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終−1 「取りあえず、おはよう識君。よく眠れた?」

前回の粗筋。


相川の病室に辿り着いた野田を待ち受けていたのは桐生だった。

野田は桐生に、才能とはどうでも良いものであると説き、桐生自身もそう考えているのではないかと、問いかける。桐生は即答出来ず、自分はどうすればいいかを野田に問う。野田はそれに自分なりに答えを述べるのだが、体力の限界が訪れてしまう。

 朝起きた時、一番に目にするのは一体なんだろうか。うつ伏せにしてれば枕だろう。仰向けなら天井だろう。横向きなら家の中か、窓の外だったりする。目を瞑りながら目覚まし時計を手探りで掴み、その時刻を最初に目にする人もいるだろう。俺が目を覚ました時目に入ってきたのは、見慣れぬ一面の白い天井であった。よって俺は仰向きに寝ていた事になり、視界に広がる天井はどうやら俺が死を確信する直前に見たそれに等しいようだ。

 お花畑と三途の川が目の前に広がっている可能性を視野に入れていた俺としては、俄には把握し辛い状況である。


「……なんだ、ここ」


 それくらいは分かるけれど、そう言わずにはいられなかった。なんだも何も、ここは町で一番大きな市立病院だ。

 身につけているのは死に装束ではなく、浴衣型の病衣。眠っているのは棺桶ではなく、白いベッド。腹と足の二ヶ所に大袈裟な包帯が幾重にも巻かれている。頭の上にはしっかりと俺の名を書いたネームプレートが鎮座しておられる。腕から伸びている管はかろうじて点滴だと分かるが、頭や胸、脚に至るまで張り巡らされたこのコードは一体なんなんだ。行き着く先が全て意図不明のグラフを描いているばかりなので、俺は考えるのを止めた。

 どうやら、命拾いをしたらしいことは間違いないようだ。生きる喜びを噛み締めるよりも、何故か生きている事への違和感が優先された。あんなフェイドアウトの仕方しといて生きてるって、ある意味期待はずれなんだけど。


「見りゃ分かるでしょ。病院ですよ、病院」


 独り言のつもりだったんだが、返事をする女がいた。身体を起こし、横を見やる。そこには木下茶香子が済ました表情で林檎の皮を剥いていた。しかも茶香子は俺の方を見ず、林檎に集中力を傾けるのに忙しいらしい。


「……それは知ってるけどさ」

「取りあえず、おはよう識君。よく眠れた?」

「それは皮肉なのか?」

「心配したんだもん。心配料くらいちょうだいよ。

 識君、本気で生死の境を彷徨ったらしいから」


 茶香子はそう言いながら林檎を綺麗に八等分に切り分ける。起きたばっかりだけど俺、なんかすんごい腹減ってるんだ。切り分けられた林檎に手を伸ばすが、茶香子は林檎を乗せた皿を俺の手から遠ざけやがった。


「識君は食べちゃダメです。ドクターストップ」

「お前は医者じゃねぇだろ」

「協力はしたよ?この辺の機材提供とか。

 医療器具って結構面白いんだね。今度本格的に弄ろっかな」


 医療器具のどこに惹かれるものがあるのかは理解不能だが、もっと理解不能なのは俺の今の状況だ。一通り事情を知っているらしい茶香子に尋ねると、茶香子は丁寧に解説してくれた。


「腹と右脚の二ヶ所を撃たれていた識君は、無意識的に筋肉を収縮させて血管を押しつぶして、無理矢理出血を押さえていたらしいよ。

 けど、それにも限界が来て、一気に失血。一時は意識不明の重態にまで陥った。

 ここまでが先生の診断。

 けど、驚異的な体力と再生力、桐生さんが連れて来た天才外科医先生のお陰で、一命は取り留めた」

「天才外科医?」

「そ、遠方の離島で医者をしてたのを無理矢理呼び出されたらしいですよ。

 ウィリアム先生、だったかな。私より一コ上なのに、凄いよね」


 その名前は聞いた事あったっけ、そう言えば。


「で、一命は取り留めたけど、脳が死にかけててね。

 植物状態でギリギリ生き残ったんですよ」

「そうなのか……って、あれ?」


 俺、今起きたんだけど。起きちゃったんだけど。大前提が覆されてるんですけど、そこんとこ如何ですか、茶香子さん。


「……うん、起きましたね」


 茶香子は林檎を齧りながら、すっとぼけた事を宣った。

 ねぇ、何か感動薄くないっすか?植物状態から奇跡の生還ですよ?もっと感激して泣きじゃくってくれてもいいんじゃね?流石に感動を強要するのもどうかとは思うのだが、俺は口を開かずにはいられなかった。


