8.警告
翌日のこと。
今日の僕は珍しく、日が空を完全に青くしたにも関わらず寝起きだった。外では早起きな小鳥の兄弟達が元気よく歌ってる。いつもはぼくの方が早く起きるのに。
「今日のロトクンは寝坊助だ~!」
ぼくが起きたことに気付くと、長男が大きな声でみんなに知らせた。それを皮切りにして、他の動物達も集まって来ては「だらしなーい!」だの「起きる時間だよー!」だの言って騒ぎ始める。
「もう、そんなに言わなくても分かってるってば」
まだまだ半開きの目を擦りながらそう言うと、兄弟達はまた面白がって「寝坊助、寝坊助!」と意味の分からない歌を歌い始める。明日は仕返しに歌いながら起こしてやろうか。他の奴らも笑いながら走り回ってる。……揃いも揃ってぼくのこと馬鹿にして、コトの性格がみんなに移ったのか。
「ロトちゃん、おはよう。ほら、そんなブスッとしてんならいつまでも横になってないで、さっさと起き上がりな」
どうやら顔が表にでてたみたいで、いつからか居たのか知らないけど、狐のおばちゃんに指摘された。何だかちょっと恥ずかしい。こういうことしてるから揶揄われるのか。
「おばちゃんおはよう。ちょっと待ってね」
おばちゃんに促されてようやく重たい体を起き上がらせると、同時に子狐の姉妹がピョンと床に飛び降りる。やけに体が重いと思ったらこの2匹の仕業だったのか。
「ロト様全然起きないから、悪戯してたのー!」
「してたのー!」
うん、このくらいの悪戯だったらまだ可愛いものだ。コトの悪戯に比べれば本当に。
今はいないようだけど、コトがこの場にいれば多分体が重いと感じるだけじゃ済まなかった。枕代わりにしている日常着をぼくの体に巻き付けて、起きたばかりで混乱するぼくを揶揄って遊んでただろう。それで本気で降参するまでほどいてくれなかったに違いない。
実際に同じようなことをやられたことがあって早起きのきっかけになった。だからそれをしないで体に乗るだけに留めてくれた2匹には怒るどころかむしろ褒めてやりたい。
「ロト様笑ってるー。 悪戯効かなかったのー?」
「ロト様笑ってるー。 悪戯効かなかったー?」
「効いたから笑ってるんだよ」
本当は全然効いてなんてないことに褒めたいけど、正直にそんなこと褒めたら拗ねるだろう。現に、ぼくが適当に言った誤魔化しに納得しない2匹は口を尖らせて前足をバシバシとぶつけてきている。
「本当にびっくりしたって。ほら、拗ねたからって寝巻をぐちゃぐちゃにしないでよ」
「じゃあアム達コト様より上手に悪戯出来てたと思うのー?」
「じゃあアメ達コト様より上手に悪戯出来てたと思うー?」
「出来てたよ。コトなんて比にならないくらい」
何でコトなんかの上になりたいのかは知らないけどその言葉でようやく満足したらしい2匹は、褒めてもらったって喜んで他の動物達に自慢しに行った。人間達の本に出てくる小さい子もよく分からないことに喜んでいたし、このくらい幼い子は人間や動物に限らず、不思議な感情で動いてるのだろうか。
その不思議な感情が生み出す幼い子らの様子は、どことなく癒される。
「癒されるけど、あのままコトみたいにならずにいてくれたら1番良いんだけどね」
「アンタまたコトちゃんになんか悪戯されたの? 全く、あの子も目を離すとすぐヤンチャするんだから」
「ホントだよ。もしここに居たのがあの姉妹じゃなくてコトだったら最悪だった」
「今度ガツンと言ってやらなきゃね!」
「助かるよ。おばちゃん」
おばちゃんが叱ってくれるなら心強い。だって狐のおばちゃんもカコと同じく、いつもニコニコと笑っている分怒るととんでもなく怖い。どのくらい怖いかはあまり上手く説明できないけど、おばちゃんに叱られたことのある誰もが異口同音に「思い出したくない」と言うくらいには怖い。
さすがのコトもそんなおばちゃんに何時間も早口で説教されたら少しは懲りるだろう。懲りろ。
「ほら、コトちゃんはアタシがなんとかしとくから、悪戯っ子達にお着物取らんないうちにさっさと着替えな!」
「はーい」
腑抜けた返事をしながら、寝巻の帯に指をかけた。
さあ、今日は何をしよう。最近してなかった日向ぼっこでもしようかな。それともカコにもらった本を読もうか。確かまだ読みかけのがあった筈。
400ページくらいだからいつもみたいに1日中読んでればもう読み終わっててもおかしくはないけど、読了する筈だった日が丁度メイ達が初めて遊びに来た日だったから、そういえば数日間読みかけのままだった。
小さいころから本は好きだった。縁側に腰掛けているだけなのに、本を読むだけで知らない世界に行ける。この前は長いトンネルを抜けて雪の世界に行った。先週は大きな門の下で雨の世界に佇んだ。今日は神じゃないのに不思議な力で戦う世界に居る。
