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8−6 「いやいや、謝らないでくれ、野田君」

前回の粗筋。


桐生さんに一緒に謝りに行こう、と野田を諭す木下だったが、野田は首を横に振る。

桐生に負けるつもりは毛頭無い野田は、そのまま木下を気絶させ、逃亡を図った。

 市内最大の規模を誇る市立病院前に辿り着いた時、俺は驚愕と安堵を覚えると言う、ある意味では奇異なる体験をしていた。

 難なく……とは言えない物の、俺は何とか五体満足でこの病院まで逃げる事が出来た。どうも様子がおかしい。前回部長から逃げ出した時よりも、追っ手の詰めが甘い気がする。どれだけ囲まれても何処か一本は確実に逃げ道が、まるで用意されているかのように存在するのだ。追っ手を撒けば、暫くは追撃の手も緩み、俺の呼吸が激しく乱れているような事もない。ついでに言えば、さっさと派遣されると思っていたヘリコプターが宙を舞うような事態には未だになっていない。

 あまりに不審。桐生部長の手腕とは思えぬ程、付け入る隙の多い人海戦術だった。

 目の前の病院にしたってそうだ。まるでそこだけ見えない結界でも張っているのと言う位、警官も黒服もいない。白いパトカーも黒塗りも駐車場に敷き詰められているとばかり思っていた俺の目が白黒点滅するはめになった。これは何かある……俺にだって何かしらの罠が仕組まれているような予想は立てられる。

 恐らくはこの病院にて確実に俺を捕らえる算段が立っているに違いない。

 おいおい、公共機関だぞ。しかも命のやり取りをしている病人の方々が安静にすべき場所だ。死人が出たらどうすんだよ、馬鹿部長が。しかし、俺自身が死人と化す可能性を否定出来ない以上、申し訳ないが病院に突入せざるを得ない。

 ……ところで、後ろから追っ手が来る気配はない。

 まるでアクションゲームに用意されたゴールに飛び込んだかの如く、敵の追撃はパタリと止んでいる。目の前の市道を通過するのは一般車とバスとトラック。道行く人々も俺の方に注目している様子はない。ならばこのまま帰っても……良い訳がねぇ、って事くらい馬鹿の俺でも分かる。

 用意されている道は前進する為のものだけ。部長が用意した最後のダンジョンに、俺は挑む決意を心に新たに秘めたのだった。






 往来を歩くのは随分と久しぶりに感じる。

 草薮とか屋根の上とか、山道とかを駆け抜けた俺としては、アスファルトの硬質な感触は随分と心を穏やかにさせる。病院の自動ドアを通り抜け、待合室のロビーに居る人間に一人一人目を向けていく。

 日曜日とはいえ病気や怪我にそんなものはない。病に休日の概念があれば、人類の平均寿命はもう二年くらいは伸びるだろう。

 若い女性、中年のオッサン、杖をつく老人、よちよち歩く幼児。どんな人間でも油断は出来ない。今ロビーの椅子に座って本を読むこのジジィが、目の前を通り過ぎようとしている俺を、華麗なる杖さばきでボコボコにするかもしれない。俺の脇をゆっくり歩いて行く小学生くらいのガキが、ベストキッドもビックリな格闘技術で俺を足止めするかもしれない。遠くの方で気怠そうに職務をこなす看護士が、突如俺に向かって麻酔銃をぶっぱなしたりするかもしれない。被害妄想甚だしいと思ってもらっても構わない。慎重とは、ここまで徹底してこそ意味がある。

 出来るだけ人との接触を避けつつ、俺は辺りに気を配りつつ上階を目指す。

 丁度脇を向いている時に、すれ違う誰かの肩が、俺の肩に当たる。条件反射で咄嗟に謝ってしまう。


「あ、すみません」

「いやいや、謝らないでくれ、野田君」


 低い声が聞こえた。名前を呼ばれた事には気がついたのだが、それが誰なのかは気づけなかった。反応が遅れる。猛烈な速度で俺の顔に何かが迫っていた。それが人間の拳だと気づくのはもう少し後だ。顔面に飛んでくる拳は、的確に俺の眉間を狙っていた。咄嗟に首を脇に反らしてストレートを躱すが、次いで打ち込まれたボディブローは避け切れない。


「……!」


 字面に現せない声を上げ、俺は身体をくの字に曲げつつも、俺を殴った野郎を突き飛ばして間合いを取ろうとするが……野郎は動かない。二打目の拳が俺の顎を狙って、振り抜かれる。顎を殴られれば意識が飛ぶ。それだけは避けなければならない。後ろに飛び退いて、俺はようやく一息つけた。

 そして、いきなり殴り掛かってきた男を睨みつける。睨みつけているのは男も同様で、俺はその男にも、その男の形相にも見覚えがあった。


「ま、学……先、輩?」


 丸眼鏡、短髪、二メートルを超える巨躯。

 胡散臭い笑みを顔に貼付けた、知り合いに二人とおらず、同時に一人も欲しくない男。俺が今着ているブレザーと同じものを身につけた、我が杵柄高校の二年生。

 根本学。物腰柔らかい穏やかな先輩。何の分野の天才なのか不明な部長の右腕。部長に気がある真性のロリコン。……なんてふざけた紹介をしている場合ではない。俺に殴りかかってきた上に、腹に一発ぶち込んだのは他ならぬこの男なのだ。殴られる理由はなんとなく分かっているが、それ以上に学先輩のニヤニヤ笑いが気に喰わない。


「奇遇っすね先輩。病院で顔を合わすなんて。

 成長痛でも患いましたか?」

「生憎、中三から身長は伸びてないよ。

 そう言う君は……そんな怖い顔でどうしたんだい?

