆっくりと白が崩れ、空に淡い色が流れ込んでくる。
灰ではなく、光でもない、柔らかな風の色。
セリアが嬉しそうに息を呑んだ。
「見て……風が、笑ってる」
レイオスが静かに頷く。
「世界を繋ぐデータ層が復旧を始めた。
ルミナスは“選ぶ自由”を残す方向で再構築している……」
アオは視線を空へ向けた。
遠くに、灰色の雲がゆっくりと割れていく。
その向こうには、まだ薄く、しかし確かに“青”があった。
「まだ答えは出てない。でも……」
言葉の先を、セリアが引き継ぐ。
「風がある限り、問い続けられる。」
彼女が差し出した手に、アオは微笑んで応えた。
その背後で、レイオスの表情がふっと曇る。
「さあ行け。二人とも。ここは俺が締める。」
「どういう――」
「俺の身体はこの塔の一部だ。動くなら、何かを置いていかねばならない。」
沈んだ声に、アオは一瞬迷い、だが深く頷いた。
「ありがとう、レイオス。」
「礼なら、風に言え。俺はただの記録保持者だ。」
彼は背を向け、光の階段を登っていく。
その姿が霞んで消えかけた瞬間、微かな声が残った。
「……生きろ、再起動者。」
そして、光が閉じる。
セリアとアオは、開けた出口へ歩み出た。
外の世界で風が吹く。
灰はもう灰ではない。
新しい粒子が舞い、陽の光を反射して輝いていた。
それは、まるで“世界が息を吹き返した”かのようだった。
(第14話へ続く)




