7.神は独りじゃない
翌日、学校が終わって家に1度帰った後。メイはロトのいた稲荷神社に向かっていた。
岸花家から神社へ行くには山の中の長い階段を上らなければならないが、メイはこの階段を気に入っていた。階段を上っていると普段街中では見られない動物らに会えるからだ。
昨日の今日なので流石に触ろうとは思っていない様子だったが、それでも動物らと会えることが。しかった。
それも楽しみに、メイは階段を上り始める。
"噂”の人間が来たと聞きつけた動物達は、木陰から顔を覗かせている。
「あの女の子が、最近ロト様が気にかけていらっしゃるという人間なのでは?」
「えー、あの女の子が?」
「そうよ。うるさい足音なもんだからよく覚えてる」
「ねえお母さん。あれは何?」
「あれは人間よ。めったに来たことが無いから、私も見るのは初めてだわ」
「あの人間、ここ最近よく来るけど何日続くかねえ」「もし来なくなっちゃったらどうしよう。ロト様とっても悲しむよ」
「でもそれが良いんじゃないのか?規則違反なんだろう?」
「そもそもこんな神社に来るなんて、物好きな人間もいたもんだな」
「わたしも人間をもっとみたいよ。ねえ、ロト様が満足するまでで良いから、この山に置いておきましょうよ」
「何言ってんだ。そんなことしたら、怒られるのはロト様だ
せ?」
「えー、あの人間、ここへ住んでくれないかなあ」
しばらく階段を上っていると、神社の鳥居が見えてきた。
真っ赤な門が1段先に来る。
「じゃあまたね!」
目が合う動物たちに手を振り、その門を潜り抜ける。潜り抜けた先にはメイが狐を見に来ると称して会いたかった者、ロトが立っていた。
「ロトくん! やっほー」
「完気な足音ですぐ気づいたよ。今日は何しに来たの?」
「えー? ロトくんと遊びに来た! 神様とも遊びたいけどね」
「ぼくと遊びに、神社へ?」
「うん! だってロトくんの家知らないし、またここに来れば会えるかなって思って」
「そっか。......ぼくも、今日は何となく君が来るって思ったからここで待ってたんだ」
「おおー、同じだね!じゃあさじゃあさ、何して遊ぶ? またキャッチボールする?」
「メイ」
「それとも追いかけっことか? かくれんぼも____」
「メイ、ぼくは君に話をしに来たんだ」
「......話? どうしたの? 何か浮かない顔してる」
「あのさ、君が神と仲良くなりたい理由って、寂しそうだからだったよね」
「うん!だって誰もつまんなくないし、みんな楽しいじゃん。ロトくんだって、神様も喜んでくれるだろうって言ってくれたし!」
「多分、多分だけどね、その必要は無いよ」
「どうして?」
「神はメイが思うほど人間が来ないことを寂しがってないから」
「えー、そうなの?なんで?」
「ここへ来るまでに、メイもたくさん見たでしょ」
「たくさん? それって、階段の方にいた動物達のこと? 今も周りにたくさんいるけど」
現人神は静かに頷く。
「神が交流を持つのは、人間だけじゃないんだよ」
「てことは、ここにいる動物達って皆んな神様の友達なの?」
「そう。だから、態々君が友達になる必要なんて無いんだよ」
「確かに……」
意を決して、神は決別の言葉を口に出す。
「だから、君はもうこの神社には――」
「ねえロトくん!」
それを遮り、声を上げた。その表情は何か焦りを覚えるようなものだ。
「神様にたくさん友達がいるってことは、私とは友達になってくれないってことかなぁ!」
「……え?」
「神様が寂しくないなら私も嬉しいの。だから教えてくれてありがとう。でもね! それってロトくんの言う通り私が友達になる必要が無いってことじゃん!」
「そうだね」
「どうしよう! 仲良くなれない! 神様が寂しくないのは良いけど私が仲良くなれない! こんなことなら最初から仲良くなりたいから仲良くなりたいって言っておけば良かった!」
どうしようどうしようと騒ぎ始めるメイ。
――瞬間、先程まで表情を曇らせていたロトが一転。笑い出した。メイの願いの理由を聞きだしたときの様に。
「ロトくん? どうしたの?」
「んーん、メイは変わってるなって思っただけ」
「えー、急に悪口?」
「違う違う。良い意味で変わってるって言ったんだよ」
意味が分からず、メイは大袈裟に首を傾げる。
「誰かを想っての願いって、本当は自分の願いに過ぎないのに相手の願いだと思って疑わないのが普通、よくあることなんだ」
「んー? うん」
「でもメイは、無意識かも知れないけど神を想ったものに見える願いも自分の願いだって自覚してた。それはあまり普通じゃないことだけど、すごいことなんだよ。メイはすっごく優しい」
「うーん? んー、難しいけど、多分、分かった!」
それなら良かったと微笑むロト。反応の仕方的にしっかり理解出来ているのかは不安だったが、面白いが勝ってしまったので良しとした。
