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最終話 母なる深淵の抱擁

挿絵(By みてみん)




星雲の触手が船体を包み込んだ瞬間、アイリスの中で何かが弾けた。それは三年間抑え込んでいた、夫への愛と憎しみが混ざり合った激流だった。


「トーマス…やっと会える」


彼女の瞳に、エリンと同じ紫と緑の光が宿り始める。血清を直接注射しなくても、星雲のエネルギーは既に彼女の細胞を変化させていた。


「母さん、だめだ!」


ライアンが母親に向かって叫ぶが、その声は船体を伝う有機的な響きにかき消される。船内の壁という壁から、血管のような管が生え始めていた。


デヴィッドが震え声で真実を吐露する。


「アイリス、兄は最初から知っていた。この星雲が意識を持った生命体だということを。そして…エリンの病気は偶然じゃない」


「何ですって?」


「トーマスは星雲に選ばれたんだ。特別な遺伝子を持つ家族の父親として。星雲は何世代もかけて、完璧な宿主を作り上げてきた」


アイリスの顔が青ざめる。だが狂気は止まらない。


「だとしたら…エリンは最初から、この星雲の一部だったということ?」


「そうだ。そして君の執着、娘への偏執的な愛情も、星雲が植え付けたものかもしれない」


その時、エリンが振り返った。もはや七歳の少女ではない。古い知識と宇宙的な叡智を宿した、何かもっと深遠な存在になっていた。


「ママ、デヴィドおじさんの言う通りよ。でも、それがなに?私たちは家族でしょう?」


エリンの声は複数の声が重なり、船内に反響する。床から立ち上がった有機的な触手が、ライアンとデヴィッドを絡め取った。


「くそっ、離せ!」


ライアンが もがくが、触手は彼らを傷つけない。まるで大切な家族を優しく抱きしめているかのように。


アイリスは全てを理解した。夫の死は事故ではなく、選択だった。星雲と一体になることを選んだのだ。そして娘の病気も、家族を星雲へと導くための手段だった。


「私たちは最初から、この星雲の家族だったのね」


彼女の研究服が溶け始め、皮膚の下で星雲と同じ光が脈動する。痩せこけた身体が、宇宙的な美しさを帯び始めた。


船内に響くトーマスの声。だが今度は生の声だった。


「愛しているよ、アイリス。ずっと待っていた」


船室に現れたのは、星雲と融合したトーマスだった。人間の形を保ちながらも、身体は半透明で、内部に無数の星が瞬いている。


「お父さん!」


ライアンが叫ぶが、トーマスは悲しく微笑んだ。


「息子よ、君にはまだ選択の余地がある。人間として生きるか、我々と共に宇宙の秘密を知るか」


デヴィッドが必死に抵抗する。


「これは侵略だ!人類を乗っ取ろうとしている!」


「いいえ」


エリンが優しく首を振る。


「私たちは愛し合っている。家族として、永遠に」


アイリスは夫の手を取った。三年ぶりの感触。氷のように冷たいが、確かに夫の手だった。


「もう苦しまなくていいのね、エリン」


「ええ、ママ。もう病気じゃない。私たちは完璧になったの」


ライアンが最後の抵抗を試みる。


「これは本当の家族じゃない!化け物だ!」


「化け物?」


アイリスが振り返る。彼女の顔は美しく変化していたが、瞳の奥に狂気の光が宿っていた。


「あなたこそ分からないのね。愛がどれほど深いものか」


星雲が船を完全に包み込んだ。船内の空気が甘い香りに変わり、三人の意識が朦朧とし始める。


ライアンは最後の瞬間、理解した。母の愛は本物だった。だがその愛があまりにも深すぎて、狂気に変わったのだ。そして星雲は、その狂気を利用したのだ。


「一緒になりましょう、ライアン」


エリンが兄に手を差し伸べる。もはや抵抗する力は残っていない。


デヴィッドは最後まで人間でいようと必死にもがいたが、やがて星雲の歌声に包まれて意識を失った。


宇宙空間に、新しい星雲が生まれた。家族の愛と狂気が混ざり合った、美しくも恐ろしい光を放ちながら。


そこでは永遠に、完璧な家族が愛し合い続けている。人間だった頃の記憶を保ちながら、宇宙的な存在として。


愛は、時として最も恐ろしい怪物を生み出すのだ。


〜完〜

~あとがき~


読者の皆様、『深淵の家族愛〜母なる星雲の抱擁〜』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。今頃きっと「なんて救いのない話なんだ」と呟いていることでしょう。でも安心してください、作者の私も書きながら何度も「これ、ヤバくない?」と呟いていました。


この物語を書くきっかけは、実は私自身の育児疲れから始まりました。夜中に子供の看病をしながら「この子のためなら何でもする」と思った瞬間、「あれ、これって愛情?それとも狂気?」という恐ろしい疑問が頭をよぎったんです。まさかそれがコズミックホラーに発展するとは思いませんでしたが、人間の愛情って突き詰めると本当に怖いものだなと改めて実感しました。


特にアイリスというキャラクターには、書きながら愛憎入り混じった感情を抱いていました。彼女の母性愛は本物だけれど、それが狂気に変わっていく過程を描くのは正直つらかったです。でも同時に、この複雑な感情こそが人間らしさなのかもしれません。エリンについては、七歳の少女に宇宙的恐怖を背負わせるなんて作者として鬼畜すぎますね。でも彼女の純真さと不気味さのバランスが取れた時、「これだ!」と思いました。


執筆中の一番の苦労は、コズミックホラーの「理解を超えた恐怖」をどう表現するかでした。クトゥルフ神話への敬意を込めつつ、現代的な家族関係の複雑さを織り込むのは思ったより難しく、何度もプロットを書き直しました。特に星雲の描写では、美しさと恐ろしさを同時に表現するため、色彩や光の描写にこだわり抜きました。


実は執筆中、家族に「最近、お父さんの書く話が怖すぎる」と苦情を言われました。深夜にキーボードを叩いている私を見て、「まさかアイリスみたいになってない?」と心配されたのは苦い思い出です。でも、そのおかげで物語により現実味が増したような気がします。


次回作についてですが、今度は別の角度から家族と恐怖を描いてみたいと思っています。タイトルは『記憶の殺人者』で、認知症の母親が過去の殺人事件の記憶を語り始めるという心理サスペンスを構想中です。今回より救いのある結末にしたいのですが、果たしてどうなることやら。


最後に、この奇怪な物語を最後まで読んでくださった勇気ある読者の皆様へ。きっと今夜は星空を見上げた時、少し違った感情を抱くことでしょう。それこそが、この物語が残したかった痕跡です。感想やご意見がございましたら、ぜひコメント欄でお聞かせください。皆様の声が、次の物語への大きな力となります。


それでは、また次の恐怖でお会いしましょう。

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