1−5 「こわいの」
前回の粗筋。
遅れてやってきた根本学は野田と木下の前で桐生を手玉に取って二人を唖然とさせる。
一方戯れ合い出した二年生コンビを見て、この会議参加意義無しと自己判断を下した一年生コンビは、こっそりと大会議室を後にしたのだった。
昼飯を近くの定食屋で済ませ、その後なんと俺は茶香子の家に居た。折角車を改造したのに日の目を見ぬまま処断されるのは忍びない、との事である。まだ雨もあったし、傘の無い俺は有り難くご相伴に預からせて頂いた形になる。どうやら茶香子の家は学校から歩いて行ける距離にあるらしい。俺とは方向が違うから全く知らなかったが。
女の子の家に行くなんて何時以来か分からない程遠い昔の話であった為、始めのうちこそドキドキ半分ワクワク四割ヒャッハー!一割だったが、今は違う。作業着に着替えてくると、家の中に入っていった茶香子を待つ間、俺は広い家の前を見て回っていて驚愕した。
一般家庭に大型トラックは普通出入りしない。
五十メートルもする煙突は絶対に建っていない。
ダンプカーなんて何に使いようがあるんだよ。
玄関先で世界一顔が引き攣る民家だな。学校の倍は広く、十倍は散らかっている門を見て俺は思った。近くに山になっている鈍色のナットやネジ等の小部品を見て、俺は顔を顰めた。節操無しと言うか無秩序と言うか……機械部品に困った時にここに来れば大抵どうにかなりそうだ。
ギネスの記録員を呼んできてやろうか?エントロピー世界一の玄関として認定してもらえるぞ。
「……ヒロイオウチデスネー」
「えへ、そうかなぁ?実際広いのは私の工房とか作業所だけどね」
実は褒めてないんだけど。いつの間にかツナギに着替え終わっていた茶香子が玄関から顔を出し、そのまま玄関脇のガレージに停まっていた白くて小汚い軽トラックに乗り込む。エンジンをかけ、窓越しで手招いているのが見えた。
つまり、乗れと。移動に自動車を使う程遠くにあると。間違った豪邸。そんな言葉が脳裏を掠める。俺んちに何坪か分けてくれよ。俺の部屋せめーんだよ畜生。
運転中、隣で楽しげに鼻唄を歌いつつハンドルとギアを手際よく回す茶香子を見て、俺は嘆息した。
「どしたい、識君。随分お疲れですね。昨日初めてテニス部に派遣されたって聞いたけど、それかな?」
「いや、ただの作業だったよ。球が来たら、相手の居ないところに打ち返す。
ひたすら居ない所居ない所を狙って球を打つだけの、誰も盛り上がらない試合だった。
今日の方がよっぽど疲れたよ」
「うう……アレは悪かったよぅ」
「あ、アレの事を言ったつもりは無かったんだけど……過ぎた事は忘れようぜ。忘れたいし」
「そう言ってもらえると私もホッとする、わ!」
茶香子は無駄にドリフトターンを決めた。ギア捌き、ハンドルの角度、どれをとってもパーフェクト。なのだろう、きっと。中も揺れないし。しかしだ。雨で路面が滑りやすい状況で、客が乗っているのに危険走行する奴がいるか?天然が技術を持つって、実は危険な事なのかも知れない。主に周りの命が。
「改造車ってこれじゃないのか?」
「もっとイカしてるよ、こんな市場の安物じゃなくって」
時速八十kmでカッ飛んでいく木下家のメカメカしい庭の景色。用途不明な機材、意味不明な建物、理解不能な鉄屑の山、山、山……。べらぼうに広いくせに圧迫感しか感じない、整備されていない息の詰まる鋼の庭がそこにあった。
「ここで作業してるのって、茶香子だけなのか?」
「そうだけど、それが?」
ほんの十五、六の少女が、たった一人で、この見ているだけで頭の痛む鉄の荒野を築き上げたのだ。一体どれほどの時間が充てられていたかは、俺には到底分からない。
「……お前、ままごととかお人形遊びとかやった事ある?」
「結構やってたよ?
