1−3 「……アンタも教職が惜しいなら余計な事はやめときな」
前回の粗筋。
淑やかだと思っていた木下茶香子はふとした事を切っ掛けで拳銃を振り回してしまう、すこし怖い女の子でした。
突然ガラガラ、と無駄に重たい扉が、これまた重たい音を立てながら開く。顔を真っ赤にした眼鏡で禿頭の、典型的なニッポンのオッサンがそこに立っていた。
確かウチの学校の教諭陣にこんな先生がいた気もする。名前は忘れたけれど。
「おい!今の音は何だ!?」
「あー、ミスター森繁じゃないですか。
どうしたんです?まるで怒髪天をつくような勢いで……おっと、髪が無かったか」
「な、何を言ってるんだ!桐生、お前と言う奴は相も変わらず……」
「そんなに怒ると血圧上がって血栓出来て血管詰まって早死にしますよ。
私としちゃ、顧問兼担任の先生の葬式に在学中に出るは勘弁願いたいもんですけど」
部長が禁煙パイプをペッと吐き出して、森繁教諭の禿頭のデコッパチにぶつけてやった。茶香子は混乱さめやらぬ中に新たな混乱の種が蒔かれた事でスッカリ我を見失っている。
取りあえず先生が気づく前にその手のエアガンをしまわせる必要はあるだろう。俺はさりげなく茶香子と森繁先生の間に割って入り、あわわ、と漫画の様な声を上げながら慌てふためく茶香子の手からエアガンを奪い取り、後ろ手に隠した。
件の森繁先生は先程の度の過ぎた、と言うか節度の概念を完全に無視する様な部長の無礼に怒り心頭甚だしいご様子。
「桐生!今日こそは許さんぞ!我が校の校則を悉く無視しおって!
その髪色髪型!金髪ウェーブって、女子高生じゃあり得ない髪型しやがって!
そしてスカート丈!お前のせいでウチのクラスの女子が真似するから、『オタクのクラスの女子はスカートで見分けがつく』なんて他の先生方に言われてるんだぞ!
更に化粧!ピアスの穴!親御さんに貰った身体を粗末にするな!
まして校内での喫煙、飲酒なぞ!言語道断も良いとこだ!校則違反どころか憲法違反だぞ!
一番許せんのはそんなお前が放置されている今現在のこの状況だ!
何故お前が二年に上がれたのか、退学にならないか不思議でならん!」
「えーえー、不思議でしょーねー。なんなら校長に掛け合ってきて下さいな。
それで退学だっつーなら、私も大人しく去りましょーよ。ぜってー無駄だけどね?」
部長は新しい禁煙パイプを懐から取り出して口にくわえてみせる。森繁先生はもうどうして自分が大会議室に駆けつけてきたかも忘れているだろう。部長を眼力で殺すつもりでもあるのか、と疑ってしまう程部長をしこたま睨みつけている。部長もそれを真っ正面から受け止めて、しかも不敵に微笑んでいる。
「あら、森繁せんせー?頭に血が上り過ぎて校長室の場所も忘れたんですか?
