8−8 「俺は、受けて、立ちますから……」
前回の粗筋。
根本の策により、腹を撃ち抜かれた野田。
そのまま根本に虐殺されかけるが、死にたくない一心で野田は力を振り絞る。
二度目のイヤボーンで根本を倒し、野田は上階へと足を向ける。
いくら馬鹿な俺でも、流石に昨日訪問したばかりの相川の部屋番号を間違えるような間抜けはやらかさなかった。嫌がおうにも鼻につく入院患者棟の消毒の独特の匂いが、俺の尋常ではない苦難の旅路の終焉を告げる。
ここがゴールではないのだが、半ばゴールに違いない。多少強引にでも相川の力を借りれば、部長でも手は出せない。最強の刺客にして最後の砦らしき学先輩は先程俺が完膚なきまでにぶちのめしてきた。そして俺は今、相川の入院している病室に到達している。
俺の勝利だ。ざまぁみろ桐生隼弥。心の中で勝利の雄叫びを上げて、俺は病室の扉に手をかける。
そして、扉を横に引く。
「……本当に、馬鹿だよな。野田君は」
奇遇っすね……俺も今、そう思った所だ。
四人用の広々とした病室の真ん中で、見覚えのあるシルエットが仁王立ちをかましていた。
今更冷静に考え直す。病院で拳銃を持ち出す男がいた。そう、当然避難するそこまでは俺も考えていたさ。医者も看護婦も患者も見舞いの客もない。皆平等に、我先に非常口から逃げ出すだろう。そんな混沌とした騒ぎの中で、相川が病室に居る可能性はどれほどのものか。
目の前で、悲しそうに目を伏せる桐生部長に聞けば、もしかしたら答えてくれるかもしれない。無論そんなどうでも良い事を聞く余裕は、ないのだけど。
「残念だけど、相川真見はここには居ない。当然だよね。
その当然すら分からなかった馬鹿もここにいるけどさ」
「必死だったもんで、つい」
「つい、じゃねーっつーの。ったく、よくもまぁ、そんな台詞吐く余裕あるね」
「色々慣れちゃったんすよ。誰かさんと誰かさんと誰かさんのせいでね」
「それでもここに来たって事は……学じゃ止められなかったのか」
「死ぬかと思いました」
「死なないで良かったね。いや、これは本心だよ」
だったらあんな殺人鬼よこすんじゃねぇよ。これも本心だったが、口に出す余裕はなかった。俺の血塗れの制服を見やり、桐生部長は頭を掻いた。
「……その血は、君のか」
「どうっすかね。返り血かも知れないっすよ?
だから、一人でいちゃあぶねぇぜ、お嬢ちゃん。
目の前の血塗れの人殺しお兄ちゃんにぶん殴られっかも知れねぇぞ」
いっちょまえに凄んでみせても、部長の顔には動揺の色すら浮かばない。流石にはったりである事は見抜かれているようだ。俺は嘘がヘタクソだしな。
「返り血でそんなに付く訳ねーっつの。
撃たれた位で死ぬとは思ってなかったけど、まさかそのままここに来るとはねー。
アドレナリンの過剰分泌で感覚が鈍ってんのかな。
出血が止まっている原因は……自分で処置したのか?」
部長は俺の方に歩み寄り、学先輩と俺の血で塗れた手を取った。口角を上げて、うっすらと微笑みながら。
「まー、それは良しとして、だ。残念だけど、退部は認めてやらん。
君にはまだまだやってもらわなきゃならない事がある。
辞められちゃ困るし、死なれても困る」
「……嫌ですって言ってんだろ」
「駄々こねんな」
「こっちの台詞だ」
俺のキツい言い分に、部長は顔を歪める。怒りの表情に、ではなく、悲しみの表情に。
「そんなに私が嫌い?」
「部長も嫌いですけど、俺が嫌いなのは、この部そのものだ。
世界中で一番っつって良いくらいには大ッ嫌いですよ」
以前部長の話した、この部活の設立原理と、目的。人間を才能の有無で判別する、その嫌味ったらしい選民思想が気に入らねぇ。そしてその設立原理を唯々諾々と、妄信的に貫いていく部長も気に入らねぇ。だからこそ、その二つは俺の嫌いなものランキングの一位二位を埋めているのだ。
「才能とか、そんなものが人間の何を決めるんですか。
……この間、剛志とサッカーで遊んだんですよ。
俺がキーパーで、アイツがシューターで、PKごっこをやったんすよ」
これは水曜日の出来事だ。結果の方は、ご存知の通り。敗北した。