自作ロボットでプログラムテストついでに、だけど」
「ははは……お前、やっぱ凄いな」
「照れちゃいますね……さて、もう着くから舌噛みたくなけりゃ黙ってて!」
「黙るって、一体何をしようと」
茶香子の悪戯っ子風ニヤニヤ笑いから目を逸らして前を見ると、そこには雑多に積み上げられた鉄筋コンクリートの見上げる程大きい山が出来ていた。何のつもりかと訊く間も無かった。茶香子はアクセルを思い切り踏み抜き、エンジンをフルに回す。
ガタガタ揺れながら鉄の山を登り、ドンドン加速する軽トラ。そしてその山の頂きに差し掛かった時、車は空を飛ぶ。これは比喩ではない。
「…………ッッッ!」
繰り返すが、比喩ではない。
「ヒャアァッホオォゥー!」
隣の茶香子の本当に楽しそうな歓声。俺は口が開かなかった。何故か親父とお袋の顔が見えた。幼稚園の頃嫌いだった男の子、小学校の頃転校してしまった好きだった女の子、宿題を手伝ってくれた近所の兄ちゃん。色んな奴の顔、そして当時の情景を事細かに思い出した。
幼い頃のおねしょに始まり、俺を連れて行く謎の諜報員、それらから俺をかばう両親、それは僕の積み木だぞ、転校間際に告白した時の返事が『手紙送るね』って全く来てないんですけど、やっぱり頼りになるねお兄ちゃん。
走馬灯。黒字に白抜きでその漢字三文字が見えた。走馬灯とは即ち、命の危険を感じた時生き残る術を過去の経験から必死で引き出そうとする人間の心理的本能である。
……つまり俺、死ぬの?
俺は鞄を抱きしめて、膝をギュッと折り曲げた。少しでも内臓へのダメージを減らそうとする、無意識の行動だった。
先程まで下降していた筈の曇天が、猛スピードで上昇していく。物理法則に従い自由落下が始まった軽トラの中、俺は腹をくくって目を瞑った。
ズダーン!
……息が一瞬止まった。バウンドする車中で、俺は恐る恐る目を開けた。どうやら命の危機は去ったらしい。安堵の溜め息が漏れたのと同時に、茶香子への怒りが沸々と音を立てて沸き上がった。
大体昼前と言い、俺は茶香子に何度殺されかければ良いんだ?
可愛いから何でも許されると思ったら大間違いである事を一度思い知らせてやろう。
「おい!一体どう言うつもりで」
「……ご、ごめん、ちょっと……静かにしてて……」
茶香子はハンドルに顔を伏して、腰に手を当てて小刻みに震えていた。
「お、おい」
「こっちは近道だから普段も使うんだけど……。
調子乗ってスピード上げ過ぎた……痛ててて」
「あー、その……大丈夫か?」
茶香子は涙目になりながら、無理に作った笑顔を向けてきた。痛みを我慢してまで健気に微笑む彼女を見ていると、怒りが口を開けた風船の様な勢いで萎んでいく。
うーん、可愛い。……もとい、責め辛い。
「ちょっとすれば治るよ、きっと。それより着いたよ。
向こうの方に見えるでしょ、中々カッコいい車が」
「どれどれ?中々カッコ……いい、かなぁ……」
フロントガラス越しに見える開きっぱなしのガレージ。そこに収納されていたのは、黒の塗装が成された中型車であった。ヤクザの車でも改造した様なそれを見て、俺は目を疑った後、頭を抱えた。
一目で分かる。絶対に車検は通らない。
ドアに着いた用途不明のウイング。どうやったら入手できるのか聞きたい、意味不明のパトランプ。タイヤは取り外され、変わりに小さなキャタピラが嵌っていた。極めつけは嫌がらせにしか思えない、フロントに設置された砕氷船のドリル。
「イメージ的にはウルトラマンシリーズに出てきた地面掘って進む奴」
「……そうなんだ」
一言言わせてもらう。俺はウルトラマンシリーズは好きで、割と大きくなってからも見ていた。ゼットンは聞いた事ある程度の認識しか持っていないが、ガタノゾーア辺りは記憶の角に残っている程度には視聴していたんだ。そしてそんな地中兵器の存在は俺は朧げに覚えていた。何時のシリーズの奴かは分からないけれど、これを見てその存在を彷彿とさせるかどうかといえば、だ。
別にそんな事は無いぞ。
「イカしてるでしょ。あのドリルも飾りじゃなくて、ちゃんと回るんだから!」
「イカれてるな。あと、あのウィングは飾りでしかないだろ」
地面を潜って進むならウィングやパトランプは邪魔でしかない。ついでに言えばセンスもすこぶる悪い。カオス、と言う言葉以外に思いつかない。
軽トラから出て寄ってみると、側面には『MUSCLE POWER号』と白抜きで書かれていた。
「一体なんだよ、この……ムスクルポワー号?」
「マッスルパワー号、ね」
「そ、そう読む地域もあるな」
茶香子の冷めた視線が痛い。咄嗟の嘘は誤魔化しのラインに辿り着く事も出来なかったようだ。ええい、馬鹿で悪かったな!