「植物状態って、なんか凄い長い事意識不明になってるって奴だろ?」

「そうだね。生命活動だけはギリギリ行なえている状態ですよ」

「そして目覚めた俺」

「目覚めたね」

「……感動のあまり、抱きついてきたりはしてくれないの?」

「んー……始めに識君が植物状態って聞いた時は、本当に大変だったよ。

 識君のご両親も凄く取り乱してたし、桐生さんもずっと識君に謝ってた。

 実先輩はまぁ、堂々としたもんだったけど、あの人は少し特殊過ぎるか。

 二宮君も真見ちゃんも泣いてたし、クラスの皆も寄せ書き書いたり千羽鶴折ったりね」


 茶香子が指差した先の、備え付けの患者用の棚に脇で、色とりどりの折り鶴が固まって垂れていた。

 寄せ書きは机の上。『元気になってね!』とか『さっさと起きろ!』とか、ありきたりだけど一番嬉しい言葉が書かれている。茶香子は続けて、林檎を齧りながら溜め息を吐く。


「私も、本当に落ち込んだよ。

 私がちゃんと止めてあげればこうならなかったって、後悔のあまり死にたくなりました」

「……それ聞く分には、もう死にたくなったりは」

「全然してないね、うん」


 頬を掻く茶香子は、ばつの悪そうに機材の一つを指差した。折れ線グラフと数値を別々に表示する、パッと見てもじっくり見ても、なんの装置かは分からない。


「これ、脳の電気信号を測る機材なんだけど」

「そんなのあんのか……」

「信号の感度を上げまくったのよ。改造して。

 ついでに、信号のパターンと身体の状態から、脳信号の予測まで行なえるようにしてみたんですよ。

 そしたら……まぁ、何て言うか」


 遂に目を逸らして、茶香子はハハ、と乾いた苦笑の後に言葉を続ける。


「いつ識君の目が覚めるかが、分かってしまいまして」

「……は?分かってしまいましたって」

「この時間になれば識君が起きるって、もう既に知ってたのよ。

 だから、識君が起きた時も『おぉ、起きた起きた』くらいの感動しか」

「……え、じゃあさ。

 この時間に俺の目が覚めるのは、予定調和だったのか」

「現在、治療を終えてから156時間28分14秒。

 予定より30分も早いです。流石は識君、並々ならぬ体力の為せる技だよね」

「マラソンの記録読み上げるみたいにして言うんじゃねぇ。

 それに、予測が外れるんじゃないか、とか心配しなかったの?」

「する訳ないでしょ。だって私が作ったんだもん、この装置」

「……あぁ、そうっすね」


 相変わらず自信満々に胸を張る茶香子に、俺は諦観を持って同意した。

 色々と台無しである。生還の喜びも、感動の再会も。進み過ぎた技術と言うのも考えものではなかろうか。いや、いつ目が覚めるかが分かっているってのは、残されてる人にしてみりゃ凄い有り難い事だろう。でもさ、やっぱり目を覚ました事に感動してくれれば、個人的にも生の実感とか得られたりするしさ。

 有り体に言えば、そう、俺は寂しいんだよ。

 大体、今猛烈に一つだけ疑問と言うか不満が沸き上がってきたんだけど、茶香子。お前に訊いてもいいかな?


「ん?何?林檎はダメだけど、胃に優しい粥なら良いってさ」

「確かに腹は減ってるよ。でも訊きたいのはそれじゃない。

 俺、いつ目覚めるかっての、分かってたんだよな?」

「まぁ、そうだね。機材積み込んでその日の内に分かったから、かれこれ五日前くらいには」

「……なのに見舞い客って、茶香子だけ?」

「他に誰か見えるの?」


 もし霊が見えるのなら今度は眼球の手術が必要だが、出来ればこの3.0の視力を信じてやりたい。辺りを見回してみても、この場に居るのは茶香子だけ。

 あぁ、分かった。ここは集中治療室かなんか何だな。あの、見舞いも制限される。意識不明のまま160時間も寝たきりなんだから俺の身柄は集中して治療されて然るべきなのだ。