普段境内からでないぼくも、本を読むだけでイミナジやカコみたいに色んな場所に足を運んだ気になった。いや、こんな不思議なところ、あの2柱でも行ったことが無いだろう。また今度ぼくの社に来たら沢山話を聞かせてあげよう。
そうだ、メイが来たらメイにも聞かせてあげよう。あの不思議な子だったら、面白がって聞いてくれる筈。
何というか、今までは娯楽と言ったら日向ぼっこ、お喋り、読書とかそんな程度だったけど、メイと遊んだ楽しさを覚えてしまうとそれらが少しだけ退屈なもののように感じてしまう。……なんちゃって。
____メイのことを考えてしまうと、途端にまたメイと遊びたくなった。さすがに今日は来ないだろうと思いながらも、速く来ないかな、まだ来ないかなって、あと少しで読み終わりそうだった本を抱えてメイを待ちわびた。読了日はまだ先になりそうだった。
太陽が西に傾き、空が紫がかって来た時。ふと、鳥居の下で石畳を踏む音が聞こえた。____もしかして。
「メイ!」
……後々考えれば、メイの足音はもっとうるさいし、聞こえるならもっと早く、階段の方から聞こえてた筈だった。というか、人間の女の子がこんな時間にこんな場所に来るわけがない。
この時のぼくは人間と、メイと関わる非日常が毎日来ることを望み過ぎて、非日常が日常になるのを望み過ぎて、少し頭が悪くなってたんだと思う。
当然ながら、視線を向けた先にメイはいなかった。代わりに長身の男の人間が立っていた。____いや、人間じゃない。現人神になった知らない神だ。
「誰?」
「ふん、敬語も使えないのか。まあ良いだろう。俺は士教玉白神。通称をササレという」
しきたわ……? 音だけだとどんな神か特定しづらいな。ただ、発言とぼくの神社に来られることから、ぼくよりは明らかに位が高いのは確実だ。
「ササレ、で良いの? は何の神で、こんなとこへ何しに来たの?」
聞くと、ササレは舌打ちして、溜息を吐いてきた。
「阿呆に物を教えるのも俺の役割だからな。順に教えてやろう。一つ、俺はこの神社から1里程離れた人間街にある士教玉白神社にて学業成就等の願いを管理する学問の神である。二つ、態々こんな神社に来た目的は、貴様への警告の為である」
____警告?
「ロト、貴様の近頃の行いはここへ来る食物神や動物らを通し俺も知っている。度重なる規則違反、注意されても改善するどころか悪化。流石に看過できない状況に来た。これ以上は罰則を与えねばならない」
規則違反、というとメイとのことだろうか。やっぱイミナジやカコだけじゃなくて他の奴にもばれてるか。というか動物って誰だ。誰だ告げ口した奴。イミナジも面倒くさがりの癖になんで告げ口するんだ。
「心当たりはあるようだな。まあそれはそうか。何せ、足音の主を人間の少女と勘違いするほどだ!」
突如声を荒げられたことで、無意識に肩が跳ねる。同時に、さっきの自分の馬鹿をかなり後悔した。
「不満そうな顔をしているな。信仰が無ければ許されると思っていたか。だとしたら、貴様は自分という存在を知らな過ぎる!」
確かに規則違反の心当たりはあったけど別に、“不満そうな顔”になってたのはそれじゃなくて、ササレが学問の神を名乗ってる癖して初対面の奴に対して嫌な態度だからだ。
「ササレの警告とやらが不満って訳じゃない。でもさ、ぼくが誰と仲良くするかなんて勝手でしょ」
「口答えをするな! 貴様のその身勝手で、周囲の者にどんな害がもたらされているか考えろ!」
そんなの知らないし。
「ぼくだって、好きでこんな存在に生まれたんじゃない」
「嫌々だろうがその存在に生まれた事実が覆ることは無い。出生を呪う暇があるなら己の存在がなんたるかを考えろ」
ぼくの存在って言ったって、信仰も全然無い上にカコ達みたいな何かに特化した神でもない。人間の願いを叶えられるって言ったってほんの些細なことしかできないぼくに、どんな特別があるって言うのさ。ただ神ってだけじゃん。それ以上でもそれ以下でもない。
「良いかロト。物事には必ず理由がある。“信仰の無い者は安全故人間と関わることに問題はない”というのが罷り通るなら、最初からこの規則は存在しない。お前は己について、神という存在について何も理解していないようだが、お前が思うより神は災いを抱えているものだぞ」
同じ表情で言葉を返さないぼくを気にせず、ササレは続けた。
続けられた言葉は、今まで説明されたことよりも更に、信じられないものだった。
「それが理解できないままでは、再びあの娘がここに訪れることは無い」
そう言い残すと、踵を返して鳥居を潜って行った。ぼくは暫く呆然としていて、何も反応することが出来なかった。
いや、そんな筈ない。ただの脅しだろう。今日は来なかったけど明日は来てくれる。明日じゃなくても、来週とか、来月とか。
2度と会えないなんて、そんな訳無い。……無い、よね?