しかし、まだ1つの懸念は消えなかった。
「でもさ、メイ」
「今度はなーに?」
「チラッと聞いちゃったんだけどその、動物アレルギーを持ってるんでしょ? だったら、動物が大勢いるここにはあまり来ない方が良いんじゃないかな」
次はメイが表情を曇らせる番だった。曇らせると言っても、口を尖らせて拗ねたような表情になるのみだ。
「触らなければ大丈夫だもん」
「でも、危ないんじゃ……」
「私が良いって言ってるから良いの! 私の体のことだもん、私が決める! 本当に危なくなったら帰るから、お願い。一緒に遊ぼう?」
元々ロトもメイと遊ぶことを願っていた身で、アレルギーについてもよく知らない。強く言われてしまえば、頷くより他になかった。
「……分かった。分かったよ。一緒にキャッチボールをしよう」
そういうロトの腕には、いつの間にかメイが持っていた物に似たボールが抱えらえていた。
「良いの! やる!」
どのくらい時間が経ったのか、さっきからカラス達が大きな声で鳴いてる。声的に5、6羽くらいいるのかな。皆んな交互にカァーカァー鳴いて、ぐるぐる飛びまわってるみたいだった。
前にカラスのおじさんに聞いたことがある。カラス達が夕方に皆んなで一緒に帰る理由を。なんでも、安全な塒を探して見つかったところで一緒に眠るんだって。安全な場所が見つかったら、今みたいにカァーカァー鳴いて仲間に知らせるんだって言ってた。
集団意識が高くて、温かい家族みたいな鳥達だなって思う。
「ロトくん? どうしたの、空を見上げて」
「良い寝床が見つかったんだなって思ってね」
「カラス?」
頷くと、「へぇー」なんて間の抜けた声を出しながら、ボールを抱えて同じく空を見上げた。
カラス達はその場でぐるぐると飛び回ると麓の方へ降りて行く。目で追うと、深緑に染まりつつあるこの山が橙色に輝く空に囲まれていたことに気付いた。
上の方が青紫に染まっていて、西の空に近付けば近付くほどに黄色と橙色が煌々と光っている。今まで橙の平面としか思わなかったそれは、四方に際限なく続く3次元の広がりだった。いつも見ているのと同じ筈なのに、何故か今日の夕暮れは全く違うものに見える。――夕暮れって、こんなに綺麗なものだったっけ。
その時だった。
「2人共、もう夕方よ」
夕暮れの景色から、よく聞きなれた声がぼくを引き戻した。
声のした方を見ると、鳥居の下に女の人が立っている。
「メイちゃん、遅い時間の山は危ないよ。送って行ってあげるから、今日はもうおしまい」
その女の人は、眠くなってしまいそうな優しい声で、メイに微笑んだ。
「はーい! でも貴方は誰?」
「嗚呼、申し遅れたわね。私はカコ。そこにいるロトの友達みたいなものよ。貴方の話は聞いてるわ」
女の人は、今のぼくみたいに現人神になった縁結びの神、カコだった。夕日に照らされて橙色の後光を纏うカコの姿は、それこそ“神様”らしく見える。
「カコちゃん? よろしくね!」
「ええ。さ、メイちゃん。行きましょう」
「うん! またね、ロトくん!」
そう言って、2人はぼくが引き止める間も無く行ってしまった。
「……うん。バイバイ」
ぼくは何だかぼんやりとしながら手を振った。それこそ際限なく続くように思えた楽しい時間は、夕方から夜になってしまうように、一瞬で終わってしまった。
空に染まる青紫が増えてきた頃、帰路にてメイとカコは隣り合って歩いている。
「カコちゃんもたまにここへ来るの?」
先程会ったばかりだというのに、メイはお構いなくカコに話しかける。
「うん。ロト程頻繁には来ないけどね。メイちゃんは? ここへ来るのは何回目?」
「今日で3回目くらい! ロトくんと会うのは2回目だよ。キャッチボールしたんだ。今度カコちゃんも一緒にやろうよ」
ほんの少し、眉を顰めたような気がした。
「そうね。でも私はあまりたくさん来られないから」
「そっかぁ、残念」
「……うん。ところで、メイちゃんは何でこの山へ来ようと思ったの? ここの神社は言っちゃ悪いけどあまり有名とは言えないし、山の中だから知ることも少ないのに」
その問いにメイは首を傾げる。理由、真面目に聞かれる程大した理由なんてあっただろうか。――ただロトくんとお友達になりたかっただけなのに。
「んー、コヨノちゃんっていう私の友達がいるんだけどね。この間、その子と遊ぼうってなってたときなんだけど。山に入口があるのに気づいて、こんな道あったんだねって言いながら2人で見てたの。そしたら看板に神社って書いてあって、そういえばお婆ちゃんが人があんまりいない神社の話してたの思い出したから、好奇心で来てみたんだ」
「要するに、特に深い理由はありませんと」
