4.幼い神の茶会
朝のこと。ぼくは縁側に腰を掛けて日向っこをしようとした。しかしそれは、今日も“しようとした”に終わった。
「ロト、お饅頭で良いよね?」
「うん! ありがとう」
日向ぼっこより楽しい出来事。ぼくの姉のような存在で、幼馴染であるカコが遊びに来ていたからだ。
「お茶は何?」
「ここの麓で買ってきただけだけど、緑茶よ。少し苦いけど甘いお饅頭に合うでしょ」
カコはぼくより神階が高くて、人々からの信仰による力と本名を持つ「相呼守毘売」という縁結びの神だ。「逢いたい人がいるなら相呼守神社へ」という文言が鳥達を通してぼくの耳に入るほどには評判があるらしい。
何度も言うように、ぼくみたいに位の低い神は他神との交流をもつことがかなり難しい。だから日頃動物以外との関わりを持たないぼくにとって、カコは唯一気軽に関わることの出来る神だった。
最近は新学期のしーずん? でここへ来れる回数もそう多くはないけど、来てくれるときは毎回こうやってお土産を持ってきてくれる。ぼくが持っている本も全てカコに貰ったものだ。
「そうだ。ねえカコ、これ食べ終わったら一緒にいなり寿司食べよう」
「いなり寿司? 良いけど、そんなのここにあったっけ?」
首を傾げるカコを横に、ぼくは大事にしまっていたそれを取りに行く。いつも貰ってばかりだけど今日はぼくがカコにおすそ分け出来る。そう思うと嬉しくなった。もっと正確的に言うと、メイに貰ったものをカコと一緒に食べられるのが嬉しかった。――いつか、しっかりありがとうって言いたいな。
「この間ね、人間の参拝者が2人も来たんだよ」
「そうなの? 珍し……。何かお願いされた?」
「それがね、1人の子は黙ってたから分からなくて」
よくあることね、と眉を下げて微笑まれる。
「もう1人の子は、 “神様と仲良くなりたい”って願いだったんだよ。おかしな願いだよね」
そう言いながら振り返ると、カコが眉をひそめていたような気がした。何か気に障ることでも言ったかな……。なんて思ったけど、1回ほど瞬きしてしまえば、いつも通りの微笑みを含んだ顔になっていた。――気のせいか。
ぼくは取ってきたいなり寿司を円卓の上に置きながらカコの隣に腰掛ける。
「でこれがそのおかしな人間の子に貰ったいなり寿司。お供え物だって」
「嗚呼、それで……」
「うん! いつもカコから貰ってばかりだから、今日はお返し」
「その為に態々取っておいたの? 乾いちゃうからさっさと食べちゃえば良かったのに」
でもありがとうって、カコは笑ってくれた。
「ねえ、ここが稲荷神社って呼ばれてるのとお供え物にいなり寿司が貰えたのって何か関係あるの? 名前が同じだけ?」
カコはお寿司を口に入れながら答える。
「さあ、知らないわ。けど、人は稲荷神社の、狐の神様の好物はいなり寿司だって信じてるみたいよ」
通りでメイのお婆ちゃんがぼくの好物を勘違いしたんだ。やっぱり人間には変な常識があるらしい。まあこの食べ物は美味しいから良いけど。本当に好物になりそうだ。
1つ目を食べ終えると、次のに手を伸ばす。見るとカコはまだ1つ目すら食べ終えてない。急いで食べ過ぎてカコの分まで食べちゃわないように気を付けないと。せっかくおすそ分け出来てるんだから。――そう思いながらも、思いの外これが美味しくて、ぼくの手はすぐ3つ目に伸びた。カコが呆れたようにため息を吐くのが分かる。
「大喰いの栗鼠みたい」
そう言われても仕方ない。2つ目がまだ口の中にあるのに3つ目を詰め込み始めちゃったから。頬を膨らませながら正面を向くと、「その顔でこっち向かないで」なんて言って笑われた。
「メイに感謝しないとね」
「口の中に物が入ってるのに喋らないで」
カコは再び眉をひそめたような気がした。
「ねえカコ」
カコもいなり寿司を食べ終え、お茶を飲みながらぼくに顔を向ける。ぼくは少しだけ息を吐いてから言った。
「その、今日人間街に行ってくるね」
「……それは、何で」
「メイって、その、このいなり寿司くれた子に会いたくて……」
言った瞬間、カコの表情が明らかに険しくなった。もう“気がした”じゃ済まないくらいで、怒ってることは明白だった。
「ちょっと、急に何言ってるの!?」
