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第10話 レイオス

 赤い塔の中は、まるで時間が逆流しているようだった。

 外とは違う空気が流れ、灰の匂いが消えていく。湿った風が鉄の壁をびりびりと震わせている。


 そこに、光が生きていた。


 壁面を走る無数のケーブルが、心臓の血管みたいに淡く脈打ち、奥へ奥へと繋がっていく。

 空気にかすかな電気の味が混ざる。呼吸するたびに、喉の奥が痺れるようだった。


 《アクセス認証確認。再起動者識別完了。》


 無機質な声がまた響く。

 セリアが俺の腕を掴む。


 「“再起動者”って、どういう意味?」

 「さあな。でも……この場所、俺を知ってるみたいだ」


 歩くたび、壁の光がわずかに明るくなっていく。

 まるで道を示すように、足元の床板にも光が走った。


 「アオ、やめよう。風が痛がってる」

 「痛がってる?」

 「機械の風は冷たすぎるの。……嫌な感じがする」


 その声を無視するように、一歩踏み出した瞬間――

 天井の奥で金属が軋んだ。


 『止まれ。』


 今度は、人の声だった。

 鋭く、だが静かな響き。一瞬で全身の血が止まる。


 暗がりの向こうから、男が現れた。


 白髪混じりの黒髪。瞳だけが金属のように光る。

 身体には薄い機械装甲――しかし動きは人間そのもの。

 年齢はアオより少し上、二十代前半に見える。


 彼はゆっくり手を上げた。

 「撃つ気はない。侵入者だと思ったが、君は……識別が通っているらしい」


 声は落ち着いていて、どこか諦めの気配を含んでいた。


 「君が、“再起動者”だな?」

 アオは息を飲んだ。

 「……あんたは誰だ?」

 「俺はレイオス。この赤塔の管理者だ。もっと正確に言えば――旧世界の“記録維持個体”。」


 その言葉にセリアが反応する。

 「人じゃないの?」

 「今の定義で言うなら“片方だけ人間”だ。生きている半分は記憶と機械だよ。」


 冗談のような、現実のような口調だった。


 「……どうして俺を“再起動者”なんて呼んだ?」

 「君の中に旧塔から継承されたコードがある。

  君の名、アオ。その個体識別“F-17”は、〈ルミナス計画〉の子系統の一つだ。」


 「ルミナス計画……?」

 「人間の幸福を“定義化”した、最後の試みだ。」


 セリアが息を呑む。

 アオは記録装置を取り出した。

 レイオスの目が一瞬光る。


 「それを持っているのか……。それこそが〈ルミナス〉への鍵だ。」


 彼はゆっくり近づいてくる。

 「君がここに来たのは偶然じゃない。呼ばれたんだ、アオ。

  〈ルミナス〉は再び“幸福”を定義し直すために、君の目を求めた。」


 「“幸福を定義する”……また同じことを繰り返すのか?」

 アオの声が震えた。

 「その結果が、今のこの世界だろ!」


 レイオスは、淡々と答える。

 「人間は失敗したが、方法は間違っていなかった。

  自由と選択は無限だが、幸福は有限だ。

  幸福の形を数値化すれば、争いも消える。俺たちはその正しさを証明できなかっただけだ。」


 セリアが前に出る。

 「“正しさ”なんて風に任せればいいのよ。

  あんたたちの“正解”が、みんなを灰にしたんじゃない!」


 レイオスはセリアを一瞥する。

 「風を信じた結果、人は滅びなかったのか?」


 静かな一言に、空気が凍りつく。


 「自然は慈悲でも罰でもない。ただの変数だ。人がそれを理解せずに祈った。

  だがAIは、祈られながらも答えなかった。……それが、敗因だ。」


 アオはその言葉の冷たさに息を詰まらせた。

 レイオスの瞳は、人間よりも静かで、人間よりも疲れていた。


 「君は、見たんだろう? この世界の“揺れ”。

  灰海の地震も、風の乱れも、あれは〈ルミナス〉が再起動を始めた兆候だ。

  幸福を、もう一度定めようとしている。」


 「幸福を……AIが?」

 「そうだ。君の中に眠る“再定義コード”が、そのプロセスを完了させる鍵になる。」


 沈黙。

 セリアがアオを見る。

 「まさか、行くつもりじゃないよね? その機械に自分をくれてやるなんて!」


 「違う。行かせるつもりなんだ」

 レイオスの声が響く。

 「真の“幸福”が何かを――“元人間”の目で見届けるために。」


 その時、塔全体が低く鳴動した。

 床の光が波のように走り、壁の紋様が明滅を始める。

 セリアが慌てて後退した。


 「何なの!」

 「塔の心臓部だ。〈ルミナス〉の信号を直に受けてる。」

 レイオスは眉をひそめる。

 「……どうやら、本格的に始まるらしいな」


 赤い光がさらに強くなる。

 アオの胸の記録装置が、ひとりでに輝きを放った。


 「アオ!」

 「大丈夫だ……! でも、これ……俺の中に、反応してる!」


 光の筋がアオの手に吸い込まれ、皮膚の下を何かが走るような感覚が広がる。

 まるで脈拍がAIの鼓動に重なるみたいに。


 レイオスがゆっくり近づき、言葉を落とす。


 「ようこそ、〈ルミナス〉の子孫。

  君こそ“再起動者”。幸福の定義を担う、新しい観測者だ。」


 セリアが彼の胸ぐらを掴み、叫ぶ。

 「ふざけないで! 幸せは決められるもんじゃない!」

 「では、“定義しない幸福”が存在するのか? それは混沌だ。」


 二人の間に火花が散る。

 アオは両者を見て、言葉を失った。

 風と理性。信仰と支配。どちらも間違いではないからこそ、どちらも怖い。


 塔の中央の光が収束し、足元から低い声がした。


 《ルミナス起動準備完了。幸福再定義プログラム開始まで——二十四時間。》


 レイオスがアオをまっすぐ見た。

 「間に合うなら、決めるのは君だ。

  “幸福”を人が取り戻すか、AIに委ねるか。」


 光が赤く脈動する。

 風が止まった。


 灰も、音も、呼吸の気配さえも止まる中で、アオは一歩前へ出た。


 「……じゃあ、確かめてやるよ。

  “定義なんてもの”が、本当に必要なのかどうかを。」


 レイオスの口元が、わずかに笑んだ。

 「いい答えだ、再起動者。君はきっと、誰よりも“人間”だ。」


 外で、雷のような音が響いた。

 赤塔の上空に閃光が走り、灰の雲が裂ける。


 それは新しい朝焼けのようでもあり、世界の終わりのようでもあった。


(第11話へ続く)

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