「えっへへ〜……。でもこの神社、居心地もいいし、動物達もたくさんいるから好き! あ、あとロトくんとも遊べるし!」
「そう……。それは、良かったわね」
「うん! あ、でも私ホントはアレルギーあるんだけど、大丈夫かな」
「それは、気を付けないと駄目なんじゃないかしら。まあ大抵は痒くなったり咳しちゃったりだろうけど、喘息になっちゃう子もいるから」
「それコヨノちゃんにも言われた」
「だったら尚更気を付けなさい」
「んー……。って、あれ、あそこにいるのってもしかしてコヨノちゃんかな?」
どうせ続けられない口答えをしようとしたところで、視界に見知った映り込んだので咄嗟に話題を変える。
「お友達よね。キョロキョロして誰かを探しているようだし、メイちゃんを探してるんじゃない? 行ってあげたら」
「コヨノちゃんの反対押し切って神社行ったからそうかも……! コヨノちゃーん!」
「あ、メイちゃん! 探したんだよ、もう暗いのに帰ってこないし……」
「ごめんごめん、遊びに夢中になってて」
悪びれているのかいないのか、ヘラヘラと笑いながら頭を掻くメイ。それを横目に、既に怯えている少女気遣いながら優しく声をかける。
「貴方がメイちゃんのお友達のコヨノちゃん?」
気遣いも虚しく少女は肩を跳ねさせてしまったが、おろおろとしながらも返してくれた。
「あ、はい。そうです……。あの、貴方は?」
「私はカコ。メイちゃんとはさっき神社で知り合って、貴方のことは今さっきメイちゃんから聞いたのよ」
「な、なるほど。よろしくお願いします……」
「知り合って早々で悪いんだけど、私ももうそろそろ帰らなきゃいけないの。ここから先はコヨノちゃんにメイちゃんを預けてもいいかしら?」
「あ、もちろん……です。送ってくれたんですね。ありがとうございました」
「どういたしまして」
「じゃあ帰るよ、メイちゃん」
「はーい。またねー! カコちゃん!」
「うん……ばいばい」
帰るという嘘をついたことと、メイに声をかけられることで沸き立つ複雑な心境に顔を強張らせながら、そう手を振った。
カコ達がいなくなってから、ぼくは夕日をぼーっと眺めていた。縁側に腰かけて見る夕暮れの景色は、さっきと違って平面的だ。
本当は、こんなつもりじゃなかった。すぐに帰らせるつもりだった。カコに貰った本でアレルギーについて調べて、やっぱり人間にとって良くないものだって出てきたから。規則もそうだけど、この山には動物がたくさんいるし、メイの様子からして多分ここへ来させること自体あまり良くないことだと思ったんだ
。
だからこそ、さっきは「神は寂しがっていない」とか「メイが友達になる必要は無い」って言った。でも、そうしたらメイは、それでも友達になりたいみたいな態度で……。気付いたらこんな時間になるまで遊んでいた。初めて会った時といい、ぼくの予想をことごとく超えていくメイにやっぱり笑うしかなかった。本当に、面白い子だった。
メイと見た夕日はとても綺麗だった。
生きてきた中で夕暮れに興味を持ったことなんてないのに、さっき見たのは本当に綺麗だった。
本で綺麗に書かれてるのは何度も見たけど、さっきも言ったようにそれはただの橙色の平面にしか見えなかった。虹の様にたまにしか見られないものじゃなくて、いつでも見れるものだから尚更。ただの昼と夜の境目。何で人間達がそれを好むのか理解出来たためしがない。
だからこの燃えるように輝く夕日は、今日メイと遊ばなければ綺麗になれなかったものだ。もしメイと遊ばなかったら、時の進みを感じさせるそれを気にも留めなかった。――そう考えると、ちょっぴり罪悪感が薄れる気がした。
そうだ、もしまたメイが来たら今度はぼくが送ろう。そうしたら動物と無闇に接触しなくて済むだろうし。危なくない。そうしたらもっと長く話せるし、もっと仲良くなれるし。そうしたら……。
――いや、いや、待て。落ち着け、ぼく。そんなことしたら余計に規則違反だって怒られるに決まってるだろ。何を言っているんだ本当に。
おかしな思考を振り払うように頭を振る。直後に大きなため息が聞こえた。見ると、もうメイを送ってきたのか元の姿に戻ったカコが鳥居の下に立っていた。まさか、声に出しちゃってたのかな。
「おお帰り」
誤魔化すように手を振る。しかしカコは返答せず、黙っていた。その目は何かに恨みでも抱えているかのように見える。
「カコ?」
少し不安になりもう1度声をかける。カコと目が合うと、その目はやっぱり怒っているように見えた。まあそりゃ、流石に怒られても仕方ないことをした自覚はある。メイを送り終えて、叱りに来たんだろうか。
「ロト」
名前を呼ばれ、肩が跳ねる。カコは普段怒らない分、怒ったときは本気で怖い。ぼくは体を硬くして、次に言われるであろう言葉に覚悟を決めた。
「晩御飯にしよっか。今日は私が作ってあげる」