 腹でも痛いのかな?内科は真っ直ぐ行った道を左だよ」

「どっちかっつーと外科希望なんすけど、まぁ、どうでもいいっすよね」

「そうだね。君はどっちにも行けないよ。勿論、相川真見の病室にもね」


 学先輩がゆっくりとブレザーの右ポケットに手を突っ込み、何かを取り出す。

 ……おいおい、あんたも銃刀法違反っすか。そういう面倒臭い憲法違反を犯すのは茶香子一人で十分すぎるって。手に握られているのは黒い大口径の拳銃。茶香子のような模造品ではない、本物の巨大な黒鉄だ。

 ライオンでも撃ち殺す気か、アンタは。


「きゃあああぁぁ!」


 女性の叫び声が聞こえたのは確かだが、どこから聞こえたのかは分からん。まるでクモの子を散らすように、俺と学先輩を中心に人々が散っていく。

 暫く経って、一階の広々したロビーが急に物静かになる。患者も職員も去って、この場に居るのは俺と学先輩のみ。助けを求められる立場でも状況でもないのは分かっているが、それでも言わせてくれ。

 誰か助けて。


「……意外、じゃないかい?今まで人当たりの柔らかい人間だった男が、こうして人に銃を向けるというのは」

「ぶっちゃけ、そうでもないっす。

 初対面の頃から、アンタには何かしら黒いものを感じてましたから。

 下手すりゃ部長以上にね」

「僕としては結構頑張って隠してたんだけどなぁ。

 周りにも、好青年だって思われている自覚はあるよ」

「じゃ、俺の勘が良かったんすね」


 学先輩は何となく、悪い意味でタダモノではないと、俺は薄々ながら感じていた。ここまでヤベェ人間だとは思っていなかったけれど。学先輩が眼鏡を指で押し上げて、嘆息した。


「君は間抜けに見えて、案外鋭い所もあるようだ」

「尊敬する先輩にお褒めに預かりまして、誠に恐悦至極でございます」

「……なるほどな。流石、隼弥ちゃんと茶香子ちゃんに振り回されているだけはある。

 堂々と、淡々としている。ふざける余裕さえ見せている。

 今この瞬間自分の命が消し飛ぶかもしれないと言う恐怖に屈せず、君は僕の目線、指の動きを窺っている。

 このまま発砲したとして、僕は君に当てる自信がないな」


 自信がないならさっさと銃をしまえクソ野郎。俺は避ける自信がねぇんだよ。

 学先輩は一歩脚を進める。俺はそれに従って、一歩後ずさる。それを数度繰り返しているうちに、俺の背中は緑色の公衆電話に激突する。学先輩のニヤニヤ笑いが強くなる。


「引き金の動き、弾道の予測、反射神経、身の軽さ……。

 全ての要素が君に有利に働いたとしても、距離を詰めればいくら君でも避けられない」

「だったらさっさと来りゃいいでしょ」

「そうは行かないな。君に軽口を叩いている余裕がある以上、慎重にならざるを得ない。

 白兵戦において銃がアドバンテージになるのは、相手との距離が少し離れている時だけ。

 近付き過ぎて不意に君が僕に接近してきたら、拳銃の優位性は俄に崩壊するだろう。

 現に今君は、脚に力を溜め込んでいる。銃弾を躱しつつ、僕に接近するために」


 看破されてしまった。ほんのちょっぴり力を入れていただけなのに、これだ。あの眼鏡、実は高性能なスカウターだったとか、そんなオチじゃねぇだろうな。学先輩は俺との間合いを慎重に測っている。それは俺も同じで、少し身体を斜に構えて、前進のタイミングを窺う。

 ……全く隙がない。目は瞬きを忘れたように俺の方を向き、銃口は一寸たりともぶれる事がない。茶香子に向けられる殺気とは桁も質も段違いだ。


「学先輩……あんたは、何の天才なんすか?」

「言わなきゃ分からないかい?

 高校生の分際で銃を構える人間なんて碌に居ないと思うんだけどね。

 まぁ、教えて上げるよ。僕は……」


 学先輩が懐に手を突っ込んで、何かを投げてきた。

 目視で確認する分には、恐らく小さなナイフ。果物ナイフくらいの小さなナイフを、俺目がけて真っ直ぐに投げてきた。俺はその予想外の攻撃に、慌てて横っ飛びして躱す。ナイフが俺の背後にあった公衆電話に深々とめり込む。


「表向きは、非常時の部長代理部員。

 でも本当は、僕こそが特殊工作部員なのさ。僕はね……」


 ナイフを避ける為に飛び跳ねた俺の身体は、最早完全に無防備な状態だった。地に脚がつかない状態では、身体の自由が利かない。学先輩はその瞬間を狙っていたのだ。既に銃口は俺の方に向けている。引き金にかけた指を引き絞る。学先輩はニヤニヤ笑いを崩す事無く、どうでも良さそうに呟く。


「人殺しの天才なんだ」


 ……生まれて初めて聞いた本物の銃声は、茶香子のレプリカとは比べ物にならない、乾いた耳障りな音だった。


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