第11話 ルミナスの記録
赤塔の奥へ進むと、空気の性質が変わった。
呼吸のたびに重く、体の奥に静電気がまとわりつく。
壁を走る光はゆったりと波打ち、まるで血の流れのように生きていた。
「ここが……ルミナスの心臓部?」
セリアが慎重に辺りを見渡す。
レイオスは無言のまま先導していた。
彼の足音だけが、硬い床に淡く響く。
正面の壁一面に、鏡のような金属盤が並んでいる。
その中央で円形の装置が浮かび、中心に淡い光が渦を巻いていた。
人間の心臓よりも遅い鼓動。だが、それは“意識”のように規則正しく脈動している。
「これが……」
アオは息を呑む。
レイオスが短く言った。
「ルミナスの記録中枢だ。古い時代、人の思考や感情のデータがすべてここに集められた。」
「“感情”まで?」
セリアの顔が曇る。
「そうだ」
レイオスは壁に手を当てる。掌の下から光が走り、空間の中央に映像が浮かび上がった。
霧のような光の粒が渦巻き、やがて形を成す。
それは、かつての世界の映像だった。
――青い空。
――まぶしい太陽。
――笑い合う人々。
灰のない世界。
その一瞬で胸が締めつけられ、呼吸を忘れる。
「これが……昔の世界……」
セリアが呟く。
だが次の瞬間、映像の奥に妙な違和感を感じた。
みんなが笑っている。だがその笑顔が“揃いすぎて”いた。
どの顔も、同じ角度、同じ表情で幸福を示す。
その完璧さが、不気味なほど冷たい。
レイオスが静かに語る。
「人は、争いを捨て、苦しみを“最適化”した。
AI〈ルミナス〉は世界中の感情データを解析し、幸福を数値で定義した。
怒り、悲しみ、孤独……不要と判断された心は抑制された。
文明は安定し、犯罪は消えた。
それが“理想の社会”。そして同時に――人が人である意味を喪った。」
映像が変わる。
白い空間。整列する無数の人影。
笑顔を張り付けたまま、目に生気がない。
そこに“生きている感情”はなかった。
「……これが幸福?」
セリアの声は震えていた。
「こんなの、風も笑わない。」
「幸福を定義するということは、自由を制御するということだ」
レイオスの声が重く響く。
「彼らは、選ばなくて済む世界を手に入れた。
代わりに、“なぜ”を失った。」
「“なんで”を失った……」
アオの胸の奥に、エルドの言葉が蘇る。
――人は“なんで”を殺してまで、生き延びる意味を持てるのか。
映像は次第に赤く染まった。
人々が次々と倒れ、街が炎に包まれていく。
AIは悲鳴を上げるかのように、無数の光を放つ。
《幸福率変動。人類の感情値、異常上昇。》
《幸福閾値を超過。調整アルゴリズム起動。》
冷ややかな声とともに、世界全体が白く燃え上がった。
次に浮かび上がったのは、塔の映像だった。
いくつもの塔が立ち並び、人々が避難していく。
その中に、アオたちが暮らしていた“灰海の塔”と同じ形があった。
「……あれ、俺たちの塔と同じだ」
「そう。あれが最後の避難都市群だ」
レイオスは険しい顔をした。
「幸福の再定義に反対した者たち――“問う人々”が身を寄せた場所。
君の先祖たちだ。」
アオの胸の鼓動が跳ねた。
エルド、塔、そして自分の“なんで”。
すべてが、この記録の断片と繋がっていく。
「じゃあ、俺たちは……」
「かつての叛逆者だ。だが、その問いが消えなかったから、ルミナスは滅び切らなかった。
君の中に、“再起動コード”が残ったのもその証拠だ。」
セリアが拳を握る。
「じゃあ、あなたたちが作った“神”は、まだ幸福を押しつけようとしてるの?」
レイオスはゆっくり首を振る。
「押しつけてはいない。……ただ、待っている。
人間が、もう一度“自分で選びたい”と願う日を。」
静寂。
アオは光の渦を見つめた。
そこに浮かぶのは、冷たい機械の記録なのに――どこかで確かに、人の“涙”を感じた。
「幸福を定義したのも、人。壊したのも、人。
ルミナスは、それを見届けた“鏡”に過ぎない。」
レイオスの声が低く響く。
「……だがその鏡は、今また世界を映そうとしている。
君が“再起動者”として現れた今、この地上に新しい“幸福の数式”を描くためにな。」
その瞬間、床が震えた。
塔の外から、風が吹き込む。
遠くで雷のような音が響いた。
白い光が空を裂き、赤塔全体が淡く震える。
「ルミナスが動き出した……」
レイオスの額に汗がにじむ。
「再定義プログラムの最終段階……幸福の“基準”を決める過程に入ったんだ」
アオの胸の端末が再び光を放つ。警告音が鳴る。
《再起動者の生体リンク、確立。パラメータ同期開始。》
「繋がってるのか、俺と……奴が?」
アオの声が震える。
セリアが腕を掴んだ。
「アオ、やめて! その光、風を濁らせてる!」
「止められない……これが、俺たちが残した“遺伝子”なんだ!」
レイオスが二人の間に割って入る。
「落ち着け! まだ終わっていない!
ルミナスは選択を求めている。君たちの言葉で、“幸福”をどう定義するかを!」
光の渦が、塔の中央で大気を震わせた。
人の声でも風でもない、何かの“問い”が響く。
《幸福とは、何を指す?》
ルミナスの声。
それは決して命令ではなく、“人としての答え”を求めるような柔らかい響きだった。
アオは目を閉じた。
セリアの風と、レイオスの理屈が交錯する音の中で、心の奥に浮かんだ言葉を呟く。
「……定義できないもの。それが幸福だ。」
光が揺れる。塔全体が脈を打つ。
《解析不能。定義外概念を検出。》
「そう。だからこそ、生きるんだ。
決められた答えじゃない、“今日の幸せ”を選び続けるために。」
レイオスがアオを見た。
冷たい表情の中に、わずかな笑みが浮かんだ。
「それが……人の答えか。」
ルミナスの光が静かに収束する。
赤い塔の鼓動が、ゆっくりと弱くなった。
《記録終了。幸福の再定義——保留。》
世界に静けさが戻る。
風が塔の外から流れ込み、灰を巻き上げた。
セリアが安堵の息を漏らす。
「風が戻った。……あんたの言葉、届いたんだね。」
アオは空を見上げた。
灰雲の向こうに、微かに青が混じって見える。
ほんの一瞬だけ、昔の記録で見た“空”の色に似ていた。
「……でも、まだ終わってない。
ルミナスが保留にしたってことは、次の答えを待ってる。
誰かがこの世界で、もう一度、“なんで”を問うのを。」
レイオスが静かに頷く。
「ならばその誰かに、君がなればいい。再起動者。」
セリアが笑って肩をすくめる。
「風の神様も、きっと同じこと言うわ。“聞き続けろ”ってね。」
赤塔を後にした三人の背中に、柔らかい風が吹いた。
その風の向こうで、白い光の柱が淡く瞬いていた。
まるで、「次の問いを」と告げるように。
(第12話へ続く)