その年でボケるとは、お可哀想に。良い病院を知ってるので紹介しましょーか?」
「……校長には何度掛け合っても相手にしてくりゃぁせん。
他の誰に聞いてみても、教育委員会にまで至ってもお前の話題を出せば皆口を閉ざし黙りを決め込む。
一体お前は何なんだ?教師生活20年、お前の担任になってからまるで悪夢でも見ているみたいだ……」
「ほら、私ってばモテカワスリムの超絶愛されガールってやつですから」
「ふ、ふざけるなああぁ!」
部長の爽やかなウィンクに森繁先生の堪忍袋の緒が切れる音が、俺には確かに耳に届いた。ブラウスの胸倉を掴まれた部長は、禁煙パイプこそ口からこぼれ落ちたが、目は未だ笑っていた。
俺が先生を止めるべきかと身構えると、部長はこちらに目を向けて首を横に振った。つまり、止めてくれるな、と言う意味なのだろう。
「いやーん、先生ったら、ダ・イ・タ・ン♪」
部長の甘ったるいけど色っぽくない猫撫で声に、森繁先生は我に返る。先生は慌てて手を離して両手を真っ直ぐ、高く天に突き上げた。
……痴漢冤罪被らされた満員電車で通勤途中のサラリーマンじゃないんだから。
「うふふ……先生、そんなに私と遊びたいの?」
「……こ、小馬鹿にしやがってぇ……!」
「『小馬鹿』?違いますよー先生。私は先生を『馬鹿』にしてるんです。
とにかくだ、兎に角ですよ、森繁 信夫先生」
部長は笑っていた目を鋭く絞り、突然身を乗り出して、先生と顔がくっつくぐらい至近距離に近づく。先生は顔を引く間も無かった。いきなりの接近に先生はスッカリフリーズしておられる。
部長は口元を嫌らしく歪めて、声を低くして、俺にもギリギリ聞こえる大きさで言った。
「私だって馬鹿じゃないんだ。私の話題を上の人が避ける理由、考えた事あんの?
……アンタも教職が惜しいなら余計な事はやめときな」
スカートのポケットから茶色い封筒を取り出し、先生に手渡した。先生は怪訝な目つきをしつつも封筒を分捕り、中身を取り出す。中身は写真のようだ。こちらから何が映っているのかは見えなかったが、先生には見えたらしい。
そのときの先生は、この世の破滅を目撃したような絶望の表情とこの世の末を見てきた諦観の表情のハイブリッドした、形容し難い顔をしていた。
「こ……こんなものを、どうやって……」
「火のない所に煙は立たぬとはよく言いますが……逆に言えば煙が立つ所には必ず火種がある。
煙が欲しいなら火種を作ればいい。実に簡単で単純にして、原始的な発想だ。
私は煙草が好きでね。ライターはいっつも持ち歩いてる訳よ。
……全く、先生は良い火種でしたよ。まるで灯油が染みた新聞紙みたいにね。
ま、それを見る限りは燃えたっつーか、萌えた?あー、燃えてもいたから……萌え燃え?」
「あ…………あ、あ……」
「『煙』は私が全部吸い込んでいますよ。
ただ、ちょっとした衝撃、ふとした瞬間に思わず肺から『漏れちゃう』かも知れませんね」
部長はそこで漸く先生から離れて再び椅子に座り込み、床に落ちた禁煙パイプを踏み砕いて、ブレザーの胸ポケットからまた一本取り出して口にくわえた。先生は禁煙パイプが砕ける音にすら怯え、過剰に反応し、辺りを慌ただしい様子で見渡すさっきの茶香子のような挙動を示している。
部長は勝ち誇った様な笑みを浮かべて、声のトーンを元に戻して先生に明るく止めを刺す。
「……おーっと、そう言えば始めの質問にお答えし忘れてましたね?
先程の爆裂音は、先生の耳の錯覚でーす♪……納得いきました?」
「……よく、わかり……ました」
「では、我々はまだ会議の途中であります故、先生?」
「ああ、もう好きにすればいいわい……」
先程までの真っ赤だった先生の顔色は、いまやキョンシーのように青白く変わっていた。眼も落ち窪んで見える程に虚ろ、階段も上り下り出来なさそうな足取りで会議室を後にする。
俺と茶香子はすっかり面食らいつつ、部長に説明を求めると、桐生部長は溜め息の後に宣った。
「人は誰でも……間違いを犯すものなのよ……」
「遠い目して言っても誤魔化せませんよ……先生が何を間違えたって言うんすか」
「叙情的に言えば、一夜限りのアヤマチって奴。
叙事的に言えば……まー茶香子ちゃんがいるから止めましょーか」
「え?え?な、何でですか?」
「お下品じゃ済まねーレベルの下ネタだからねー。
あと、あんまり先生を見損なっちゃ駄目よ?