「識君がどこの国の英語訛りを習得したかなんてのはこの際どうでも良いわ。
ソイツを見て、なにかこう、熱い正義の心とか湧いてこないの?」
「お前のセンスへの不信感しか湧いてこない」
「もぅ、お父さんと同じ事言うしぃ」
腰を擦りながら車を降りてきた茶香子にそう言ってやると、茶香子はソッポを向いて拗ね出す。正義の心云々を言いたいなら、まず黒の塗装を止めるのが最優先ではなかろうか。すげぇ悪役っぽい。
……白ければ良いわけでもないけれどさ。
「万人に分かってもらえないなら未練は無いか。
いい加減、この子を戻してあげなきゃね」
「この子……って、そこの物騒な車?」
「そ、ムスクルポワー号をね」
クスクス笑う茶香子の表情が憎らしい。殆ど止んだ雨の中、茶香子は軽トラの後ろに詰まれていた機材と工具を持ち出す。両手で何とか支えながら、重たそうに運ぶ様子を見て俺は黙って手を差し出す。茶香子は俺の手に遠慮なく工具箱を託す。箱は見た目に比べてえらく重い。工具箱なんてそんなものだろうけど、茶香子の細腕が持つには重過ぎるな。
「ふふ、ありがと」
「もしかして、最初から手伝わせる為に呼んだのか?」
「え?……違うよ?違う違う。違います」
鼻を掻いて目を逸らしながら言った所で説得力は皆無だ。別に文句は無かったのにな。茶香子は車の脇に並べた鉄の箱から手際よく、工具をガラガラと取り出す。スパナとドライバーとクランクとレンチとペンチと……あとは何だろうか、分からないな。
ここから始まる作業は、俺にしてみれば何をどうしているのか全く分からなかった。取りあえず正面に鎮座する砕氷ドリルを外そうと躍起になっているようではあるが。
「識君。そっち支えてて」
「このドリル?」
「刺さったりはしないから大丈夫。あ、でも一応軍手してね」
「OK……重!お前、これ一人で作ったのか?」
「時間はかかったけどね。私の作業の手助けなんて、誰もしてくれないもの」
「よっと……手伝ってって、言えばいいんじゃねぇの?
親父さんやお袋さんだって居るだろうに」
「駄目だよ」
でかいドリルが車体から完全に別離し、俺は慌てて支えようとしたが、重すぎてとても持てやしない。手が下敷きに成らないように慎重に石敷のガレージの床に転がしておく。
茶香子は既に車体をクランクで持ち上げて、車体の下に潜り込んで作業を開始していた。そこから聞こえる少し沈んだ声が、幽かに俺の耳に届く。その声は俺が今まで茶香子と過ごしてきて一度も聞いた事のない様な悲しげで苦渋に満ちた、彼女には全くこれっぽっちも似つかわしくない声であったと思う。
「駄目って、何でだ?」
「二人とも私の事……の」
「……はぁ?何だって?」
「こわいの」
「こ、わい?」
ガチャガチャとした作業の雑音に紛れて聞こえてきた言葉は、全く予想だにしないものであった。こわいって恐怖の字を書く怖いとか恐い?自分たちの娘が?このたかだか十代半ばの女の子が、か?
「こわいって、何でだよ」
「それは……」
なんだろうか。空気があっという間に気まずくなっていくのが肌で感じられた。もしや踏んではいけない地雷、入りこんではいけない領域だったのだろうか。どうしよう、と俺が軽く錯乱しつつも、それでも黙ったままでいると、明るさを取り繕ったような声が車の下から聞こえてくる。
「あ、そうだ!識君、見てても暇でしょ?あちこち見て回って来なよ」
「え?いや、手伝うよ。力仕事ならお前より得意だしさ」
「折角来てもらったんだもん、私の発明の数々を是非ご覧になって下さいな。
お客さんに手伝わせるなんて悪いしさっ」
手伝わせる為に呼んだくせに。
そんなこと、言えなかった。
「……分かった。終わったら連絡くれよ、歩いてこの迷路みたいな庭から出れる気がしねぇから」
「ん、任せといて」
遠回しに『出ていけ』と言われているような気がした。我が儘な奴だな、と思いつつも俺は文句を言わずにマッスルパワー号に背を向ける。俺は、絶対見えていないであろうにも関わらず、小さく手を振った。
そしてここに来る前から開きっぱなしだったガレージのシャッターを、わざわざ閉じてその場を後にした。フォローの一言を発する事の出来なかった、空気の読めない自分の口を憎みながら。
第一章も、もうあと一編で終わる予定。