「ここ、一般病棟だよ。一応個室ではあるけどね。

 どうせ目覚めるならこっちでもいいやって、識君のお母さんが。

 確かに、集中治療室となると入院費用も馬鹿にならないですしね」

「……………………」


 涙が出た。二つの意味で。

 お袋の俺へのずさんな扱いと、見舞客の少なさで、だ。


「普通もっと来ないか……?」

「私がいるよ?隣の病室には学先輩もね。

 目覚めるのが分かったその日の内に盛り上がっちゃって、それからもう五日も経ちますし。

 感動も冷めるよ、そりゃ」

「いや、まぁ、そうなんだけども……っつーか学先輩もって?」

「あの人も入院中。右手がヤバい感じだけど、なんとか再起出来そうだって」


 あんだけボロボロのまんま放置してたのにな。結構あの人も俺に近いものを感じる。主に身体の化け物具合で。


「お見舞いの人は……本当は、もっと来る予定だったんだけどさ。

 クラスの皆も、起きる瞬間は見に行ってやろうって言ってたんだけど」


 俺は動物園のパンダか。


「大勢で押し掛けるのも迷惑だろうから、私が代表として見舞いに」

「……そう、なのか」

「そう落ち込まないで。識君に良いニュース持ってきてあげたから」


 茶香子は落ち込む俺を慰めつつ、二切れ目の林檎を齧りながら爽やかに言う。


「なんだ、ニュースって」

「まず一つ目。識君は、晴れて助っ人部の退部を認めてもらえました。

 おめでとうございます」


 ……マジで?

 でも俺結局部長から逃げる事は出来なかった訳だし。部長には捕まってしまったのだから、退部が認められる訳はないと思っていたのに。部長が折れたって事か?俺の揺さぶりは無駄じゃなかったのか?

 喜ばしい事なんだよな。……うん、喜ばしい筈の事なんだ。俺も結構頑張ったんだしな。部を止める為に死にかけた訳だし。でもなんだか妙に虚しい。この、胸に去来する虚無感はなんだろうか。達成感と虚無感という矛盾した感情がせめぎあう。どうもしっくりこない。俺が寝ている間に色々決定しやがって。部長直々にそう言ってもらえれば、また違うんだろうか。


「識君が、他の部員の士気の低下させるのを予防するため……って名目で、退部なんだって」

「助っ人部そのものは、残ったまんまなのか」

「うん。でも、部員の数は大分減っちゃった。今までの半分くらいにね。

 『辞めてー奴はさっさと辞めろ!』って、部長がキレながら部員の前で宣言しちゃって」

「それでよく半分も残ったな……」


 あの部活の部員達は、部長に脅されて入部した人達も多い。それでも半分も部に参加するって事は、案外部長にも人望があるのだろうか。


「ちなみに私はまだ助っ人部部員です。

 辞める理由もないしね。まだまだ、私の力を試してみたいしさ」

「……好きにすればいいさ」


 価値観は人それぞれ。茶香子のやりたい事が助っ人部にあるなら、茶香子は助っ人部に所属しているのが一番良いのだろう。


「あと、もう一つニュース。新聞部が再編されましたよ。

 桐生さんがまた新聞部を立ち上げたんだって。

 とっくに退院した真見ちゃんが見舞いに来てないのも、新聞部の活動があるから。

 新聞部復活が識君のお陰だって、なんとなく気づいてるっぽいよ。

 『シッキーには感謝してもしきれない、本当にありがとう』ってさ」

「……そうか」

「あれ、感動薄くない?」

「俺が目覚めた時のお前よりは、感動しているつもりだよ」


 俺の退部騒動の引き金になった新聞部解散。

 俺の内心の怒りを、部長なりに受け止めた結果だと思いたい。もしくは部長自身何かしら相川に思う所があったのかも知れない。どちらかと言えば理由は後者であって欲しいが、そんな事は今更どうでもいい話だ。

 こうも色々なものが俺の都合良い方向に向かっているのは、少々出来過ぎているけどな。


「取りあえず、識君が死にかけてから今まで起こった事は、こんなトコかな。

 傷はまだ完治してないから、暫くは入院だってさ。テスト来週なのにね」

「マジかよ……」


 このままではテストが受けられない訳で、俺の成績は今以上に最低ラインを突っ走る事になる。だが、どれだけ祈っても力んでも、治癒が早くなるって寸法には当てはまらん。来週までに治る事はないのだろうか。天才外科医なら何とかしてくれよ……。