この間部長と会話を交わした時は話すのを躊躇したが、今はそんな気は全く起こらなかった。部長の考え方に明確な嫌悪感を抱き、そしてそんな考え方の部長を変えてやりたくなった。部長のうぬぼれた、呆れ果てた選民思想を覆してやりたくなったのだ。
「俺はそれに負けて、その時とても悔しかった。
別に練習してきた訳でもないのに何故悔しかったのか、今の俺には理解出来る。
俺はね。努力しなかった事を悔やんだんですよ。
勝負する事が決まってから練習する間があった訳でもない。
あらかじめ、その戦いを予期出来た訳でもない。
でも、負けたのは俺の努力が足りなかったのが原因なんですよ。
自分の才能を信じた結果、足りないものは努力だって、剛志が教えてくれたんですよ」
部長は黙って話を聞いている。俺は、俺にしては随分と口がよく回っているのに気がついていた。自分の本心を語っているからだろうか、言葉はポンポンと飛び出てくる。
「俺は才能の価値に気づきました。才能ってのは何なのか気がつきました。
才能は凡人の壁なんかじゃない。絶対的な優位性でもない。
生まれた時に背負う宿命でもなければ、生まれ持ったアドバンテージでもない。
個性って言葉を、うぬぼれた奴らが履き違えているだけなんです。
俺は今まで才能って言葉に踊らされてきました。
確かに俺は力も強いし、脚も速いし、イヤになるくらい健康な野郎です。
でも、それを才能なんて言葉で括ってしまえば、途端に俺は天才と化す。
天才として、他の人間とまるで違う種類の人間だと見られるようになる。
人とのほんのちょっとの違いを才能なんて言葉で括ろうとするから、そこに壁が生じるんだ。
才能なんてものは、紛れもなくどうでもいいものなんですよ」
才能、と言う言葉の存在そのものへの疑問、そしてその否定こそが、俺の答えだ。人間は、ほんの一本の杓子定規で測れるような単純なものじゃない。幾つもの要因を計算し尽くして、人間の長所と短所が全て測れたとしても、それが人間の価値として直結する事は有り得ない。
才能を尺に人間に値段をつけるような真似をするのは、とても馬鹿馬鹿しくて、悲しい事なんだ。
ちょっと変な奴が至っていいだろう。元々人間って生き物は、他の生き物よりも複雑な社会で生きていく生き物なんだ。それだけ広い社会なんだから、少し位化け物染みた人間が居ても、人間が人間である事に変わりはねぇし、そういうのも受け入れていける心を持っているのが人間だって、俺は信じていたい。
だからこそ、俺はそういう人間の否定を平気でやろうとする、この部を辞めたい。俺の心の中で燻る疑問の、最終的な結論だった。
「…………野田君、それが君の意見か」
「はい。俺はもう、この意志は変えません。
折角手に入れた答えだ。もう迷いませんよ」
「そう。迷った結果手に入れた答えは、手放したくないよね。
……私も、同じだよ」
部長は俺の手を離して、俺の胸倉に手をやり、下に向けて引っ張った。顔を引き下ろして自分の方に近づけて、部長は至近距離で俺と目を合わせた。相変わらず細いその目からは冷めた視線が覗いていた。
「君と同じように、私だってずっと悩んだよ。
ずっと悩んだ結果、私は答えを、君より先に手に入れていた。
才能を持つ者と持たない者の共存が不可能だって言う結論を、手に入れた。
才能を持つ者と持たない者を分けるのが私の天命だって、今まで信じて生きてきた。
今更そんな事を言ったとして、私の心が動くとでも」
「動きますよ」
俺は言った。桐生部長の言葉を遮ってまで。
部長の台詞に苛ついたから遮ったのでも、勢いで根拠なく否定したんでもない。俺には、部長の心の内が見えているような気がしていた。矛盾した考えが錯綜し、身体を丸めて思い悩む彼女の小さな背中が見えたような気がした。確信があったのだ。部長の考えが揺るぐ、という確信が。今までの事を、全部思い出して、俺はそこに希望を見た。悲しい考え方の部長を正す為の道しるべは、既にそこかしこに転がっていた。
だから、俺は言葉を吐く。どれだけ部長が苦しもうとも、止める訳にはいかない。
「木曜日にね。俺、部室の掃除やらされたんすよ、学先輩に」
