1.何十年ぶりの
今日も今日とて静かな神社。ぼくはその縁側で、日向ぼっこをしていた。
この神社は他の神社と違って参拝しに来る人間が無に等しくてやることも無いし、特別境内の外へ出る用もないので、1日を日向ぼっこで終わらせてしまうことが多々あった。山の中に神社があるから仕方ないんだろうけど。
だから最後に人間が来たのはいつだったかなんて全く覚えていないし、そもそも参拝しに来た人間がいたかどうかさえ、ぼく自身も曖昧だった。
まあ、人間の願いは叶えづらいとよく言うし、別にぼくとしては来ないままでも良い。不便無いし。
「怠け者め、神に生まれた自覚を持て」
いつだったか、そんなことを言われたことがある。神という存在に生まれ、生まれながらに人間達から敬われているのだからそれに応えなさい。言わんとしていることは分かったけど神達の規則に「人間の為に精進せよ」なんていうのは無いし、「何の力も無い神は存在するな」とも書かれてない。
信仰が無いということは、その神には何の力も無いと言うこと。もちろん、せっかくの参拝者に対して何も出来ないということは無いから簡単な願いなら叶えられるけど。
逆に、信仰が多い神はその分色々な力を与えられてより参拝者の願いを叶えやすくなるんだって。生物同士の関係に干渉したり、錬金術みたいに物を別の物に変換したり。大昔から存在する特に信仰が多い神なんかは森羅万象を司るなんて言われてる。
“縁結びの神”とか“食物の神”とか“学問の神”みたいに固有の呼び名を与えられて、専門的に参拝者の願いを叶えたりするのもいるけど……。
確かにそういう力はあったら面白いかもしれない。だけどそれを望むかどうかは各々の自由な筈で、ぼくは無くてもつまらなくはない。むしろ信仰が増えればそれだけ大変なことも増えるから、そんなのを増やすために努力するよりもこの山に住み着く動物たちと喋ってた方がウンと面白い。
なんて寂しい奴だなんて言われたこともあるけど、ぼくにはしっかりぼくを見てくれて一緒に遊んでくれる動物達がいる。それに比べたら、敬ってはくれるが神を見ることも神と喋ることも出来ない人間達のお願いを聞き続ける方が寂しいだろう。
と言っても、さっきまで一緒に喋っていた狐のおばちゃんも周りで大合唱していた小鳥兄弟達も帰っちゃたし、今日もこのまま日向ぼっこで終わりそうだ。
太陽が高く昇っていたから、縁側に腰を掛けたまま寝転ぶと顔に丁度屋根の影がかかる。このくらいの時間帯は好きだ。静かで暖かくて、寝転んでも眩しくない。たまにふくそよ風は、優しくぼくを夢の中に引き込む。そうしているうちに瞬きの回数が増えていって、欠伸による涙で前が見えなくなって、いつの間にかぼくは、すやすやと寝息を立て始めていた。
額に乗っていた鳥たちがバタバタと羽ばたいていく音と、聞きなれない騒がしい声で目を覚ました。――よその神でも来たのかな。そんなことを考えながら体を起こす。
神にはいくつかの規則、人間でいう法律がある。その中に『よその神社へ行くときは自分がそこの神より偉くないといけない』というのがあって、ここにもちょくちょくぼくより偉い他神が来ることがある。まあぼくは位が低すぎてほぼどこにも行けないんだけど。
境内にはまだ誰もいない。その代わり、鳥居の向こうの階段のほうからその騒がしい声と聞き慣れない足音が聞こえて来る。それも2つ分。この階段を叩くような足音は動物達のものではない。そもそもここの動物達に階段を使うのはいないし。皆脇の獣道を通ってくる。この足音は、どちらかというとたまにここへ来る神のに近い。でもぼくの知る神にこんな騒がしいのはいない。一体何が来たんだろうか。
足音と騒がしい声はだんだん大きくなっていく。音の持ち主達が鳥居をくぐる。そこでようやく、その姿を確認することが出来る。
確認して、ぼくは目を見開いた。珍しい、久々の参拝人だった。
参拝人は2人とも幼い。人間年齢で9つとか10くらいだろうか。片方は茶髪で桃色の大きなリボンが特徴的な子、もう片方の子は黒髪でちょっと長めの三つ編みが特徴的な子だった。
2人はとても仲が良さそうで、楽しそうに喋りながら賽銭箱の前に立つ。
……久々の参拝人だし、簡単な願いであれば叶えてあげようかな。
2人はポケットから出した丸いお金を賽銭箱に投げ入れると、ガシャンガシャンとうるさい鈴を鳴らす。そこから2回お辞儀してパンッパンッと手を2回鳴らす姿は、色んな動物達が噂してるみたいに“奇妙”だった。人間達は何でこんなことするんだろう。やるにしても1回で良くない?
まあいいや。とぼくは2人の願いに耳を傾ける。――その時の、桃色リボンの子が放った言葉に耳を疑った。
「神様と仲良くなれますよーに!」