 と、ここで一つ懸念が浮かぶ。

 テストって来週だったっけ。相川の見舞いに来た時は、再来週って話だった筈だけど。


「だから、識君丸々一週間寝てたんだってば。

 あれから丁度一週間経ったんですよ。実感湧かないのは分かるけど」

「……って事は、今日は日曜日なんだな」

「そうだけど……そんなに慌てた顔してどうしたの?」


 身体を少し動かしてみる。全身に繋がった管が邪魔。超邪魔。筋力自体もかなり落ちている気がする。一週間も動かしてなきゃ、そりゃなまるよな。でも、俺には一つ約束がある。こんな所で寝てる場合じゃねぇ。助っ人部の依頼ではない、俺個人に頼まれた、俺が責任を負うべき約束が。死んでも来てもらう、なんて言ってやがったしな。文字通り、死にかけの体ではあるが、行ってやらねばならない。

 俺は全身に張り巡らされた管と言う管を身体から引き剥がした。怪我をした箇所は痛むが撃たれた当時とは比べるまでもない。こんなの蚊に刺されたようなもんだ。

 驚きのあまり大口開けて呆然とする茶香子だったが、俺が立ち上がった時には我に返っていた。俺の腕を掴み、顔を引き攣らせている。


「え、ちょ、何!?何がしたいの!?」

「退院」

「話聞けよ」


 口が悪いですよ。


「だから、まだ怪我は全然治ってないって言ったじゃん!」

「死んでも来いって言われてんだよ。

 なぁに、すぐ帰ってくるから心配すんなよ」


 俺は茶香子の腕を振り払ってから、端的に告げてベッドから降りる。

 そのまま駆け出そうとしたら、俺の目の前に一本の日本刀がこちらに刃を向けていやがった。変わり身早すぎって言うか、そこまで強引に止めるか普通。日本刀を構える茶香子から立ち上る闘気。地獄の門番みたいなプレッシャー。


「行かせっかよ……」

「男前だな……お前」

「どうしても通りたければ……」


 私の屍を超えていけ、とでも言うのか?つい一週間前に茶香子と戦った時は、あっさり俺が勝った。

 得物が日本刀に変わった所で対して結果は変わるまい。俺は身体を斜に構え、いつでも来い、と目で訴えかけるが、帰ってくる答えは見当違いなものだった。


「どうしても通りたいなら、私も連れて行ってよ!」

「……あぁ?」

「もう置いてけぼりくらうのは懲り懲り。

 識君は一人にしておくと暴走して、危ないからね」


 抜き身のまま刃渡り一メートルを超える日本刀を鞄に仕舞っていく。……前から思ってたんだけど、それどうなってんの?折りたたみ式?異次元?理解を超えるのでこれ以上こんな事に頭をひねるのは止めだ。


「人の奮闘を暴走扱いするんじゃねぇよ……」

「危ないのは事実でしょ?だから、今度こそ」


 不意に、茶香子の顔が目の前にまで迫って来た。一体なんだ、と反応する間もなく、茶香子の顔はそのまま前進を続ける。

 終いには距離が零になる。

 唇に温かく柔らかな感触が伝わって来た。まるで経験した事ない感覚だ。あぁ、そうか。これがキスか。口づけか。接吻か。茶香子がほんのり赤く染まった笑顔が離れてから、俺はようやくそれに気がつく。


「……一緒に居てあげるからさ」


 遅れてやってくる激しい心音。顔が溶けた鉄みたいに熱くなる。

 あぁ、遂に。遂にって言う程努力を重ねた訳でもないけど、俺の恋は実を結んだのだ。生還の喜びよりこっちの方が数倍嬉しいってのも、なんか少々変な気分だけど、それが男子高校生の真実だ。恋の成就による歓喜のあまり逆立ちで盆踊りとマイムマイムを同時に踊れそうなくらいなのだが、しかし。

 あまりに意外であった事と突然のキスによる驚愕が先立って、口をついて出て来た言葉は全く本当に、酷い言葉だった。


「意外に、大胆だな」


 もっとまともな返事返してやれよ俺。

 そう思ったのは俺だけではなく、受け取る側も同じだったらしい。茶香子は顔を少し俯けて、肩を震わせて、静かに怒りの声を唸る。


「……識君が」

「……俺が?」

「識君がいつまで経ってもヘタレてるからでしょうがぁ!」


 仕舞いかけた日本刀で切りかかられるのを、寸での所で躱した。あ、俺ってやっぱりヘタレだったんだ。そんな悲しい自覚を心に刻みながら。

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