時を刻む
ボォーン、ボォーン、ボォーン⋯⋯
少し気だる気な音が響く。
「もう朝か」
そうひとりごちながら朝日の差し込む窓を見上げる。
再びまどろみそうになりながら枕元のスマホを手に取ると先程鐘が鳴った時から5分ほどが経っているようだった。
今日もまた1日が始まるかなどと取り留めのないことを思いながら眠気を払うように頭を振り、身支度を整えつつ壁を見ると、そこにはカチカチと微かな音をたてながら時を刻む古びた柱時計の姿があった。
あらためてスマホの時間と見比べると僅かながら遅れているようだ。
「帰ってきたら調整するか⋯⋯」
誰に聞かせるでもなく半ば無意識に呟きながら家を出て雑踏の流れに今日も身を任せる。
半ば機械的に歩み、出社して業務をこなし、やがて帰宅する、そうしていくうちに時が経ち、季節が移ろい、歳を重ねる。ごくありふれた社会の風景の一部。
かつて気の置けない友人達と何をしていた訳でもなく時間が経っていたあの頃。アルバイトのシフトが重なり微妙に意識しながら何気ない風をよそおっていたあの頃。
いつの間にか遠くなってしまったなどと時折考えながらも何かに急き立てられ、背中を押されるように目の前の事を片付けていくうちに月日が流れていく。
そんな日々を過ごしていたある時期、たまたま長めの休暇が取れ、何かに誘われ導かれたような気がしてたまにはと思い祖父母の過ごした田舎へと墓参した。
「久し振りだな」
「ご無沙汰してます」
ありきたりの挨拶を交わしながら、今は叔父夫婦の住む風格というよりは古ぼけた室内をを見回した時、元は艷やかな色合いであったであろうと思われるくすんだ茶色をした壁掛け時計がふと目にとまった。
「懐かしいな⋯⋯」
両親に連れられ帰省していた幼い頃を思い出す。
縁側の大きな戸から時折吹き込む風と植物の匂い、名も知らない鳥のさえずり、蝉の鳴き声や蛙の合唱。普段目にするよりも色鮮やかな自然の中、子供心にはときとして単調な田舎での一日に時折アクセントをつけるようにその時計は時を告げていた。
「あら、その時計気になるの」
自分でも無意識のまま何度か時計を見ていたらしい。
折角だからと食卓を囲みながら近況報告を兼ねた雑談をしていた時に叔母からそんな声をかけられた。
「随分と古そうだけどけどまだ現役なんですね」
「私がこの家にきた頃にも結構古そうだと思ったけれどいつ頃のものかしらね」
そう言って二人で叔父の方を見ると、少し考え込むような仕草をしながら答えが返ってきた。
「物心ついた頃にはあったから親父か、もしかしたら爺さんの時代の物かもな。今は性能の良いのも別にあるし、時々ネジを巻くのを忘れて止まっている事もあるな。」
「私もネジまで背が届かないからつい放っておいてしまうのよね。よかったらインテリアに持っていく?」
そんな申し出を突然受けて戸惑いはしたもののなんとなく気になり譲り受けて帰ってきたものだった。
ボォーン、ボォーン⋯⋯
⋯⋯どうやら帰宅して一休みと思ったらそれなりの時間うたたねしていたようだ。深夜近くなった時刻を示す時計を横目に手早く食事をすませ少しでも疲れをとろうと再び床につく。
「明日こそ調整を⋯⋯」
翌朝少し早めに目覚めたので文字盤の扉を開け、ネジを巻き直しながら現在の時刻を確認して調整をする。
ついでにかすれて消えかけた文字列から現在でも有名な会社名を読み取れたので、いつ頃の製品なのか調べようとしてみたがよくは判らなかった。
「俺から見るとひいじいさんの時代は眉唾だけど、とにかく長い時を過ごしてきたってわけだ。」
そんな事を呟きながら今日も家を出る。
「今年も暑くなってきたね」
「毎年の様に過去10年の中ではって⋯⋯」
「昔はさ⋯⋯」
毎年お決まりの意味がある様な、ない様な時候の話題を半ば聞き流しながらスマホを片手に昼食をとっている時にふと目にとまった見出しがあった。
『地球の自転速度が急上昇』
気になって記事を読み進めていくと、元々地球の自転速度というのは一定ではなく、変動する事自体は過去にもいくつか例があり、今年もそんな日が幾日かあるという話だった。
最近の記事は目を引く見出しの割には中身がありふれた話であったり、あやふやだったりとにかく閲覧稼ぎ、すべてを効率化させてただひたすらに儲けを求めることばかり要求される、などと皮肉げに思ったりもする。
時は金なり、自転速度で多少一日が短くなった所で体感出来る訳でも無し、残りの半日を過ごせば明日は休み、なんとかやり過ごしますか。半ば自虐的にそんな事を考えながら午後からの業務に戻った。
ボォーン、ボォーン、ボォーン⋯⋯
疲れた身体を出迎える様に気だるげな音が鳴り響く。
スマホの微かな明かりを頼りにルームライトをつけようとした時にちょうど鳴り始めた時計の文字盤を見上げふと気付いた。
今朝合わせたはずの時間がもう遅れ始めていないか?
あまり意識した事は無かったが、数日に一度、時計のネジを巻く度に手元の時計で確認して調整するぐらいでアナログの不便さをある意味楽しんでいたのだが。
翌日、休日ならではの遅い朝を過ごし、中途半端な時間をどうするかと考えた末になんとなく柱時計の仕組みを調べてみる事にした。
どうやら文字盤の下にある振り子をネジを巻いた力で動かして時計を進めていると思っていたが、実際には内部の歯車が動力となって時を刻ませ、その歯車の動きをコントロールしているのが振り子の役目であるらしい。
機械的な仕組みとしては加速する歯車を振り子で抑えて時間を調整しているはずなのにこの時計は次第に遅くなっている?
振り子が狂ってしまったのかとも思ったがその時ふと昨日の流し読みしていた記事を思い出した。
『地球の自転速度が急上昇』
狂っているのは時計ではなく、もしかして現代の時間感覚や生活様式の速度感に追い立てられるように過ごしている自分達なのでは?
この時計はその造られた時代の時を正確に刻んでいるだけで間違っていないのかも。
ボォーン、ボォーン、ボォーン⋯⋯
考え込んでしまった俺の思いをよそに壁の時計は今日も自分のペースでカチカチと微かな音をたて時を刻んでいた。