私がこうなるように色々差し向けたんだから。
ちなみにここに先生が来る所まで計算済み。持ってて良かった生写真ってね」
「だと思ってましたよ、俺は。そういうのこそ、部長の得意分野ですし」
配られていた部員名簿。その桐生部長の欄には、このように書かれている。
『氏名:桐生 隼弥
学校、学年:杵柄高校二年
性別:乙女かつ少女でありながら淑女でもある、所謂パーフェクトレディ
趣味:動物のイラストを描く事、ペットショップor動物園巡り
得意分野:情報収集、情報操作
一言アピール:私の集めた精鋭達に不可能はない!』
ヤンキーみたいな外見の癖に意外と可愛い趣味を持っているとか、性別欄に妙な物が書かれているとかそんなのはこの際置いておこう。
『得意分野:情報収集、情報操作』
校則違反丸出しの格好をした桐生部長が、退学その他の罰を受けずに堂々としていられる原因。
俺が野球部に土下座して退部し、血塗れの派遣部への入部届けを担任に提出してドン引きされた原因。
校内に蔓延しかけた茶香子ブリッ子説が一日で完全に消滅した原因。
もっと言えば、こんな部活を設立し、俺や茶香子やその他の部員がそこに引き込まれた原因。
それこそが、部長の才覚。
彼女は世間に溢れる無数の情報を常に収集、整理し、それを利用、改ざんして政府官僚、警察関係者、アングラな連中等のあらゆる人間の弱みを握ったり無理矢理作り出したりしている。それでなくても今の先生の来訪を、予測していたとすら思える程の先読み能力。
そうやって得た権力を傘に、自分のやりたい事には他人を顧みずに全力で取り組む行動力を持った、最悪の外道独裁者。それが桐生隼弥である。
入学式の日に俺の国籍をマジで一瞬南アフリカ共和国に改ざんして、殺人の罪まで着せて警察を動かしたのも当然部長だ。警察も警察で、その後の部長の『お疲れさん、もう良いわよ』の電話一本であっさり引き下がりやがった。
そのときは部長は何処かの独裁者ではないのかと割と真剣に疑ったものであった。今はそうではない。疑う余地なんてゼロだ。
「全く、年寄りの弱みを握るのなんて容易いもんだわ。
聖職者が生殖者になった瞬間の写真で、こんなにも簡単に操れるんだから」
「えっと……んんん?」
「木下、いいんだよ。分からないでいいんだ。お前にだけは分かって欲しくない」
「そうなの?……ああ、それより部長さん、お煙草は身体に毒ですよ」
「知ってる。まぁ、君らはせいぜい吸わないようにしたまえよ。
特に野田君!君は肺活量を落とす事は許されないんだから、死んでも吸っちゃ駄目ね。
君にも茶香子ちゃんにも副流煙は届かないように吸うから安心していいよー」
勝利の一服じゃー、と言ってとうとう我慢出来なくなったらしい部長は、鞄の中から煙草を取り出して口端にくわえ、まだ少し雨模様残る窓の外を向きながら火をつけつつ下ネタまで漏らしやがった。
禁煙パイプを落ち着かなくピコピコ動かしていたのは煙草を我慢していたかららしく、聞けば俺達に配慮してくれていた様子だ。茶香子は知らないけど、俺は脅して無理矢理入部させたのに、部長はこういう細かい気配りがある善人か悪人かよく分からない人である。
「……ねぇ、部長さんって普段からあんななのかな?」
「俺が知るかよ。でもさっきの先生曰く、酒も飲んでるらしいからな……」
「こないだ教室で熱燗作っていたよ、隼弥ちゃん。季節感ゼロだよね」
「へぇ、ガスコンロでも持ち込ん……?」
振り返った先に居たのは、温和な微笑みの上に縁なしの丸眼鏡を掛けた短髪の男だった。
またしても半端。