「あぁ、知ってるよ。帰ったら妙に部室が綺麗で落ち着かなくって、さっさと散らかしたけどね」
「あの時、俺心配だったんすよ。
黙って掃除するんだから、見られちゃマズいものとかあるんじゃないかって。
そしたら、学先輩が言ったんすよ。
『大丈夫、大丈夫。
あの隼弥ちゃんが見つかってまずい物を部室に置きっぱなしにしておくと思うかい?』
ってね。
でも、掃除中に俺達は一冊のアルバムを見つけました。
そこに映ってたのは、部長の幼い頃。両親と遊んでる写真が入ってた奴です」
部長はそれを聞いて、目を見開く。
アルバムを見られた事を、知らなかったのだろうか。あの、情報収集には右に出るものの居ない部長が。驚きの新事実だが、逆に俺の確信は深まった。
「あそこに映ってた部長は、到底天才児とは思えないような、普通の可愛い女の子でした。
部長が普通の生活に憧れを持っていたのは、俺は前に聞きました。
だから目を背けたくなるような過去を持ちながらも、あの写真は大事にしている理由は分かります。
でもなんで俺達に簡単に見つかるような所にそれを置いていたのか?」
「そんなの、部屋の掃除するなんて思ってなかったから」
「部長が?情報収集のスペシャリストが?」
部長は悔しそうに口を噤み、目を逸らす。否定はしないようだ。
「見て欲しかった、なんていったら言い過ぎかも知れませんがね。
でもきっと、心の何処かでは皆に自分の昔の姿を知って欲しかったんでしょう。
単に才能で人を判別する助っ人部部長じゃなくて、普通の人生に憧れている桐生隼弥を知って欲しかったんでしょう」
「…………さぁね。私もよく分かんないわ」
憶測甚だしい、単なる妄想だと言われてしまえばそこまでだ。
しかし部長は何も言わない。俺の言葉を噛み締めるように、静かに耳を傾けるだけだ。自然と独演会となってしまうが、むしろ好都合である。俺は話を続ける。
「随分昔の様な気がしますけど……月曜日の時です。
部長が酒飲んで酔っぱらってるとき、部長は言いました。
才能も努力もどうでもいいって。実力が大事なんだって。
酔った勢いでふざけてたようにも見えましたけど」
でも、その言葉を吐いた時の彼女は、姿勢を正して、そう言ったんだ。だから、その言葉に偽りがあるとは、どうしても思えない。部長は歯を食いしばり、唸り声を上げていた。
「部長が真に望む事は……天才と凡人を分ける事じゃなかった。
本当は、自分を忌み嫌った普通の人達とも普通に接したかったんだ。
でも部長は、諦めていた。自分が普通の人間じゃないって、思い込んでいたから。
だから、努力も才能もどうでもいいっていったんだ。
努力とは、普通の人間がするもの。才能とは、特殊な人間達が持つもの。
そうやって信じていたからこそ、それらを否定する事で垣根をなくしたかった。
……って、少なくとも俺は、考えています」
俺は長い長い述懐を終えて、部長と見つめ合う。部長の答えを待つが、彼女は口を開かない。部長は何かを冷静に考えるように目を瞑った。そして、そのまま俺の襟から手を離す。それでもまだ、桐生部長は口を開かない。全ての吐露を終えて、俺はただただ部長の言葉を待つ。
時間がゆっくりと流れていくような錯覚に陥る中で、俺は異変を感じた。
他ならぬ俺の身体に起きる異変だ。急に鋭さを増した腹と脚の鈍痛が、心脈と同じリズムで俺の全身に走り始めた。例の痛みを鈍らせる、アドレナントカが機能を止めてしまったのだろうか。立っているのも辛くなるような痛みだが、ここで倒れる訳には行かない。
まだ部長の答えを聞いていない。そもそも、こんな所で死んでたまるか。俺が生き延びる為にも、俺は部長を説得する必要があるのだから。病室の時計は二分も進んでいないが、体感的には十分は優に過ぎている。その頃になって、部長はようやく口を開いた。
「正直に言ってしまえば……私だってそんなのよく分からない。
私が本当に進みたい人生が一体なんなのか。
今の私はどこに向かって進んでいるのか、分からない。
君のせいだ。君がギャーギャー歯向かってしてくるから。
私の全てを知っても、それでも私の生き方を認めてくれないから。