そう怒鳴られ肩が跳ねる。今の発言は神にとってあまり良く思われないことは前に教えてもらったことがある。だから多少は何か言われるかなぁとは思ってたけど……初っ端で怒鳴られるとは思わなかった。
カコは普段あまり怒ることが無い分、怒ったときは結構怖い。さっきまで寝ていた子狐もびっくりして逃げてしまった。いつもは強がりな鹿の兄弟も木の後ろからこちらの様子を伺ってる。
やっぱ怖い。でも、人間街には行きたい。
「人間のことはカコや他の動物達から聞いてた。でも実際に見たら噂以上に面白くて、もっと見てみたいんだ」
怒鳴られた直後でカコをまっすぐ見ることが出来ず、声も震えてしまっていてしっかり喋れたかすら分からない。
「交流目的に街を降りるのは完全に規則に違反してる! 駄目に決まってるでしょ!」
やっぱりそう簡単に首を縦に振ってくれない。どころか更に怒られてしまう。――だけど、逆切れに近いっていうか殆ど逆ギレだけど、今の言葉には言い返したくなった。
「カコだって人間街に行ってるじゃん」
ぼくの目線はさっき貰ったお茶に行く。
「願いを叶えることに活かすという目的で視察する程度なら許されてるの、そんな揚げ足取りみたいなこと言わないで! ロトはただ自分の興味で人間に会いたいだけでしょ。それで無い信仰を増やす“いんすぴれーしょん”でも沸くわけ?」
「それは……」
勿論……無い。
「ほら、神は人間と不必要に接触することは良くないって忘れたの!」
「い、良いじゃん! 面倒な規則に従うより自分のやりたいことをしたい!」
「そんな我儘が罷り通る訳ないでしょ!」
「確かに人間との過度な接触がいけないのは分かるよ。神の力がどんなふうに人間に作用して、災いとかが起きるか分からないからでしょ? でも、ぼくは信仰もなければ力も全然無い。そんな過剰に注意する必要なんて無いじゃん!」
「そういうちょっとの油断が大きな災いに繋がるの!」
言い返すネタが尽きて、視線を落とす。カコの方が正しいのは分かってる。だってちゃんと規則に沿って喋ってるから。
でも、生まれた時からずーっと規則通りなんて絶対つまらないじゃん。正しいだけで、何にも楽しくない。大昔から存在する神とかよく生きてこれたよねって思う程。規則は大事だとは思うけど、そこまで意味のない規則なんて厳守しなくても良くない?
「ロト、貴方の気持ちは分からないでもないわ。でも、目先の願望を優先してたら後々大変なことになるの。昔にも目先の欲に囚われた神が大きな災いを起こしてる」
昔の話じゃん。というかそれは“力のある”神の話で、自ら阿保みたいな事件を起こしてたんじゃん。ぼくには当てはまらないことだし、それに後々っていつさ。
1度反抗心を持ってしまうとその後も納得することが出来ない。カコが何言っても、その1つ1つに下らない反論が浮かぶ。下らな過ぎて口には出せないけど。
「だからね、ロト」
「……何」
もうカコに一々許可取らないで、黙って行ってしまおうか。
「人間街に行くのは――」
「おい、ロト」
――びっくりした。なんの前触れも無く後ろから名前を呼ばれ、今度はさっきと違う理由で肩が跳ねた。さっきまで誰もいなかったし、動物達だって何も言わなかったのに。目の前に向かい合わせで座っていたカコも驚いた様子だった。声とその現れ方で、誰が来たかは大体予想は付いたけど、とりあえず振り返る。
すると、そこには見覚えのある、できれば会いたくなかった奴がいた。
「……イミナジ」
イミナジ。正式名称「産霊慰納神」食物の神だ。時々こうしてぼくの社へ来ることがあって、性格的に合わないから苦手な奴だった。
「イミナジさん、どうしてここへ?」
振り返ったまま黙りこくるぼくの代わりに、カコが口を開いく。その問いにアイツは明らかに面倒くさそうなため息を吐き、頭をかきながら答えた。
「オレが管轄してる祠がなぁ、放置してたせいで力が届かなくなっちまったから、少し見に行ってたんだ。その帰りにお前らのうるせえ騒ぎ声が聞こえてきてよぉ……」
そうぼくを睨み付けて言う。
コイツは神社とは別に複数の祠を持つ、ぼくやカコよりも神階が高い神だ。
祠とは、力を持つ神がその力の一部を保存しておく小さな殿舎のことで本殿と離れた地域を中継し、神の力の及ぶ範囲を広げる役割を持つ物体のこと。やりようによってはその土地の状況が分かったりもするからカコみたいに態々人間街に下りずとも人間達を視察出来るらしい。
イミナジなんかは豊作凶作を司ってるから、これがあることでその作業が格段としやすくなるんだって。まあコイツは管理が面倒とか言ってたけど。
まあ大方、ここへ来たのはその祠を通してぼくが人間街に行きたがってることを察知でもしたんだろう。
「ロト、あまり面倒ごとは起こすなよ」
「面倒ごと?」
「オレ達神の力はなぁ、お前が思ってるよりずっと大きいんだ。良い意味でも、悪い意味でもなぁ。だから人間から崇められてる」
何を言われるかと思えば、カコもイミナジも同じ話しかしない。だから、ぼく如きがどうこうしたって大した災いなんて起きっこない。いや起こしたくても起こせない。だって力が無いんだから。確かに、参拝者の簡単な願いを叶えたり、人間達には無い力を使うことが出来たりする。
でも結局のところそれだけだ。それ以上は無い。……信仰の多い奴らと同じ基準で話さないでほしい。
そんなぼくの考えを知ってか知らずか、また睨み付けて続ける。
「力はどんなことに働くのかは分からねぇ。外界に大きく働くこともあれば、固有のものに小さな働きをすることもある。力を大して持たねえ弱っちいお前でも、特異的に力を発する可能性が十分にあるんだ。それを忘れるなよぉ。――そして、これは“注意”ではなく“警告”だ。規則を違反するより頭を使え。良いなぁ」
そこまで言い終えると、イミナジは「面倒くせぇ」とぼやきながら去っていった。面倒くさがりな癖に、こう言うときは急にやって来て注意してくる。いやこれは警告だったっけ。いつもは外に出るのも面倒って言うじゃんか。こんなところに立ち寄ってないでさっさと帰れば良かったんだ。……やっぱりあいつは苦手だ。
「本当に苦手だ。本当に、本当に!」
感情的に、ぼくは自身の膝に拳を叩きつけた。
「……ロト」
カコは俯くぼくの顔を覗き込む。
「ロトの気持ちもね、分からなくはないわ。私も人間に情を抱いたことが無いわけではないし。確かに初めて見たら興味津々になっちゃうわよね。だから、頭ごなしに怒鳴りつけてごめんなさい」
そう言いながら少し頭を下げる。横目にそれを見ながらも、ぼくは頑なに目を合わせようとしない。カコは少し眉を下げながら続ける。
「けどね、この規則はただ神達を縛るものじゃなくって、しっかり意味のあるものなの。だから、その、納得いかなくてもしっかり守らなきゃいけないと思うよ。ロトがさっき興味あるって言ってた人間も、ちゃんと規則は守ってるんじゃない?」
ぼくはそれにも返答しなかった。
「……ロト、拗ねてるの?」
それでも話しかけてくるカコ。やっぱ、流石に気まずいんだろう。少し申し訳ない気もするけど、返答はしない。
「えっ……と、そうだ。これいる?さっきお茶を買ったときにおまけとして付いてきたキーホルダー何だけど」
まずきーほるだーって何だ。だからぼくは人間街に行ったことないんだって。カコが持ってきてくれた物や持ってきてくれた本に載ってる物以外は全く知らないんだよ。……いや、ぼくが真面目に信仰集めて位を上げれば良い話なんだけど、そんなことしてたら人間街に行ける頃にはメイが死んじゃってるかも知れない。
人間の寿命は神からしたらうんと短いし。
「その、ロトは昨日とかに来てくれた人間の子と関わりたいんだっけ。その子と沢山関わるのは、やっぱり厳しいけど、ほら、さっきのいなり寿司みたいにお供えものを受け取ったり出来るんだから。……ね?」
今思えば、カコに「人間街に行ってくる」なんて言わなければ良かった。いなり寿司なんて、1人で食べちゃえばこうはならずに済んだんだ。保護者代わりがカコだからって自分の行動を報告する癖がこんなところで裏目に出た。自分のことくらい、一々カコに言わずとも……。
そんなことを考えていたら無意識に顔を顰めてしまっていた。—―カコがさっきからぼくの顔を見つめていたのに。
あって思って、目線だけカコの方へ向けると、やっぱり、さっきからの気まずさに耐え切れなくなってしまった様な顔をしていた。
「えっと、ちょっと、今日はもう機嫌直せないよね。言い過ぎちゃってごめんね」
また来るね。そう言い残してカコは去っていった。
――ごめん、カコ。