折角見つけた私の道が、君のせいでもうグチャグチャだよ。
頭の中が訳分かんなくなっちゃったよ。
本当に厄介で面倒臭い馬鹿野郎だ、野田君」
穏やかで、幼い声色だった。しかし分からないと言う事に納得がいったかのように、部長は静かに言った。
「ここまで言ったんだから、責任を取ってくれ野田君。
私はこれからどうすればいいと思う?」
部長は目を潤ませて、俺に懇願するような目を向けてきた。さて、ここで問題だ。
俺がすべき事は何でしょうか。
1、一先ず俺の退部を見逃してもらう。
2、とりあえず助っ人部の廃部を提案する。
3、知るかボケ、と突き放す。
……シンキングタイムは、俺の体調の関係上、あまり持てない。さっさと結論を付けた俺は、口を開く。段々撃たれた箇所の痛みが強くなる。脂汗がにじみ出てくるが、我慢だ我慢。
「知るかボケ」
俺は明確な答えを示してみせた。3番である。それを聞いて不安そうに身を震わせる部長に、俺は続けて言った。
「俺は別に、部長に俺の考えを共有して欲しい訳じゃない。
俺は俺の答えを、悩み抜いて見つけ出したんです。
自分の進むべき道なんてのは、他人に示してもらうものじゃない。
部長も、迷ったんならまた考え直せば良いんですよ。
俺のせいで迷ったとしても、迷ったのは部長の方でしょう?
だったら、答えを見つけなきゃいけないのも、部長ですよ。
その結論がどんな風になっても、俺はそれに耳を傾けます。
ちゃんと、一から十まで、部長の言葉を聞きます。
それでまた、俺とぶつかり合うとしても……」
「…………ぶつかり合うとしても?」
「……………………」
ヤバい。段々口の動きが悪くなってきた。
身体が悲鳴を上げる。脚が震え、立っているのですら既に辛い。思うように口が動いてくれない。畜生、もう少しもてよ俺の身体。今まで散々面倒かけてきたんだから、こんな時くらい根性見せろよ。
しかし、ダメだ。今思えば、俺自身この身体の丈夫さにはかなり世話になっている。お互い様もいいところだ。
急に黙り込んだ俺を見て、不審に思った部長が俺の俯いた顔を覗き込む。状況に気がついたらしい部長が、慌てた顔で叫ぶ。
「……野田!おい、しっかりしろ!」
「大丈夫、大丈夫です」
口ではそう言っているんだが、脚の方は既にへたり込んでいた。尻餅をつく。上体は腕を支えにして、必死に立たせている状態になる。
「大丈夫な訳あるか!……って、野田、お前、出血が」
腹と脚から、止まっていた筈の血が再び吹き出す。俄に床と制服と、部長の靴が血で汚れる。部長は悲鳴に近い声を、意識が吹き飛びそうな俺に投げかけた。
「処置したんじゃないの!?」
「……んな余裕、ねぇよ。やり方分からんし」
「じゃ、じゃぁどうしていままで……と、兎に角だ!
今医者呼んでくるから、少し待ってろ!」
病室から走り去ろうとする部長の奥襟を掴んで、俺は部長を引き止める。
ここで部長を行かせたくない。俺はまだ言い終えていない。
「俺は、受けて、立ちますから……。
部長の考えに、物……申してやります、から……」
「いいから離せ!黙ってろ!」
喉が乾いた訳でもないのに、声が掠れていく。肺から出ていく空気が段々と細くなる。頭の中で何かが暴れているかのような錯覚をした。自分の身体が、今どういう状態にあるのか、把握が出来ない。目に映る一面の白が何を意味するのか、全く分からない。頭も腕も脚も、瞼も重い。
まだだ。まだ全部言えてない。もう少し頑張れ、俺。
「俺が……部長をこわが、らずに、ふ……つう、に……」
全身から力が抜けていく。穴の開いた風船みたいに、身体が萎んでいくような気分だった。意識に幾重にもひびが入る。そして段々と、四方八方に散っていく。結局最後まで口にする事は叶わなかったようだった。
最後に残った幽かな意識の中で、俺は自分自身の死を確信していた。走馬灯を見ていられるシチュエーションじゃなかったので、ただただ視界には暗闇が広がっていくばかりだ。
結構ドラマティックな死に際だったな。そうやって納得しながら、俺は意識を手放した。願わくば、俺の死後の魂が、天国へ行く前に実先輩の元へ一度でも寄ってくれればいいのだが。




